二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

蘇るロバート・キャパの光芒

2018年02月08日 | 写真集、画集など
(岩波文庫版、ロバート・キャパ写真集。定価1400円+税)


税務署、市役所へ納税相談にいった帰り、書店に立ち寄って、岩波文庫シリーズとして刊行されたロバート・キャパの小さな写真集を手にいれた。
オビ広告にも書かれているように、岩波文庫初の写真集! 約300ページ。

それをパラパラと眺めながら、不覚にも、目頭が熱くなった、これまで何度も視ているはずなのに。
それはなぜか・・・ということをかんがえてみた。
まず、第一にキャパは「その場に立ち会った」ということである。つまりそこにある危険に身をさらしながら、撮影したということだ。
その圧倒的な勇気、人間に対する深い共感が、彼の写真集を視るものに迫ってくる。

・世界ナンバー1の報道写真家になりたい。
・その結果として、名誉とお金を手にしたい。

その種の野心が原動力になっていただろう。それは否定しえない。しかし、それだけなのか?
そんな野心だけで、人は直接的には何のかかわりもない危険な戦場や、紛争地域に身を置くことができるのか?
キャパの写真集を眺め、数日がかりで読んでいくということは、そういった問いに向かい合うということと同じだ。

いまとなっては、世界史の一こまとして語られる情景へのまなざし。
漢口にいる蒋介石や、マルクスの肖像画を背にして立つ周恩来、演説するトロツキー。キャパはその場にいたのである。
たくさんの死体がころがっている。負傷し苦しんでいる兵士。
傷ついた子どもを運ぶ兵士や、身寄りを亡くした子の手を引く将校。
そう、彼は間違いなく「戦争写真家」なのである。この文庫のオビにも、「世界最高の戦争写真家」とキャッチコピーがある。しかし、それだけではない、とわしはかんがえる。


(左、イングリッド・バーグマン)


(ゲルダ・タローとのツーショット)


(演説するトロツキー)


(超有名なパリ開放)


(負傷した子どもと、それを大事に抱える兵士)


彼は目撃し、撮影した。決して長くはない生涯のあいだに、ピカソやヘミングウェイやスタインベックなど、有名人の肖像も残している。
絶世の美女イングリッド・バーグマンとの秘められた恋も、キャパ伝説といっていいし、
スペイン市民戦争をともに撮影した僚友ゲルダ・タローとのアバンチュールも有名。

沢木耕太郎さんが書いた「キャパの十字架」「キャパへの追走」は、非常におもしろく読み、ブログにへたな文章をUPしてある。



そしてさてそろそろページを繰ってみようとして手許にあるのが「キャパ その青春」リチャード・ウィーラン(文藝春秋刊 沢木耕太郎訳)である。
伝説の虜になっているのではない、真実を知りたいのである。
視る人の心を、これほど掻きむしるフォトグラファーは、そうめったにいるものではない。

時代の中でせめぎ合う、生と死の水際を走り抜けた男、ロバート・キャパ。
その存在と、彼が遺した写真は、いまもまっく色褪せることがない。それどころか、人が、他人が、戦争が見えにくくなってしまった現代・・・ますます輝きをましている。
わたしには、そのように見える。

キャパの写真集を、いつだって手にとって、眺められるようにしておくこと。そして、ときどき、そこに立ち返ってかんがえること。岩波のこの文庫を手にして、わたしははじめて彼の写真集を視たときの感動を思い出している。
大げさな表現だが、彼の数々の写真は、人類への、あらゆる国々の人びとへのすばらしいGIFTである。
人間とはかくも気高く、そして哀しい生きものなのだ・・・という、見紛うことのない証明として。

そのとき、キャパは招かれて日本に滞在していた。
そこでインドシナの紛争地を取材してほしいという通信社からの依頼を受け取る。
「あそこは地雷が無数に埋設され、非常に危険だから、いかない方がいい」と、周囲の人たちが反対し、助言する。「そうだな、ぼくもそう思う」と、彼はその人たちに応じていたそうである。

戦場が、彼を呼んだのである。
数日後、インドシナの戦場へと飛び立っていき、そこで地雷を踏んでほぼ即死。
キャパの死地は、その後よくわからなくなり、何の目印もないという。
その死地にこだわったのが、写真家横木安良夫さん。「キャパ 最期の日」で、キャパが倒れた場所を、ピンポイントで探し歩いている。
彼はこの日本から戦場へと向かった。横木さんは、執念深く、キャパの最期を検証していく。それはそれ自体、感動的な物語となっている。
キャパへの深いふかい敬愛の念が、「キャパ 最期の日」のページからにじみ出す。

キャパとは、その写真のみならず、人間的にも大変興味深い人物である。
40才、キャパの早すぎる死。写真は戦争や、人間の栄光と悲惨や、生きる苦しみ、よろこびをたたえている。
彼は単純な意味でのヒューマニストではなかったし、正義という名の虚偽の影に隠れた男でもない。
・・・というふうに、彼の写真を視る人たちを、ほの昏い内省の淵に引きずり込んでいく。

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