雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺の連続小説「能見数馬」 第三回 十四歳の占い師

2013-06-09 | 長編小説
 能見数馬の目前を、四人の男が人を探している様子で通り過ぎて行った。数馬が何事かと訝るっていると、暫くして十七・八の町娘が、男たちが走って行った方向に歩いて行った。数馬は胸騒ぎがして、思わず娘に声をかけてしまった。


  「娘さん、ちょっとお待ちになって下さい」
  「わたくしですか?」
  「はい、そうです。私は占い師の能見数馬と申す者、あなたに御難の相が現れています」
 娘は、「ほほほ」と笑って、「わたくしは占いなど信じませんので」と、その場から立ち去ろうとした。
  「そうですか、それでも其方の方角に行かれるのはお止しになられたほうが…」
  「ですから、占いは信じませんと言っているではありませんか」と、ちょっと苛ついた様子であった。
  「見料など頂戴しませんから」
  「お若いお武家様、どんな魂胆かは知りませんが、少しくどくはありませんか」
 娘は、言い放った。
  「申し訳ない、気掛かりだったもので…」
 数馬は、立ち去る娘の後ろ姿を暫く目で追ったが、「自分の思い過ごしであろう」と、忘れることにした。
 日が暮れて、所用を済ませた数馬が大川橋を渡ろうとしたとき、今まさに川へ飛び込もうとしている娘の姿が目に入った。
 数馬が「お待ちなさい!」と、大声を出したのを合図のように、娘は橋から飛び降りた。数馬は後先を考えず、着物を脱ぐと川へ飛び込んでいた。泳ぎは達者だったが、川の流れが速くて苦労した。まず水に潜り、娘の足を持って頭が水面の上になるように持ち上げ、娘を仰向けにして首に左腕をまわし、右腕と足だけで何とか川岸まで泳ぎ着いた。
 娘は少し水を飲んでいたが、自分で吐き出すとケロッとした顔で言った。
  「また、昼間の占い師の方でしたか、もうわたくしのことはほっといて頂けませんか」
  「命を粗末にするのを見て、それは出来ません」
  「あなたさまの占いを信じていればこうは成らなかったと仰いたいのでしょうが、わたくしは後悔などしておりません」
  「何か有ったのですね、話して頂けませんか」
 数馬は「その前に」と断って、「取敢えず、その濡れた着物をお脱ぎになって、わたしの着物を羽織って頂けませんか?」
わたしは、暫くあちらにおりますから、と堤を指差しその方へ歩いて行った。着替えた頃合いを見て戻ると、男物の着物を着たのが余程恥ずかしいのか、それとも数馬の褌姿を見るのが恥ずかしいのか、娘は小さく屈みこんでいた。
  「娘さん、ここから二、三町行ったところに私の屋敷があります。そこで今後のことをお話ししませんか?」
  「でも、そのお姿では…」
  「わたしは男ですから平気ですよ」
 数馬は笑った。
  「わかりました。あなたさまにお任せいたします」
 娘は、すっかり頑なな態度を改め、数馬に従う覚悟を決めたようであった。
  「お譲さん、お風呂を沸かせましたから、お身を清めていらっしゃいな」
 数馬の母が、何かと客の世話をやいていた。 姉は自分の着物と襦袢などを用意して、「お風呂からお上りになりましたら、お着せ致しますから」と、姉妹ができたように突然の女性客を喜んでいるようであった。
  「娘さんは、どちらのどなたですか?」
 今まで、何も聞いていないことに気付いた数馬が娘に尋ねた。
  「下崎町の薬種問屋、蔦ノ屋の娘結衣と申します」
  「では、使用人を走らせて、無事で当家にお預かりしていることをご両親にお伝えしましょう」
  「でも、父母は心配していないと思います」
  「それは、何故ですか?」
  「父母の思い通りにならない娘ですから」
  「我が娘の安否が気にならない両親など居ましょうか」
  「わたくしを、良家に嫁がせることしか頭にない親たちですから」
  「そうですか。でも拐かされたとお思いかも知れません。一応、使いを遣ります」
  「お世話をおかけします」
 この娘は数馬に会ってから今までで、初めて礼らしい言葉を発した。

