雑文の旅

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猫爺の連続小説「能見数馬」 第十回 遠山裁き

2013-06-21 | 長編小説
【能見数馬 第一回 心医】から読む

 数馬の兄で能見家の後継者、水戸藩士能見篤馬を訪ねた二泊三日の旅の帰り道、千住に入って江戸に帰り着いたのを実感したころで日がとっぷりと暮れてしまった。予定より遅れてしまったのは、梅の開花時期でもないのに、ちょっと寄って行こうと水戸の偕楽園に立ち寄ったのが原因である。江戸に入ったとはいえ夜は物騒である。

 数馬が弱音をはいた。
  「千住でもう一晩旅籠を取りましょうか」
  『せっかく残した路銀が減りますぜ』
  「うーん、もったいないなあ」
  『あっしが付いています、歩きやしょう』
  「来年は長崎へ行って西洋医学を修業したいのですが、父上が金を出してくれるでしょうか」
  『藩は出してくれないのですかい』
  「私は能見家の後継者ではない予備駒ですので、藩の庇護はないのです」
  『冷や飯食いってやつですかい』
  「藩士の長男以下は、自分で生計を立てねばならんのです」
  『たとえば…』
  「農民に成るとか、商人になるとか、武家の養子になるとか」
  『藩医を目指して、藩の奨励金を受けられないのですかい』
  「私は西洋医学の心の医者(今の心療内科医)を目指しているので、藩も親も奨励しないでしょう」
  『つらい立場ですね』
  「何か、金儲けを考えなければなりません」
  『金儲けなら、あっしに任せてくだせい』
  「新さんに」
  『数馬さんは、除霊師になるのです』
  「また霊媒師ですか」
  『今度は除霊専門の祈祷師みたいなものです』
  「嫌ですよ、そんな詐欺みたいなこと」
  『悪霊に取り憑かれて苦しんでいる人を助けるのです』
  「悪霊なんて居るのですか」
  『あっしが取り憑きます』
  「ほら、やっぱり詐欺じゃないですか」
  『あっしの存在は誰にも知られていなのですから、バレやしやせんぜ』
 真夜中過ぎて、数馬は屋敷に帰ってきた。もう、とっくに休んでいる時刻なのに、屋敷に明かりが点いて、ざわざわしていた。数馬は、自分の帰りが遅くなった所為だと思ったが、そうではないらしい。
  「どうかしたのですか母上」
  「あゝ、数馬ですか、帰っていたの」
  「父上の姿が見えませんが、どうかされたのですか」
  「そうではないのです、北町の遠山様と、南町奉行の矢部定謙様のお立場が悪くなっているのです」
  「どういうことです」
  「昼間、寺子屋に浪人者が数人押し入り、子供たちを人質に立て籠もったのです」
  「それで、子供たちに危害は」
  「今のところ、お奉行が犯人たちの言うとおりしして、なんとか無事らしいのですが」
  「遠山様が人質になるから子供を放せと交渉中なのですが、矢部様も一緒でないと交渉に応じられないと突っ撥ねているらしいのです」
  「矢部様はどうされたのですか」
  「今月は北の月番で、矢部様は所用で上総まで行っておいでになるそうなのです」
  「父上はどうされました」
  「遠山様が数馬をお呼びになったのですが、数馬に代わって父上が参りました」
  「わかりました、直ちに北の奉行所に向かいましょう」
 数馬は、かなり疲れていたが、月明かりの道を走って行った。奉行所で寺子屋の場所を教わり、数馬が到着すると、父上能見篤之進が出て来た。
  「数馬、よく来てくれた、遠山殿がお待ち兼ねだ」
  「遠山様はどちらに」
  「寺子屋の入り口においでになる」
 心配顔の人質の子の親たちを分けて入り口を入ってきた数馬の顔を見ると、遠山は「ほっ」とした顔をした。余程数馬が頼れる男だと、認めているようだった。
  「数馬、待ち兼ねたぞ、なんとか打開策はないか考えてくれ」
  「わかりました、まず私が寺子屋の中に入って話をしてきましょう」
  「そんなことをすれば、殺されるかも知れないぞ」
  「お任せ下さい、お奉行様は何もなさらず待機していてください」
  「気を付けなさい」
  「はい」
 数馬が入ると、犯人の男たちは一瞬身構えたが、丸腰の若造と見ると刀を突き付けて脅しにかかった。
  「小僧、何しにきた」
  「はい、子供たちを放して頂きたくてお願いに参りました」
  「それはならぬ、お前も人質になるのだ」と、数馬の襟首を捕まえたとき、突然その男が気を失った。
  「小僧、なにをしたのだ」と、あとの二人が駆け寄ってきた。
 次々に残りの男たちも気を失って倒れた。人質の子供たちの中には、泣く元気もなくしてぐったりとしている子もいたが、数馬の見立てでは、一人残らず無事であった。
  「さあ、悪者が目を覚まさない内に、お父っつあん、おっ母さんのところへ戻ろう」
 数馬の掛け声に、元気な子供たちは「わーっ」と駆け出していった。
元気のない子を両脇に抱えて外にでると、親たちが安堵の面持ちで走り寄ってきて子供を受け取った。
 奉行と役人たちが寺子屋の中に入ると、三人の男たちが「ポカン」とした顔で床に座り込んでいた。役人が三人を縛り上げて連れ出した後、奉行は数馬を呼んだ。
  「数馬、どうやって三人の男を倒したのだ」
  「はい、縛心術或いは誘心術とでも申しましょうか、数馬があの者たちの心に術を掛けました」と、嘘をついた。
本当は、新三郎が男たちの魂を追い出し、自分も抜け出たためである。
  「ほう、なんとすごい術ではないか、やはり数馬は心医であるな」
  「なにしろ、お奉行様の友達でございますから、それなりに…」
  「いつの間にか、友達になりおった」
 奉行の大笑いが、またしても聞かれた。傍にいた能見篤之進も、我が子の働きを誇らしく思っていたに違いない。
 遠山は、これを仕組んだのは、老中水野忠邦とその臣下鳥居耀蔵が、敵対する両江戸奉行の失墜を狙ったものであろうと推理した。

