ナイスティーライフ in LA

米国在住30年。 ドイツフェイラー社、北米総輸入元オーナーかつホームコンシェルジュサービス業オーナーのビジネス徒然日記。

里帰り#2 ハプニング

2007年04月16日 | 日記
大津駅で、私の妹とその息子が待っていてくれました。
すでに夜の7時半過ぎ。まずは近くの美味しいおそばやへ直行です。
見違えた娘に妹も甥っ子も驚いていましたが、こっちはこっちで、甥っ子が可愛い小学生からお兄ちゃん(通り越してすっかり大人)になっているのにびっくりしました。男の子は声変わりするのでちょっと衝撃でした。
メニューをながめながら、どれもこれも食べた~いと迷っていると、娘が重大発表をしたのです。空港を離れ、JR名古屋に来た頃から、ハンドバッグが無いなぁ、きっとマミーが持っててくれてるんだろうと思っていたが、そうでないことに気がついたと云うのです。
「どうして早く言わないのよ? 前にもそうだったでしょ。」問い詰める、追い詰める言葉が炸裂。「もう見つからないよ! どうするのよ?!」とどんどんエスカレートする私に、割と穏やかな妹が、とにかく電話して探してみようと助け舟を出してくれました。空港、航空会社、税関と問い合わせてみると、最後の税関の人が、「空港警察に届けた今日の遺失物のなかにそんなハンドバッグがありました」との返事。でも空港警察はすでに閉まっている時間だというので、明日確認の電話をすることで、一件落着となったのでした。

現金だから見つかるはずが無いと諦めていましたが、不幸中の幸いでした。
最近はテロや何かと物騒な事件が多い日本ですから、とにかく不審なものを見つけたら警察へ届けるという習慣が身についているのでしょう。中身も確認せずに警察へ届けてくださった方がいらしたのでしょうね。本当に感謝です。
のどを通らなかったお蕎麦でしたが、横ですっかり反省している娘を見て、気を取り直し、話題を変えて、味わっていただきました。

ホテルへのシャトルバスを待つ間、娘が行きたがっていた(本物の?!)コンビ二に立ち寄りました。娘のはるか昔の記憶の中で、日本のコンビにはなんでも有る!可愛いお菓子や小物がある!っとインプットされているのでしょう。そのコンビニではしゃぎまくっている娘を、ちょっと恥ずかしそうに見つめる甥っ子がいました。

里帰り#1

2007年04月16日 | 日記
4月1日にオレンジカウンティーのジョン・ウエイン空港から、サンフランシスコ経由で日本へと旅たちました。まずは1時間半のフライトでサンフランシスコの空港へ到着、ここで2時間ほどの乗り継ぎ時間の後、今度は名古屋セントレア空港へ一路。約11時間20分のフライトです。
この長いフライトをなるべく短く感じさせてくれるのが、各席に取り付けられたビデオデッキにかかっています。初めて乗ったユナイティッド機には、これが設置されていてひとまず安心。いくつもの映画やTV番組の中から自分の好みのものを選んで観られるので、映画3本ほど観て、ちょっと寝て、ちょっと夕飯と朝食を食べてたら日本に到着するという段取りです。お蔭様で私はどこでもよく寝られるように出来ているのですが、なにせ、ひとつの格好で寝るというのは、やはりきついものです。娘と二人、お互いの席に足を伸ばして寝てみたり、どちらかが寄りかかってみたり、ひざを立てたり…、出来る範囲であれこれポーズを変えながら、しばしの睡眠を試みました。

日本時間4月2日午後3時。長いフライトの後、中部国際空港(セントレア)へ到着。
入国審査では、娘がアメリカのパスポート(外国籍)なので、外国人レーンに並ばなくてはならず、これがまた長蛇の列。私は日本人のパスポートですが、保護者ということで一緒にこの長蛇の列に並ぶことを余儀なくされてしまいました。(娘がBabyのときは、空いている日本人レーンに外国籍の娘を一緒に並ばせてくれたのに…。)
やっとのことで入国審査。「何日くらいの滞在ですか?どこに行かれるのですか?」などとお決まりの質問をしながらも、目はぜんぜん笑ってなくて、パスポートと私達の顔を交互に確認している係官。その向こうにはすべての入国してくる人間の顔写真を記録しているであろうビデオがまわっていました。
そんな入国審査が一瞬にして終り、預けた荷物を受け取って、今晩の宿、大津プリンスホテルへ直行です。
ここでは、5年ぶりに再会する、娘にとって唯ひとりの従兄(いとこ)が待っています。