俺にも一言、言わせろ

世の中、腹の立つことばかり。真面目に生きてる一人として、一言述べさせていただきます。連帯を求めて、孤立を恐れず。

靖国神社と私

2006-08-02 02:32:21 | Weblog
正直言って、私にとって靖国神社はどんな神社かピンと来ない。
しかし、お父さんやご主人が戦争で亡くなられた方にとっては、唯一の話のできる場所。
近所の神社で拝めばいいというものではない。
なぜなら、戦争に行った人々は、真剣に”お国のために”戦って死んだのである。
ある人は、天皇陛下万歳!とか、ある人は、お母さん、と叫びつつ。奥さんの写真や、子供たちの写真を抱いて。
死んだら、靖国神社で会おうと言って、出兵して言った夫婦、親子もいたであろう。
その遺族の方々の思いは、到底、私には計り知れない。

そんな、私がコメントするのはおこがましいと思うが、私には政治家たちが純粋にそんな思い出、靖国参拝の議論をしているとは思えない。
すべての政治家とは言わないが、少なくとも小泉の靖国参拝には、政治的配慮があるように思えてしょうがない。
個人的参拝に行って何が悪い?
とヌケヌケと言っているが、所詮は選挙公約だからではないのか?
総裁選の一騎打ちの際に、おごり高ぶった橋本は、中国配慮のために、遺族会の人々に靖国参拝はしないと言ってしまった。
ところが、ここに目をつけた小泉は、
「私は、なんとしても靖国参拝はする」と言い切った。
この瞬間、遺族会は小泉についた。
そして、総裁選は大きく流れを変えてしまった。

世の中では、いやな顔つきの橋本のことを忘れ、小泉のパフォーマンスに走った。
ひょっとすると、我々は、橋本こそが正論ではなかったか?
と疑問に思うことがある。
国全体を視野に入れた外交であるはずなのに、遺族会との公約を果たすため、中国外交をストップさせた小泉こそが戦犯ではなかろうか?

遺族会に話を戻す。
遺族会には多くの政治家が参加している。
その中にはA級戦犯の遺族もいるらしい。
遺族は遺族というかもしれないが、他の多くの遺族は戦争のために行かなくてもいい身内を戦争に引っ張られ、戦死させられた。
戦争を引き起こした連中と一緒にすべきではない。
合祀ということが靖国参拝を大きな問題にしているならば、 A級戦犯の遺族の方々は、遺族会から身を引き、その方々だけの団体を作るべき。
今のA級戦犯のご家族には何の罪もないことだが、歴史的に戦争を引き起こした連中は別扱いすべき。

私は、戦争責任はA級戦犯だけにあるとは思わない。
これはたまたま裁判で決定したこと。
最少の人数をA級戦犯にした。
しかし、戦争責任はそれだけであろうか?
陸軍大将だとかもそうだし、ひょっとすると、中将、少々もそうかもしれない。
少なくとも、当時、ひげを生やし、馬に乗り、威張りくさっていた連中こそ、国民のほとんどは、顔も見たくもない。
また、憲兵隊などもそうである。
すなわち、時の権力者なるものは、決して靖国に入れるべきではないと考える。
国民遺族会の人々の多くは、そう思っているのではないかと、一人思う。

よって、これからA級戦犯と呼ばず、大本営にいた連中および戦争に人々を巻き込んでいった責任ある連中すべて、という言い方にしよう。