従軍慰安婦問題について、日本政府が1993年8月、河野洋平当時官房長官の名義で発表した談話は次の通り。
「過去慰安婦移送に日本軍が直・間接的に関与し、甘言、強圧など本人の意思に反する事例が多かったが、官憲たちが直接加わった場合もあった。被害者たちに心から謝罪と反省の意を伝える」
実に明確である。
安部首相はこの談話を1997年12月、2選議員時代に次のように評した。
「この河野官房長官の談話は日韓両国の雰囲気の中で事実よりは外交上の問題を懸念したもの。また証言者16人の聞き取り調査に対する何の裏付けがなかったにもかかわらず、軍の関与・官憲の直接加担があったと認めて発表したという事実が判明された」
安倍首相は昔から河野談話に対して極めて批判的な立場にいた。
はじめから事実関係に対する十分な調査を経たというよりは韓国との外交関係に配慮して出したため歴史的事実と違う部分があるという論理だ。
だから、
「河野談話採択以後、歴史教科書に登場した従軍慰安婦記述は削除しなければならない」
「韓国に対しては謝罪ばかりするのではなく、言わなければならないことはきちんと言わなければならない」
と主張してきたのである。
日本官憲出身吉田清治氏が80年代に発行した懺悔録で、
「慰安婦狩りを済州島で行った」
と主張したが、
それは現地の調査で立証されておらず、経済的状況によって、あるいは民間業者などにより不本意ながら慰安婦になるほかなかった「広義」の強制性は認められる、
というのが安倍首相などが下した結論だ。
しかし、安倍首相は就任初めから
「私の任期中には河野談話を受け継ぐ」
と重ねて明らかにしている。
これは一度決まった日本政府の態度をくり返し変更しにくいという現実的理由と共に重大な外交問題になる可能性を懸念するからだと見られる。
議員時代の所信と違い、靖国神社参拝を保留したことと一脈相通ずるのだ。
ところが、最近の発言はなぜか違ってきている。
一次的には米国下院の決議案通過を阻止するために日本政府の態度を確かに明らかにしたものだろう。
また、最近急落している支持率挽回戦略とも考えられる。就任初盤柔軟すぎる姿勢を見せたせいで最大支持層である右派からも最近失望の声が出ているからだ。
しかし、どうだろう。
首相たる者、人気取りの為の発言を軽々しくしていいものだろうか?
歴史認識はより事実に基づいて発言することこそ、信頼を得る近道と思うが。
昨夜、私は横浜の”みなとみらい”を付近を高速で走っていた。
助手席に女房、後部座席には娘一人を乗せていた。
娘を迎えに成田空港に向かっていた。
車はそれほど多くなかった。だから、スピードを出していた車は多かった。
私の前には、中型の荷物輸送車が走っていた。
車間距離は40メートル位だったであろう。
急にハンドルを右に切った。
私は一瞬何が起こったかと思った。
すると、目の前に高さ20cmくらいで幅50cm位の木箱が現れた。
私は、一瞬ハンドルを右に切った。
この道は片側2車線の道路で、私は左側を走行していた。
その木箱は私の走っていた車線の中央に現れた。
幸い右車線には車はなく、他の車との接触はなかったが、その木箱をよけきれず、左前輪がその木箱を踏んでしまった。
その瞬間、何かを巻き込んだ感じがし、まもなくガタガタという音がしたので、私は車を左脇に止めた。
車から降りてみると、左前輪がパンク。
私は直ぐに警察に電話した。
警察は、人身事故が起こっていないか、他の車との接触がなかったかと聞く。
幸い事故は自分の車のみであることを説明し、まだ、道路上に木箱があるから危険な状態であることを説明し、直ぐに救援を頼んだ。
それから約15分くらいかかったであろう。パトカーと道路公団の事故処理班が来たのは。
実は、最も怖かったのはこの15分。
私の車の止めた位置は、みなとみらいの降り口の分岐点の位置。
後からは大型トラックが相当なスピードでやってくる。
