二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

二つのSymphony NO.9

2019年12月18日 | 音楽(クラシック関連)
年末になると、日本の各地でベートーベンのシンフォニーNO.9が演奏される。
これは日本だけの現象で、海外では、そういう現象や傾向はないそうである。
うがった見方をすると、楽団員のボーナス、正月手当を支給するため、だれかが考えだし、徐々に定着したものだそうである(~o~)
地方のクラシック音楽の楽団は運営経費がまかなえず、消滅の危機にある。自治体からの補助金だより。ところが第九を演奏するということになると、聴衆があつまってくる(^^♪

第九にはアマチュア合唱団がつきものだが、彼ら彼女たちが、親戚や友人・知人をわんさかつれてきてくれるのだ。いや、これはまとこしやかな“都市伝説”の類なのかもしれない。わたしも真偽のほどは保証しかねるけどね(^^;)タハハ



さてこの写真は、
■ブルックナー シンフォニーNO.9
カール・シューリヒト指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1961年)

■ベートーベン シンフォニーNO.9
オイゲン・ヨッフム指揮 王立アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(1969年)

の二枚。
久しぶりにじっくりと、第九でも聴こうという気を起し、連想したのが、この「第九」の二枚だった。
ベートーベンを終生師と仰いだブルックナーも、この第九で力尽きたのだ。しかも、第4楽章は未完という大作。演奏時間は約60分。ベートーベンの第九70分。
こういった大作を、最初から最後まで緊張感をもって聴き通すのは、そうラクなことではない。

カール・シューリヒトはわたしの好きな、バランスのとれた知的な指揮者。
ブラームスの3番を手に入れて4-5年ほど前に聴いたが、そのとき「そうか、こういう指揮者であったか」と納得するものがあった。
このブルックナー、東芝EMI盤には、ありがたいことに、宇野功芳さんの詳細な解説(ライナーノート)が付されている。
楽譜が読めず、自分の耳だけがたよりのわたしのようなアマチュアは、こういうノートの一言隻句が、理解のため貴重なヒントになる(*^-^)
天上的なといってもいい、すばらしい、壮大な音楽。

7番で目覚め、8番で「やられた!」のであるが、9番はなかなかわからなかった。全3楽章の有機的な構成が、1-2回聴いた程度ではピンとこなかった。
最近思うのは、ブルックナーというのは、ひとことでいえば、全体がアダージョなのである。
スケルツォといっても、ベートーベンのそれに比べると、どこかアダージョに近い♪ なぐさめの音楽であり、癒しの音楽なのだ。
すでにだれかが指摘しているだろうが、壮大な“肯定の音楽”ともいえる。

これまでの六十数年の人生で何度か苦しい、危機的な状況にさらされたことが、わたしにもある。
■20代はじめの失恋
■役員をしていた会社の倒産(親会社からの解散命令)
■二度たたかった民事訴訟

大きなくくりでいえば、この3回。
端から見たら「まだまだ甘いぜ。お前は本物の苦悩というやつを知らない」といわれるかもしれないが、本人にとっては、生きて、飲み食いするのも辛かった。

そこからわたしを救い出してくれたのは、本でも写真でもない。音楽・・・であった。
とくに、ブルックナーに救われたという思いがつよい。“肯定の音楽”とはそういう意味である。まるごとかかえて、なぐさめ、うなずいて「うん、よし、よし。よし」といってくれたのはブルックナー。7番8番9番には、そういう思い出がまつわりついている(・´ω`・)

宇野功芳さんは同梱のライナーノートで、これでもかこれでもかと絶賛しておられる。
わたしがはじめて目覚めたのはギュンター・ヴァントの当時評判になっていたCDであった。
それとどうしても聴きくらべてしまうが、本CD=シューリヒト指揮ウィーン・フィルの演奏が、それほど傑出しているとは感じられなかった。録音が古いせいか、部分的にやや音の分離がよくない。

しかし、久々に聴き通してみて、「おお、ブルックナーよ、わたしの救い主よ」と思わないわけにはいかなかった|*。Д`|アハハ
一方のオイゲン・ヨッフム指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管の方は合唱団がダメ。いや、要するにわたしの好みに合わなかったということだが・・・。
やっぱり第九といえば、フルトヴェングラーの音楽が、頭に沁みこんでいるからだろう。そういう世代なのだ。

二つの第九。
ブルックナーだけで20枚ほどあるはずなので、年末年始は、棚のホコリを払って、何枚かPic-upし、耳のチリを取ることにしよう。
何というか、淋しさもここに極まれりといいたくもなるSymphony。しかし、この淋しさの中に、ブルックナーがたしかに存在している。
誇張もなく、てらいもない、ほんとうに率直な演奏。そこからこの壮大な音の世界を紡ぎだすテクニック。

シューリヒトに乾杯!!

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