冬薔薇と書いて、ふゆそうびと読む。
このことばから、谷村新司「群青」の歌詞を思い出す。
ネット検索していたら、ほかにも該当する歌詞候補がいくつかひっかかってきたけれど、冬そうびというと、あのヒロイックかつ哀切な歌を連想せずにいられない。
♪手折れば散る 薄紫の
野辺に咲きたる 一輪の
花に似て儚なきは人の命か
せめて海に散れ 想いが届かば
せめて海に咲け 心の冬薔薇♪
http://www.youtube.com/watch?v=KIrDeNVRIBI
なんともコメントに窮するけれど、こういった映像をじっと見つめ、歌声に耳をすましていると、目頭が熱くなってしまう(^^;) これが六十数年まえのわが日本の“現実”であったのだが、できれば眼をそむけ、忘れてしまいたいと、この動画を見ながら考えた。
愚かしいといって嗤い飛ばすことなど、だれにもできないだけに、唐突に甦ってきた「過去」の生々しさにうろたえている。
昨日あたりからまた大寒波が日本列島に居座ってしまったらしく、朝晩の冷え込みが、ほんとうに厳しい。日中の最高気温も4℃あまり。
時間があったので、近隣の小公園、温室植物園、神社を慌ただしくぶらついてきた。
「・・・おや、こんな大寒の中、薔薇が咲いている」
写真を撮ったが、あいにく日陰のため、色が冴えない。
冬の薔薇は、ふゆそうびである。
温室にもいってみた。
さすがにこの時期、これはという花にはめぐりあえなかった。
これはゴクラクチョウカをアップで。
熱帯産らしく、極彩色でなんともいえない宝剣のような形状をしている。付け根あたりにはねっとりした蜜がしたたっていて、見えるか見えないかの小さなアリのような生き物がうごめいていた。
冬は冬らしい楽しみを見つけなくてはとおもうのだけれど、「短編小説を読む」という計画はなかなか、当初の予定通りには進捗しないなあ。
まずは中島敦「名人伝」でいこう・・・と、読みおえてはいる。
さて、どんな切り口から入ろうか。