 客間の大卓にお茶と茶菓を用意させて、数馬は結衣と二人で向き合った。数馬の姉が結衣の乱れた髪を直したらしく、また姉の着物がよく似合って、あの慇懃無礼な娘はどこかに去り、可愛らしい結衣が座っていた。
  「昼間、あなたは若い武士たちに襲われたのではないですか」
  「その通りです。わたくしには、親の薦める縁談を断っても一緒になりたい人がいます」
 それは、まだ医者見習いの農家の三男坊松吉という若者で、町の養生所に住み込んでいると打ち明けた。
  「その人の名を騙(かた)って、誘(おび)き寄せられたようですね。御難の相が顕れていると申し上げたときの、あなたの一途な気持ちがそれを物語っていました」
  「はい、愛しい人に逢いたい一心でした」
 しかし、呼び出された場所に行ってみると、無頼の旗本の若様が待っており、廃屋に連れ込まれて取り巻きの若い男たちと共に乱暴されたという。
 このまま家にも帰れず、こんなにも汚れてしまった体で愛しい人のところに行く気にもなれず、思い余って川に身を投げたところを数馬に助けられたのだった。
  「旗本は町方には手が出せません。ですが、そのために目付が置かれているのです」
 旗本の若様については、数馬が調べて「手を打ちましょう」と言った。  この若すぎる武家の御曹司に何が出来るのだろうと、結衣は内心「気休めだろう」と、考えていた。
 娘の両親に知らせに走った能見家の使用人が、「そんな娘は要らないから、焼くなり煮るなり、能見さまにお任せします」との返事を持って戻ってきた。
  「そうで御座いましょう。多分私はあの両親の娘ではないと思います」
 結衣もまた平然としていた。
  「それにしても、呆れ申した」
 数馬は、こんな親子も居るのだと、世の中の広さに驚かされた。
  「わたしの占いでは、あなたは幸せを掴むと出ています」
  「こんなわたくしが、で御座いますか」
「はい、明日松吉さんに会いに行きましょう」
  「こんな汚れた体で、嫌でございます。もう、生涯あの方のことは考えないようにします」
  「体の傷跡も、心の傷跡も生涯消えることはありません。でも、痛みは消えます。松吉さんの愛が本物であれば、きっと彼が痛みを取り除いてくれるでしょう」
 これ以上悲しい思いはしたくないと渋る結衣を「わたしの占いを信じて…」と宥(なだ)め、ふたりは松吉が働く養生所へ向かった。
 結衣が自分に会いにきてくれたことを、松吉は大喜びして迎えてくれた。数馬は、その喜びが「すーっ」と消えることを話さなければならなかった。結衣に起こった一連の身の上を包み隠さず聞いた松吉の顔色が変わった。
 やがて怒りの表情になり、壁に自分の頭を打ち付けた。怒りは、旗本の無頼息子に向けたものではなかった。その話を聞き、怯(ひる)んだ自分への怒りであった。
  「もし私が武士であったなら、その男たちを斬り、私も切腹して果てたでありましょう」  松吉が流す涙は、血も混じりかねなかった。   「私の復讐は、医者を志すものとして結衣さんの傷を治すことです。医者としては、まだまだ未熟ですが、結衣さんへの愛は誰にも負けません」
 数馬は、自分の占い、いや、読みが正しかったことを確信した。
  「結衣さんの行き場所がないなら、この養生所で私と一緒に働きませんか?」
 ちょうど、病人を介護する女手が足りなくて困っていたところだった所長は、「是非」と、言ってくれた。  食事と寝所は提供するが、お給金は「雀の涙」程しか出せないと所長は恥じながら言った。私立の養生所は、お上が運営する養生所のようにお上からの助成金が皆無だからである。
  「それでも構いません」と、結衣は快諾し、いつの日か松吉の妻になることを夢見た。
  「私が医者になれたら、ご両親のところへ挨拶に行きましょう」
 松吉の胸も膨らんだ。
  「その頃は、数馬さんも立派な大人に成られておいででしょう。私たちの媒酌をお願いします」
  「立派な大人かどうかは補償の限りではありませんが、引き受けましょう」
 実のところ数馬に自身はなかった。媒酌人は夫婦でやるものだから…。

