俺にも一言、言わせろ

世の中、腹の立つことばかり。真面目に生きてる一人として、一言述べさせていただきます。連帯を求めて、孤立を恐れず。

戦う時がやってきた。

2004-12-15 02:15:52 | Weblog
私は、戦争は好きではありません。
学生時代、反戦活動をやっていました。
イラクに米軍が爆撃するのも反対でした。
私には、まだ、戦争を始める時期ではないと思っていたのです。
あれから、1年、結局、フセイン体制は崩れたものの、
はたして、イラクの人々を救う戦争だったのかと、
考えるとき、やはり、そうではなかったと思う。
大量破壊兵器はない、イラク国民を巻き込んでしまった。
今は誰が誰の敵やらわからなくなった。

一方、北朝鮮はどうか?
連日、脱北者の話、中国に逃げ込んだ脱北者が北朝鮮に連れ戻され
拷問、強制労働させられる話、餓死の話など、北朝鮮の話がテレビで流される。
その度ごとに、胸が痛む。

また、拉致事件は言語道断。
相手は悪の権化。
そんな相手に、紳士面で向かう小泉の考えがわからない。
対話と圧力?
対話はわかるが、圧力はどのようにかけているのか解らない。
多分、アメリカに圧力をかけてもらおうとしているのではないだろうか?

国民の大半が、圧力をかけろ、経済制裁をやれといっているのだ。
偶然になった首相の小泉、これで失脚しても、小泉は英雄。
末代までの英雄である。
しかし、やらなければ、結局は鼻で笑われるだけ。
小泉君、どうかやってくれ。

恫喝をかけなければ、やくざの金正日は動かないだろう。
今回は、首相が二度の訪朝をしたにもかかわらず、
横田めぐみさんの遺骨は偽者だった。
この一つをとってみても、もう、交渉はやめるべきだ。
最近のテレビでは、リウネは田口さんだったという証拠も挙がってきた。
また、横田めぐみさんはキムヒョンヒの日本語の先生であったことも確証が取れた。
このことで、航空機爆破事件は北朝鮮の国家犯罪であることもわかった。

経済制裁から、金正日を揺さぶるときが来た。
万景峰号の日本入港をストップせよ。
外貨凍結せよ。

経済制裁の話が出てきたら、
北朝鮮はあわてているらしく、
万一、経済制裁をすれば、戦争に入ったことを意味し、
攻撃をすると、逆に脅しをかけてきた。

今こそ戦うべきである。
日本人拉致被害者を救い出すことと、北朝鮮の多くの人々を救い出すべきである。
多くの人の血が流れるかもしれないが、このまま放置しておくわけには行かない。

小泉君、決断してくれ!!

チュニジア・ティー・パーティを成功させた女性

2004-12-05 02:25:29 | Weblog
チュニジアと聞いて、世界地図で明確に言い当てる人は珍しい。
それほど日本人には縁遠い国なのだ。

そこから来ている女性にこの春めぐり合った。
名前はラリビ。すらりとした美人。
初めて会うときは、てっきり黒人女性が現れると思っていた。

年の頃は、30後半から40前半か?
女性ゆえに年齢のコメントは差し控える。
彼女は、6年前フランス語教師として来日。
私は英会話の教師を探していたので、会うことになった。

知り合って3ヶ月後、彼女は私に話を持ちかけた。
「私には多くの日本人の友達がいるが、残念なことに、あまり、チュニジアのことが解ってもらえない。自分としては、何とかバザーを開いてみたい。」、と言う。

私はその話を聞いて、
「パーティを開こう。チュニジアで有名な食べ物か飲み物はありますか?」
すると、ラリビは
「チュニジアは、おいしいお茶があります。ミントが入ってとてもおいしいです。」
そこで、私は
「チュニジア・ティ・ーパーティを開こう」、と提唱した。

話はとんとん拍子にまとまり、スケジュールからパーティの会場や内容まで決まっていった。
そこで、ラリビはチュニジア大使館に行って、協力を要請した。
ところが、大使館はお堅いところ資料や国旗の貸し出しはOK。

こんなことでは、立派なパーティなどで気はしないと考えたベスマさんは、私を大使館に連れて行った。私は大使館の参事官であるアムリ氏とラリビの話を静かに聞いていた。
ラリビは、少しの金銭的援助をお願いしたいと迫った。
その瞬間、アムリ氏は、
「大使館としては、金銭的援助は一切しない」ときっぱりとはねつけた。
チョット気まずい雰囲気がただよった。

そこで、私はおもむろに話し始めた。
「ラリビは、私利私欲で動いているわけではない。何とかチュニジアの文化を日本に紹介しようと一生懸命になっている。そのラリビに私は応援している。金銭的援助を私は一切期待していない。それよりも、大使自ら我々のパーティにおいでいただきたいと思う。私は、チュニスと横浜が姉妹都市になればいいと思っている。万が一、大使に来ていただけるのなら、微力ながら横浜市長にも来ていただくよう働き変えてみる」、と説明した。

この瞬間、アムリ氏の表情が変わり、
「我々も、横浜には強い関心を抱いており、市長と会える機会を是非とも作っていただきたい」と。

それからは、準備が一段速く進んで行った。
11月21日(日)記念すべきチュニジアのパーティ。
参加者は約130名。
私どもの狭いスペースに130人もの人々が入り、お茶にお菓子、歌に踊りに楽しんだ。
特に、ダンスは日本の阿波踊りに似ているといって、みんなが踊り始めた。
予定していた中田市長は欧州出張旅行のため欠席。その名代に工藤市会議員が来てくれた。

市長からはサイン入りの本を手渡すことになっていたが、間に合わず、後日渡すこととなった。

ここまで、準備してきたラリビに敬意を表したい。
ラリビの話では、もっといろいろな場所でこの種の催し物、バザールをやりたいと。
このエネルギーにも敬意を表したい。

同時に、私はこういうラリビのような人に、チュニジア民間大使になってもらいたいと思っている。私は、チュニジア大使館に掛け合うつもりである。

皆さんも、ラリビが民間大使になることにご賛同いただき、応援いただきたいと思います。
そのためには、チュニジア・クラブに加入いただきたいと思います。
ご協力のほどよろしくお願いいたします。