祝日の昨日、当町M地区にて松本匡礼(まさひろ)君が信濃グランセローズにこのたび入団することになり、その激励会が行われ、行ってきた。
なにをかくそう松本君は、高校時代同級生で毎日お弁当を一緒に食べていたK子の自慢のご子息なのだ。
3年前、1991年の松商ナインの本を書いている私のことが、地元TV局の目に留まり、たまたま企画していた同局の「15年後のナイン達」という特番の中に取り入れて、放送してくれたことがあった。
それを見たK子が、びっくりしてうちにたづねてきた。
「猫田がこんなことやってたなんて知らなかった。」
聞けばK子の息子さんは、K谷から初めて、上田佳範選手の出た松本アストローズというシニアリーグに通い、
松商学園に進み中原監督の指導を受け、
その後松本大学に進み野球を続けている、ということだった。
こちらこそ、びっくりした。
そのご子息が、このたび大学を無事卒業し、なんと県内初のプロ野球BCリーグ「信濃グランセローズ」(2年前に創立)にドラフト一位指名され、めでたく入団することが決まったのである。
その激励会を、地元M地区で開催し、信濃グランセローズの三沢今朝冶社長(松商出身で上田君が日ハム入団当時の当球団編成部長)や中原監督も来るから、よかったら出席しないかとK子がわざわざ電話をくれた。
喜んで、二つ返事で出席させてもらった。
K谷から、初めて出るプロ野球選手である
ということで、K町町長が会の発起人になっており、出席されていた。私は久しぶりに、とてもお元気で溌剌とした中原監督にお会いでき、うれしかった。
中原監督のスピーチは、相変らずピカイチだった。人を惹きつける力がある。
「勝負は、勝つか負けるか。そのどちらかしかない。これからのポジションは与えられるものではない。自分で奪い取るものだ。松本君、そしてKから長野日大に進んだ加藤君、これからはKの時代が来る。」
うーん、根っからの勝負師、説得力がある。
改めて、こんな山の中から、毎週土日に松本まで通い続けたご両親と本人の努力に頭が下がる。
松本君から始まって、K谷から松本アストローズに通った子供達は実に10人に及ぶという。
(その中には一番南の南Kから通い松商に進んで甲子園にいった茶原君、長野日大に進み1年生でエース、県一に輝いた加藤君、松商に進んだ池井君、東海大三に進んだ荒木大輔君らがいる)
その、最初の道を開いたのが、松本君なのだ。
これは、すごいことだと思う。
(聞けば松本君は高校も大学も寮に入らず、ずっと自宅から通っていたようだ。M地区は失礼ながらFより更に山奥なのだ。そこから毎日通うというのは、どれほど大変なことだろう。)
そしてこのたびのグランセローズ入団。
好きな野球を続けること、夢をあきらめないこと、その大切さを松本君一家から教わった気がした。
(松本君とはこの日が初対面であったが、さわやかな好青年、ちょっと線の細いシャイな感じは石川遼君に似ている気がした)
しかも、こんなKからでも、それができるのだという、勇気をもらった。
会は、地区の人たちや父母会、地元学童やシニアの子供達、同級生達が多く出席し、終始和やかな温かい雰囲気で進行して、とても楽しかった。
(地元特産も入ったお料理もおいしかったし♪)
K子、呼んでくれてありがとうね。
そして今まで、本当にご苦労様。
そして、おめでとう。
「ヤッタネ!」(^^)v
いい息子を持って、育てて、ほんとによかったね。
がんばれ! 松本君。
自分のためにも、これからのKのためにも。
応援しているよ。
なにをかくそう松本君は、高校時代同級生で毎日お弁当を一緒に食べていたK子の自慢のご子息なのだ。
3年前、1991年の松商ナインの本を書いている私のことが、地元TV局の目に留まり、たまたま企画していた同局の「15年後のナイン達」という特番の中に取り入れて、放送してくれたことがあった。
それを見たK子が、びっくりしてうちにたづねてきた。
「猫田がこんなことやってたなんて知らなかった。」
聞けばK子の息子さんは、K谷から初めて、上田佳範選手の出た松本アストローズというシニアリーグに通い、
松商学園に進み中原監督の指導を受け、
その後松本大学に進み野球を続けている、ということだった。
こちらこそ、びっくりした。
そのご子息が、このたび大学を無事卒業し、なんと県内初のプロ野球BCリーグ「信濃グランセローズ」(2年前に創立)にドラフト一位指名され、めでたく入団することが決まったのである。
その激励会を、地元M地区で開催し、信濃グランセローズの三沢今朝冶社長(松商出身で上田君が日ハム入団当時の当球団編成部長)や中原監督も来るから、よかったら出席しないかとK子がわざわざ電話をくれた。
喜んで、二つ返事で出席させてもらった。
K谷から、初めて出るプロ野球選手である
ということで、K町町長が会の発起人になっており、出席されていた。私は久しぶりに、とてもお元気で溌剌とした中原監督にお会いでき、うれしかった。
中原監督のスピーチは、相変らずピカイチだった。人を惹きつける力がある。
「勝負は、勝つか負けるか。そのどちらかしかない。これからのポジションは与えられるものではない。自分で奪い取るものだ。松本君、そしてKから長野日大に進んだ加藤君、これからはKの時代が来る。」
うーん、根っからの勝負師、説得力がある。
改めて、こんな山の中から、毎週土日に松本まで通い続けたご両親と本人の努力に頭が下がる。
松本君から始まって、K谷から松本アストローズに通った子供達は実に10人に及ぶという。
(その中には一番南の南Kから通い松商に進んで甲子園にいった茶原君、長野日大に進み1年生でエース、県一に輝いた加藤君、松商に進んだ池井君、東海大三に進んだ荒木大輔君らがいる)
その、最初の道を開いたのが、松本君なのだ。
これは、すごいことだと思う。
(聞けば松本君は高校も大学も寮に入らず、ずっと自宅から通っていたようだ。M地区は失礼ながらFより更に山奥なのだ。そこから毎日通うというのは、どれほど大変なことだろう。)
そしてこのたびのグランセローズ入団。
好きな野球を続けること、夢をあきらめないこと、その大切さを松本君一家から教わった気がした。
(松本君とはこの日が初対面であったが、さわやかな好青年、ちょっと線の細いシャイな感じは石川遼君に似ている気がした)
しかも、こんなKからでも、それができるのだという、勇気をもらった。
会は、地区の人たちや父母会、地元学童やシニアの子供達、同級生達が多く出席し、終始和やかな温かい雰囲気で進行して、とても楽しかった。
(地元特産も入ったお料理もおいしかったし♪)
K子、呼んでくれてありがとうね。
そして今まで、本当にご苦労様。
そして、おめでとう。
「ヤッタネ!」(^^)v
いい息子を持って、育てて、ほんとによかったね。
がんばれ! 松本君。
自分のためにも、これからのKのためにも。
応援しているよ。