 日を改めて、数馬は北町奉行を訪ねていた。無頼の旗本の若様を突き止めたこともあり、二つの願い事をするためであった。
 一つは、登城の際に無頼の若様の父上に耳打ちしてほしいことがあると、断られることを承知で願ってみた。
 一言、「ご子息三男坊の暴虐ぶりをお目付けに進言しょうとしている者がいます。お気を付けられますように」と。
 もう一つ、下崎町の薬種問屋、蔦ノ屋の娘結衣が受けた難儀と、両親の娘への仕打ちなどをこと細かく話し、時が満ちてこの二人が結ばれるとき、この冷酷な両親に会いに行き、「駆け落ち者」と訴えられる恐れがある。そうなれば、松吉は死罪を免れない。駆け落ちではないというお奉行の「お墨付き」を、この二人に持たせてやりたいという数馬の親心である。
  「数馬に親心があるとは、恐れ入った」 と、大笑いしながらも遠山影元は筆を執った。  それ以後、無頼の若様の悪い噂がすっかり消えた。

   (十四歳の占い師 終)  ―続く―   (原稿用紙12枚)


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猫爺の連続小説「能見数馬」 第四回 若き霊媒者

2013-06-09 | 長編小説
【能見数馬 第一回 心医】から読む

 ある日の昼下がり、数馬が水戸藩の藩学分校から戻ると、門口の掃除をしていた下男の伝兵衛が「数馬さま、先程から客人がお待ちです」と、庭の隅を指差した。伊東良庵養生所の見習医者松吉だった。伝兵衛は客間に通そうと思ったが、「ここで待たせて貰います」 と、庭石に腰を掛けて待っていたそうである。
  「松吉さん、いらっしゃい。どうされました?」
 数馬の声を聞いて松吉は立ち上がり一礼をした。
  「数馬さまにご相談があり、罷り越してございます」
  「こんな若造の前で、そんなに畏まらないで下さい。結衣さんのご機嫌はよろしいですか?」
  「はい、それはもう活き活きとして、よく働いてくれます」
  「それは良かった」
  「今日伺ったのは、結衣さんのことではありません」
  「お聞きしましょう。ところで松吉さんは昼の食事は摂られましたか?」
  「いえ、まだです」
  「わたしも腹が減りました。母上が何か用意していると思います。家に入って、お話は食べながら伺いましょう」

  数馬は松吉を自分の部屋に案内し下女に二人分の食事を持ってこさせ、松吉と食べながら話した。
  「相談というのは、どのようなことでしょう?」
  「数馬さまが心医という医者を目指していると結衣さんから聞きまして」
  「誤解なさらないで下さい。わたしは心の臓の病を治す医者を目指しているのではありません」
  「はい、承知しております。魂医とかいう胡散臭い医者で無いことも存じております」
  「それで安心しました。どうぞお話し下さい」
  「実は、病人のことなのです」
 松吉が話したのは養生所の患者の病状である。昼間は普通の生活をしているのだが、夜になると体中に痛みが走り眠れないという。亡霊に取り憑かれているのか、恐ろしい幻覚を見るらしく、呻いたり騒いだり悲鳴を上げたりで、霊能者に見てもらったところ悪霊が憑いていると言われ、大枚を払って悪霊祓いをしてもらったが一向に良くならない。家族の手に負えないので養生所預かり(現在でいう入院)にして昼夜脈診をしてみるが異状なく、薬剤も効かないためどうしても原因が掴めない。もしかしたら、これは数馬さまが言っておられた心の病ではないかと、結衣が言い出したのである。
  「わかりました。ちょうど明日は藩学が休みなので、今から養生所へ行きましょう」
  「そうですか。恐れ入り序にお願いですが、今夜は養生所で明かしていただけませんか?」
  「もちろんです。今夜、診察のお手伝いをしましょう」

 数馬は、母上に告げるために部屋を出たが、すぐに母上と共に戻ってきた。
  「こんな子供がお役に立つのでしょうかねぇ」
 母上は笑いながら、「お寝しょをしたら、ぶってやって下さいよ」と、冗談を言った。
  「お寝しょとは酷い、いつまでも赤ん坊扱いされていますから、数馬は中々大人に成れません」