 この数年の後、遠山景元は北町奉行を罷免され、矢部定謙も南町奉行を罷免された後、鳥居はあらぬ濡れ衣を着せられて自害することになるが、この時点で両奉行は予想出来なかった。

 翌朝、能見家は大騒ぎになった。奉行の命を救うほどの偉業を成し遂げた倅を祝って、父親は有頂天に成っていた。
  「さあ数馬、酒を飲め」
  「私はまだ子供でございます」
  「子供が酒を飲んだらいけないというお定めは無いぞ」
  「お定めではありません、苦しくなります」
 肝の臓に酒の有害物を分解する酵素が、まだ充分に備わっていないからだ。
  『あっしが代わりに飲みましょうか』
  「体は数馬です!」
  『あははは、そうだった』
 翌日、町は子供たちの命を救った数馬の噂で持ちきりだった。並んで、遠山左衛門尉影元の英断もまた噂の種であった。


 一つ事件が終われば、また一つ難題を抱える遠山である。次に数馬の意見を訊いてきたは、一人の四歳になる子供をめぐっての、二人の母親の訴たえであった。二人の女は、一歩も譲らず自分が産んだ子供だと言い張る。どちらが実の母かを見破り、子供を実の母に委ねなければならない。そこで遠山は、昔の大岡裁きを思い出したという。大岡は二人の女に子供の両手を引っ張らせて、子供が痛がると手を離した女が実の母だと裁いたのだ。
  「子供の手をとり両方から引っ張り、勝った方が実の母である」と、遠山は二人に告げて、お白洲で引っ張らせた。

 子供が痛がって「わーっ」泣き始めたが、二人の女はそれでも引っ張り続けた。遠山が見かねて「やめい!」と止めると、二人の女は不服そうに手を離した。奉行は一旦奥に引っ込み、数馬に声をかけた。
  「数馬、どう見る この女たちを」
  「それは簡単です、どちらも本当の母親ではありません、自分が産んだ子供が痛がっているのに、手を引っ張り続ける実の母など居ません」
  「それでは、裁きにならぬぞ」
  「いいえ」
 この女達に、「どちらが実の母か分からないので、この子は奉行所で引き取ろう、いくら払えば引き取らせるか」と訊いてみるように耳打ちした。
  「わかった」

  「百両でございます」
  「私は九十八両で結構でございます」
  「では、九十五両で…」
  「いいえ、九十両…」
 二人に競らせておいて、その間にこっそりと新三郎が女に忍び込んだ。
  「元手が十両だから、なんとか八十両は儲けよう」と一人の女、もう一人は、
  「苦労して越前からかっ攫(さら)ってきたのに、足元を見てこの女は十両ぽっちで買い取りやがって」と、本音 新三郎は、それらの呟きをしっかり聞いて戻った。
  「二人の者、よく聞け、お前はその子を越前で盗み、十両でそちらの女に売ったであろう」  女は、「えっ」という顔をした。「この奉行の目が誤魔化せると思うか、この馬鹿者が!」奉行は二人の女に縄を討ち、牢にいれるように役人に指示した。

 早速子供の似顔絵を描かせ、早馬を乗り継ぎ越前に向けて使者を飛ばした。数馬の指摘が的中して、子供を連れ去られた両親が現れた。ある村の庄屋の娘であった。汚い身なりをした子供たちのなかで、一人だけ綺麗な娘が居たので、金になると思い連れ去ったらしい。
 奉行は不思議に思った。いくら他人の心を読むのが得意だとは言え、場所を越前とまで言ってのけた数馬に、どうにも納得がいかないのであった。
  「数馬、なぜそこまで分かったのか」
  「はい、子供を掠ってきた女が呟いたので、その小さな唇の動きを読み取りました」

 遠山影元は感嘆した。南北奉行たちの窮地を救ってくれたことと言い、この裁きの早い解決と言い、これはお上に申し出て、予てから「長崎へ勉強に行きたい」と漏らしていた数馬の願いを叶えてやらねばなるまいと、影元は密かに思うのであった。

   (遠山裁き・終)   ―続く―   (原稿用紙12枚)

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