また、後の方には色々な落下物が散乱していて、今にも第二の事故が発生しそうな危険をはらんでいた。
私は、第二の事故を防ぐため、散乱したものの回収のためその現場に戻った。
そこにあったものは、驚いたことに荷物を運搬する台車であった。
私がぶつかったものは、横70cm、縦、120cm位の大きな台車。
木箱と思っていたものが、こんな大きなものだったとは、つゆ思わなかった。
神奈川県警の巡査の説明によると、落下した会社あるいは人あるいは車は余程のことがない限り見つからないでしょう、と。
その場合には、事故の責任を取ってもらうことができるが、ほとんどの場合、事故にあった人の損害に終わる、と。
車はパンクと一部の破損、つぶれだけだったので、事故処理班が全てを行ってくれた。その間約1時間。
一通り、手続きが終わり、成田行きを取りやめ、自宅に向かった。
その間、女房と話す。
一番怖かったのは、パトカーが車での15分。
後から追突されるのではないかと、そればっかりが心配だった。
また、事故には遭ったものの、パンクなど自動車の破損だけで終わったのが何よりの幸いだったこと。
万一、ハンドルを取られ、横転したり、側壁に激突したり、また、道路のど真ん中で立ち往生したら大変なことになっていた。
そんな事故にならなかっただけで不幸中の幸いだった。
いずれにせよ、昨夜は悪夢だった。
ところが、今朝、ふと別のことを考えた。
こんなことが日常茶飯事おきているのであろう。
たしかに、今までも路上に落下物が散乱していたところに出くわしたことが何度もある。大事故にならなかっただけ。
しかし、この落下物に対する法整備は不十分なのではなかろうか。
一般道路も同様。特に、高速道路では大きな事故につながる。
そこで、貨物運搬に関する法律をもっと厳しくすべきだと考える。
特に、落下物対策を義務付けること。
事故に遭って、あらためて考え直した次第。
昨夜の神奈川県警の巡査の皆さん、また、道路公団の事故処理班の皆さん、昨夜は大変ありがとうございました。
皆さんが、危険と隣り合わせのお仕事をしていることに対し敬意を表します。
インフルエンザ治療薬「タミフル」を服用した中学生が転落死する事故が、2月中に2件続いた。
以前からタミフルなる治療薬と自殺行為に直接因果関係があるかどうかは判定つかないと厚生省は動かなかった。
ところが、ここに来て世論の声に押されたように少し動いた。
厚生労働省は28日、「未成年者がインフルエンザにかかると精神・神経症状が出て、異常行動をとる場合がある」として、発症後2日間は未成年者を1人にしないよう注意を呼びかけた、というもの。
チョット消極的過ぎるのではないか?
人の生命に関わるものは、チョットした疑義があるものについて、至急手を打つべきと考える。
それだけの権限はあるものと考える。
そうしない厚生省に対し疑問を抱く。
同省は2件については調査中だが、現段階では、タミフルと異常行動の因果関係を否定している。
そんな結論は早急に出す必要はない。
同省は、小児や未成年の患者が自宅で療養する場合、〈1〉異常行動が起きる可能性を医師が説明する〈2〉インフルエンザ診断後、少なくとも2日間、1人にならないよう保護者が配慮する――ことが事故防止に適切としている。
この対応も無責任極まりない。
自分は責任を持たない。自分達が責任を持てと言わんばかり。
こんな腰抜け厚生省に我々の身の安全を任せたくない。
異常行動死した子供の家族らで作る「薬害タミフル脳症被害者の会」の軒端晴彦代表は「もっと早く注意喚起をしていれば、2件の事故を防げたかもしれない。」、と言っている。
実はこのような団体の存在も知らなかった。
我々の知らないところで、被害が続出していることを厚生省は公表すべき。
その上で、可及的速やかに大げさでもいいから、タミフルの服用を一時ストップすべき。
企業から営業妨害で訴えられることを恐れているのか、腰が重い。
薬害エイズのことを思い出す。
手は早く打つべし。
恐れるな、厚生省で働く諸君。