このあいだ、「年間ベスト5」を選び出す作業をしながら、およそこの一年間に撮りためた作品を見返していた。
これは個人的には、とても有意義な作業であった。
人間とはなんだろう?
わたしの身体は、都市をどんなふうに“経験”しているんだろう?
そんなことを、あれこれ考えるいい契機となったからである。
それらの写真は、だれのものでもない・・・わたしの眼がとらえた被写体である。
写真は文学や哲学ではないから、ことばによって真実をかたろうとするものではない。しかし、それは、イメージによる思考なのである。
その事例を、この日記でひとつあげてみる。
タイトルは「幸福論」。
まず、トップの一枚。
これは前橋の七夕祭りで、わたしのまなざしがとらえた光景。
複数の人間がいるが、隠れたコードは、友人関係。
これを見て、はて、皆さんの胸に、どんな感想がきざすのだろう。
わたしは、こう思う。「人の幸せとは、こんな笑顔ができることなのではないか」と。
つぎはこれ。
これも、前橋の七夕祭りで見かけた寸景。
「あー、幸せそうだな。ああいうひとときをもてることが、どれほど貴重な経験であることか。まあ、感謝しらずの人間は、失われてはじめてそれが“貴重なもの”であったことに気がつくのだけれど」
隠れたコードは、おばあちゃんと孫。
最後にもう一枚。
浅草で見かけた外国人のお二人。
カメラを向けたら、いやがらずに明るくポーズをとってくれた(^_^)/~
隠れたコードは、恋びと同士。
意識的に、ある動きの一瞬をとらえている。このあと、ごく普通の記念写真も撮らせていただいた。
「幸せな二人」とでも題したいような、微妙なしぐさと、この表情を見てほしい。
「おれにも、こんな時代があったかなあ。いや、あったはずだ」
だめ押しでもう一枚(笑)。
これもこれまで日記に引用したことがある。
隠れたコード(いや、隠れてはいないが)は、母と子。
前橋の敷島公園へ、サクラの花を撮りにいったとき、見かけた光景。
身内がかまえるカメラに向かって、満面の笑みをたたえる若いお母さん。
こういう“幸福”は、それを見る者に感染していくパワーをもっている。
写真には、いやおうなしに、幸福と不幸が写っている。サクラが象徴する春のうららかさにつつまれていることや、非日常の場としてのお祭りや、なくてはならない人のかたわらにいるという幸福。
恋する人びと・・・恋とはきっと、若い男女だけの特権物じゃないのだ。
☆理由のいかんにかかわらず、人物写真の二次使用は固くお断りいたします。