11月に入ると、めっきり秋めいてくる。
斜光線が浮かびあがらせる街のテクスチャーをもとめて、昨日は松井田町~中山道坂本宿をカメラ散歩してきた。
この時季になると、なぜかもりもりと写欲がわいてくる。お天気も比較的安定しているから、これから初冬にかけて、昭和ロマン探索にふさわしいシーズン!
コントラストが高く(ときに高すぎる)、影が濃いので、街角がステージのような光につつまれる。
ただし、基本的に峠道なので、Mini Bikeはきついと判断し、クルマには積んでいかなかった。
この2年のあいだに、群馬県内の町並みはほぼ歩きつくした。残っているのは、水上町、長野原町、草津町・・・そして、この日訪れた松井田町(現安中市)。
碓氷峠は中山道随一の難所として中世から知られていた。
在来線が元気だったころは、アプト式で名高い碓氷峠は、鉄道マニアには有名な地点だった。
しかし、この付近には、観光資源に類するものは、ほぼ皆無。松井田町もこれといった特徴のない、沈みかけたような静かな町だった。長野県側へ越えていけば、避暑地軽井沢はじめ、北信地域の名所や旧跡が目白押しだってのにね。
それでも、首都圏方面から、妙義山へ紅葉狩りにくる中高年者の群れで、横川駅はそこそこにぎわっていた。
松井田を歩いてから、「碓氷峠鉄道文化むら」へいってみた。何回も通過している場所なのに、立寄ったのははじめて。
脚に自信があれば、このあたりからめがね橋まで歩いてみるのもいいだろう。野生のサル、タヌキが出迎えてくれる(笑)。じっさい、道を大急ぎで横切っていくタヌキを見かけた。
この日の目的は紅葉狩りではなく、街撮り。
いやはや、地味な街なので、被写体をさがし歩く・・・といっても、あちこちに散らばっているため、かなりの距離を移動しなければならない。
古びているというのは、それだけ歳月の風雪にたえて、生き延びてきたということである。
時代の変遷からは置き去りにされてしまったが、当然ながら、この町を愛し、住み暮らしている人びとにとっては「わが郷土」ということになるだろう。
何人かの住人と出会って、ご挨拶したり、お話をうかがったりすることができた。
これは郷土館の一室。陳列されているのは、碓氷川流域と、その周辺部の遺跡から発掘された土器や石器。ところがこの郷土館、耐震性に問題があることがわかって、半閉鎖状態だとか。
町の担当スタッフはせっせと発掘したり、調査したり、復元作業にいそしんでいるが、展示スペースは楽屋裏と区別がつかない。
カーテンを透かして入ってくる秋の光が美しく、数千年の時をへだてて、土中から蘇り、修復された土器たちを照らしていた。
このカメラ散歩をしながら、わたしは「何かをさがしている」という感覚にずっとつきまとわれた。単なる懐旧の情とは違うし、若き日へのセンチメンタリズムでもない。
ちょっとカッコつけていえば、アルバムでもふれたように、胸の奥のほうから、モーツァルトの「ディヴェルティメント17番ニ長調」が湧きあがってくるような気分とでもいえばいいのかなあ(~o~)
一人歩きの「街撮り」をしているときのわたしは、おそらく幸せ者の顔をしているのである。虚心になって、眼でなにかを探しているときの“わたし”の影が、すぐそこのガラスや壁に浮かびあがる。
わたしは老いた町へ・・・、斜光線が美しいステージを用意している午後の町へ、恋人でも待っているかのように、いそいそと歩み入る。