県内の県立高校六校で必修科目の未履修が判明した問題で、最も未履修が多かった水戸市の水戸桜ノ牧高校(平沢憲次校長)では、本人に手渡す通知表に、実際は受けていない授業の成績を記載していたことが二十七日、分かった。また同校は、生徒や保護者に対しても、国が定める学習指導要領に基づかない授業を行うことを説明していたという。
未履修なるなれない言葉が出てきたが、この表現はおかしい。
履修しなかったのは、いかにも生徒達が単に勉強しなかったように受け取られる。
しかし、これは学校側の問題で、指導しなかった、あるいは、指導教科として扱わなかったと言うべきだ。
ところで、県立高校にとって必須科目とは何ぞや?
単位を修得するとは何のことか?
同じ新聞には、こうも書いてあった。
同校では、二年生と三年生の六百二十九人に、社会科の授業で、「日本史A(一単位)と世界史B(一単位)」を履修させるべきところ、世界史Bだけ二単位受けさせるなどしていた。この際、通知表には、世界史Bの成績とともに、実際には受けていない日本史Aの成績欄にも世界史Bと同じ評価を書き込んでいた。こうした方法で、ほかの教科でも事実と違う“虚偽”の通知表を生徒に渡していたという。
ここで、通知表の評価点なるものは、何なのか?
なぜ、学校は定められたことを行わなかったか?
そして、虚偽の通知表を出したのか?
もっとも、真実を教えなければならない学校が実は虚偽の館であったなんて、一体誰が推測したでしょうか?
いやいや、いまさら、そんなにむきになって言うほどのことではない。
そんな事は以前からちゃんとみんな知っていた。
教育現場には駄目教師、保身校長がいっぱいいて、ただただ、恐れるのは事故、事件が発覚しないことばかりを考えている。
もっと、本質的な議論をやるべきだ。
あなた方や、学校自体が100%の人であり、組織であるなんて考えている人は、誰もいない。
駄目だから、一つ一つを改善していくのだ。
改善を怠り、つじつまを合わせる学校なんて無用の長物。
いや、社会の害悪。
だから、県立高校は乱れ、みんな、私学へ流れていく。
これは当然の結果である。
安倍内閣は教育問題を取り上げるという。
私は、提案する。
出発は駄目な学校でいい。
少しでも、本当の意味で、有意義な学校生活を送れる場にしてもらいたい。
学校は、社会に出るための練習の場。
そこで、問題が起きなければ、練習の場にはならない。
評価点は、社会に出るとき社会が決めればいい。