二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

政治的人間とは何か!?

2019年09月19日 | 歴史・民俗・人類学
■元木泰雄「源頼朝 武家政治の創始者」(中公新書 2019年 刊)レビュー


あとがきで元木泰雄さんが述べておられるが、本書は名著「河内源氏」の続編にあたる。
歴史上の人物としての源頼朝をかんがえる場合、わたしの脳裏をよぎる疑問がある。
解くことのできない、あるいは正解のない大いなる疑問・・・のようなものだ。
「政治的人間という存在がもしあるとしたら、その一人は間違いなく頼朝かもしれない」
そういう素朴な疑問である。

頼朝対、後白河院。

キツネとタヌキのだまし合いではないが、このシーソーゲームを観戦するのが、本書最大の見所(;´д` )
どちらも、政治的人間として歴史にその名をとどめる。
平氏の没落、義仲との死闘。そして義経を追いつめて死に追いやり、奥州藤原氏を滅亡させ、当時の日本を実効支配する。
本書で奥州征伐のとき、薩摩の島津氏まで動員していたことをはじめて知ることができた。
それにしても残忍酷薄。
権力を手に入れ、それを保持しつづけるということの実相を、彼の生涯が語っている、ほとんど修羅道といっていいような・・・。

頼朝には以前から興味があったが、なかなか「これは!」という本にめぐりあえなかった。だから本書こそ「読みたかった一冊」と断言してもいい。
頼朝と後白河は、お互いを政治的に利用しあった存在である。本書は歴史家が書いた評伝であり、類書に冠たる出来映えだろうとわたしは推測する。

政治的人間とは何か!?

抽象的な議論にふけるより、頼朝によって、その真実を検証してみる方が稔りが大きいだろう。もう一人挙げるとしたら、徳川家康。
どちらも天下草創の立役者である。こういう人物にもし対面するようなことがあったら、ひと睨みされただけで、わたしはきっと足がすくむだろう。

いったい何人の人間を殺したのだろう? 粛清した同盟者・部下、そしてその一族郎党、女や子どもをふくめたら、恐るべき数にのぼる。近代の世界史でいえば、スターリン、毛沢東を思い浮かべたくなる。
自分では手を下さなかったにしろ、権力者としてそれを命じ、抹殺したのである。それが、頼朝の運命を切り開くことと、ほぼパラレルな関係にある。そいう意味で、頼朝に匹敵する人物は、日本史では家康しかいない。

いつものようにBOOKデータベースから内容を紹介しておくと、
《一一八〇年、源頼朝は平氏追討の兵を挙げた。平治の乱で清盛に敗れて、父義朝を失い、京から伊豆に流されて二十年が過ぎていた。苦難を経て仇敵平氏を滅ぼし、源氏一門内の対抗者たる義仲と義経を退け、最後の強敵平泉藤原氏を倒し、武門の頂点を極めた頼朝。流人の挙兵はなぜ成功し、鎌倉幕府はいかなる成立過程を辿ったのか。何度も死線をくぐり抜けた末に武士政権樹立を成し遂げ、五十三歳で急逝した波瀾の生涯。》

・・・ということになる。
Amazonには11件のカスタマーレビューがあり、他の読者の意見・感想を参考にすることができる。
本書は「河内源氏」の続編であると元木さんがいうように、「河内源氏」を読んでから手に取るのが正解。
刊行されたのは、2019年1月と新しく、著者が持てる力のすべてを出し切った力作と称していいだろう。研究者向けの専門書ではなく、一般読者向けなので、そのための配慮がいろいろときとどいている。
こういう本にめぐりあってみると、中公新書はまったくあなどれないと、わたしはつい思ってしまう。

《当然のことだが、評伝を書くとその人物に対する思い入れがより深くなる。かつて、平清盛は公家政権と正面から対決してそれを従属させたが、頼朝はそれを回避して東国に幕府を作ったに過ぎないとして、清盛を高く評価したことがある。しかし、それはある意味、結果論であったに過ぎない。
そもそも人物として考えた場合、権力の頂点に登り詰めるまで、ある意味では順風満帆な人生を歩んだ清盛に対し、頼朝のそれはあまりに異なっていた。頼朝は再三の死線を潜り抜け、一介の流人から強大な権力を築き上げたのである。その波瀾万丈で劇的な生涯に、深く思いを致さざるをえない。》(本書281ページ)

現代のわれわれが、いかにぬるま湯につかって、甘ったれたことをほざいたり、書き散らしたりしていることか、と、わたしは衿を正したくなった。
そういう意味では、本書もまた、峻烈なドキュメントの風合いを十分持っている。
元木さんは、本当はもっと鋭利に歴史の真実をえぐり出すこともできたはず。しかし、「筆がすべる」ことに対し、じつに抑制が効いている。

史料をいかに読み込むか。
あるいは先行する歴史家の著書のどのあたりを、どう援用するか。
うっかりするとフィクションになってしまう推測と想像をたわめて、水鉛を慎重に下ろしていき、あることろからさきは読者の「読みの深さ」にゆだねる。そのあたりの匙加減もうまくいっている。
本書は、鎌倉時代の生活史ではなく、政治史を描き出すことに徹している。それによって、稀代の“政治的人間”たる源頼朝像があぶりだされてくるのだ。
時代が頼朝をつくったともいえる。

世に広まっている義経像は民衆がつくった虚構だが、頼朝は鎌倉時代という時代を創始した重要人物であるもかかわらず、不人気きわまりない。
人情だとか、感傷だとかが忍び込む隙がないからだ。政治的人間とは、そういうものであろう。あるいはたまたま結果から眺めて、後世のわれわれから、そう見えるだけなのか!?
もう一つ大事な観点が存在する。それは「頼朝は志半ばで急死した」ということで、53歳の生涯であった。家康ほどでなくとも、あと10年長生きしたら、歴史はどう変わっていただろう。

しばらくしたら、この頼朝周辺を、もう一度、別な角度、別な本でさぐってみたくなっている。



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