以前もこんなタイトルで日記かアルバムをアップしたことがあったかもしれない。
トレヴェニアンのミステリ(というよりハードボイルド小説)「夢果つる街」(角川文庫)にあやかったのだ。
目的地は廃坑の町、足尾。
かつて銅山で繁栄を誇り、鉱毒事件を引き起こして世間を騒がせた。
そして現在は、典型的な「衰亡の町」といっていいだろう。どこもかしこも廃屋だらけ。不審火でも出たら、すべてなめつくされてしまうだろう。
木と土で出来た文化なので、シルクロードの遺跡のように、数百年後、数千年後に、発掘されることはありえない。朽ち果てて土にかえる。
かつての銅山は、古河機械金属に引き継がれているらしいが、どこもかしこも「立ち入り禁止」の貼紙だらけ。外来者を頑なに拒絶している。
だから、銅山の跡地が、たとえば「富岡製糸場跡地」のように、世界遺産に名乗りをあげることはありえない。
わたしが不注意に立ち入り禁止地区に入って撮影していたら、警備の係が数人駆けつけてきて、撮った写真を、彼らが見ているまえで削除するよう命じられた。
立ち入り禁止というだけでなく、撮影にはもっと厳しいタブーが科せられている。
なぜだろう?
人に知られて困るようなものが、なにかあるのだろうか?
まあ、なんとなく推測は可能だけれど、ここに書くのはやめておこう。
廃坑の町にも、秋の訪れ。
あちらこちらでコスモスが見られた。
雲もすっかり秋の雲となって、空がとても高い。
古いもの好きなので、廃屋趣味がないわけではないが、それほど積極的に撮ろうとはしていない。
時がたち、町からヒト・カネ・モノが消えてゆく。
北九州や北海道の炭坑の町も、こんなものだろうか?
はじめモノクロでドキュメンタリータッチにしようとしたけれど、それだと、陰惨になりすぎ(=_=)
この衰亡はもう、だれにも止められない。
町の大衆食堂も、ほとんどが閉店・廃業。昼飯にありついたのは、午後2時半になってしまった(^^;)
歩いているうちに、心が暗くなってゆく。それを押しとどめることができない。
人口は繁栄時の半分か、それ以下になったろう。若い人たちは足尾から出ていってしまい、残された住民の高齢化が、ハイスピードですすんでいる。
あっちをふらふら、こっちをふらふら。
足尾に向かう途中気になった採石場のそばにクルマを止めて撮影していたら、そのすぐ後ろに、軽自動車がきて停車した。
「おい! ここは撮影禁止だぞ」とまた警告されるのかと思っていたら、クルマから降り立ったのは若いお嬢さん。
「え? なんですか、こんなところで」
お訊きしてみると、富弘美術館へやってきた帰りだという。
ニコンD3200を慣れた手つきで構えて、パチパチ撮影しはじめた。
「大学で建築を専攻しているんですが、サビが大好きで、よく撮っているんです。廃屋のようなものも好きですね」
彼女は埼玉の深谷市から一人でやってきたのだ。
そんなカメラ女子、いるのは知っていたけれど、出会ったのははじめてかも。
彼女にはやや暗い気分になっていたわたしの心のもやもやを吹き飛ばすステキな明るさがあった(^_^)/~
「だよね。そうでしょ、そうでしょう」
わずか7-8分だったけれど、お若い同好の士を得て、話がはずみ、ポートレイトまで撮らせていただいた。
この女の子の出現によって、谷底をのぞき込むような憂鬱から救われた(^-^)
どうも・・・どうもありがとう。
彼女はやってきたときと同じように、すいすいとクルマを飛ばし、渡良瀬渓谷沿いの曲がりくねった国道の彼方へ消えていった。
トレヴェニアンのミステリ(というよりハードボイルド小説)「夢果つる街」(角川文庫)にあやかったのだ。
目的地は廃坑の町、足尾。
かつて銅山で繁栄を誇り、鉱毒事件を引き起こして世間を騒がせた。
そして現在は、典型的な「衰亡の町」といっていいだろう。どこもかしこも廃屋だらけ。不審火でも出たら、すべてなめつくされてしまうだろう。
木と土で出来た文化なので、シルクロードの遺跡のように、数百年後、数千年後に、発掘されることはありえない。朽ち果てて土にかえる。
かつての銅山は、古河機械金属に引き継がれているらしいが、どこもかしこも「立ち入り禁止」の貼紙だらけ。外来者を頑なに拒絶している。
だから、銅山の跡地が、たとえば「富岡製糸場跡地」のように、世界遺産に名乗りをあげることはありえない。
わたしが不注意に立ち入り禁止地区に入って撮影していたら、警備の係が数人駆けつけてきて、撮った写真を、彼らが見ているまえで削除するよう命じられた。
立ち入り禁止というだけでなく、撮影にはもっと厳しいタブーが科せられている。
なぜだろう?
人に知られて困るようなものが、なにかあるのだろうか?
まあ、なんとなく推測は可能だけれど、ここに書くのはやめておこう。
廃坑の町にも、秋の訪れ。
あちらこちらでコスモスが見られた。
雲もすっかり秋の雲となって、空がとても高い。
古いもの好きなので、廃屋趣味がないわけではないが、それほど積極的に撮ろうとはしていない。
時がたち、町からヒト・カネ・モノが消えてゆく。
北九州や北海道の炭坑の町も、こんなものだろうか?
はじめモノクロでドキュメンタリータッチにしようとしたけれど、それだと、陰惨になりすぎ(=_=)
この衰亡はもう、だれにも止められない。
町の大衆食堂も、ほとんどが閉店・廃業。昼飯にありついたのは、午後2時半になってしまった(^^;)
歩いているうちに、心が暗くなってゆく。それを押しとどめることができない。
人口は繁栄時の半分か、それ以下になったろう。若い人たちは足尾から出ていってしまい、残された住民の高齢化が、ハイスピードですすんでいる。
あっちをふらふら、こっちをふらふら。
足尾に向かう途中気になった採石場のそばにクルマを止めて撮影していたら、そのすぐ後ろに、軽自動車がきて停車した。
「おい! ここは撮影禁止だぞ」とまた警告されるのかと思っていたら、クルマから降り立ったのは若いお嬢さん。
「え? なんですか、こんなところで」
お訊きしてみると、富弘美術館へやってきた帰りだという。
ニコンD3200を慣れた手つきで構えて、パチパチ撮影しはじめた。
「大学で建築を専攻しているんですが、サビが大好きで、よく撮っているんです。廃屋のようなものも好きですね」
彼女は埼玉の深谷市から一人でやってきたのだ。
そんなカメラ女子、いるのは知っていたけれど、出会ったのははじめてかも。
彼女にはやや暗い気分になっていたわたしの心のもやもやを吹き飛ばすステキな明るさがあった(^_^)/~
「だよね。そうでしょ、そうでしょう」
わずか7-8分だったけれど、お若い同好の士を得て、話がはずみ、ポートレイトまで撮らせていただいた。
この女の子の出現によって、谷底をのぞき込むような憂鬱から救われた(^-^)
どうも・・・どうもありがとう。
彼女はやってきたときと同じように、すいすいとクルマを飛ばし、渡良瀬渓谷沿いの曲がりくねった国道の彼方へ消えていった。