母上が部屋から出て行くと、数馬は声を潜めて、「病人には、わたしを権威ある霊媒者の後継者で、生まれついての霊能力を持った御曹司と嘘の紹介をして下さい」
 数馬が、何を企んでいるのか、或いは悪戯心なのか、松吉には想像がつかなかった。

   道すがら、数馬は松吉に病人について質問をした。病人というのは父親辰平が一代で築き上げた小間物店の長男で、小売店といえどもそれなりの構えと、使用人も五・六人雇っている商家である。
 辰平夫婦には二人の男の子供があり、長男を卯吉、次男は寅次郎という。卯吉は二十歳で博打好き、寅次郎は十六歳の真面目過ぎるくらい真面目な性格で、店の帳簿管理など任されるくらいであった。それに比べて卯吉は、放蕩とまではいかないまでも、ちょくちょく店の金をくすねては博打で使い果たし、父親の辰平に見つかりこっ酷く叱られていた。
 そんなこんなで卯吉と父親は普段から折り合いが悪く、時には派手に親子喧嘩をやらかし、「お前を勘当して、店は寅次郎に継がせる」と、言うのが辰平の口癖になっていた。

 その日、辰平は卯吉に身を固めさせようと二階の卯吉の部屋へ上がったが、思いとどまったのか卯吉の部屋に入らずに降りようとして、階段から足を踏み外して転げ落ち、そのまま帰らぬ人となった。口さがの無い使用人の中には、勘当を言い渡されて「卯吉がカッとなって突き落とした」と噂をしていた。

 松吉に紹介されて、徐に卯吉の前にドッカと胡坐をかいた数馬は、敵に合った小動物が毛を膨らませて出来るだけ大きく見せようとするかのように、肩を怒からせていた。
  「どうぞ、お楽になさって下さい」と、数馬が言った。松吉は横を向いて「ぶっ」と、笑った。どう見ても数馬の方がぎくしゃくしていたからだ。
  「今夜、わたしがあなたに取り憑いている霊に逢って話を聞いてきます」
  「よろしくお願い致します」
 体格は大柄であるが、少しばかり気が弱そうな卯吉であった。昼間は正常という松吉の言葉通り、とても病人と言える様子はなかった。少しばかり世間話のような会話をして「それでは夜にまた参ります」と、数馬は病人の部屋を出た。

 夜、再び卯吉の部屋に入ると、卯吉の様子は一変していた。姿が見えない何かを恐れて、顔面は蒼白になり、体が小刻みに震えていた。
  「卯吉さん、私が今から霊に合ってきます。安心して、わたしを見ていて下さい」
 数馬は、祈祷をするでもなく、念仏を唱えるわけでもなく、黙って目を瞑り、静かに座っているだけだったが、突然立ち上がろうとして、横向けにばったり倒れた。数馬は悶えることもなく、身動きさえしなくなった。ほんの少し時間が流れ、数馬は意識を戻した。
  「卯吉さんに取り憑いたのは悪霊ではなく、あなたのお父さんでした」
 それを聞いて、卯吉は狼狽した。数馬は、卯吉の様子をしっかり見届けていた。
  「卯吉さん、安心しなさい。お父さんは、卯吉さんのことを心配なさっているのです」
 卯吉は、怪訝そうに数馬を見つめた。その顔は、「なぜ?」と、言っていた。
  「お父さんが亡くなったあの日、卯吉さんに身を固めさせようと縁談を持って二階に上がると、卯吉さんが寝ている様子だったので後にしようと後戻りしかかったとき、階段の一番上で眩暈に襲われて、まるで背中を突かれたように前に崩れ落ち、そのまま気を失い亡くなってしまったと仰いました」更に、「倅の卯吉が背中を突いたのではないと、断言されていました」
 何かお心当たりがあるようですねと、数馬は卯吉の表情を読み取って更に続けた。
  「お前を叱ってばかりいたこの父を、どうか許しておくれとも言われました」
 卯吉は下を向いて聞いていたが、グスグスと洟をすすり始めた。
  「お父さんは、兄弟で、店を盛り立ててくれるのが何よりの供養だそうですよ」

 その日限り、卯吉の病状は消えていた。弟寅次郎と力を合わせて商いに精を出し、傾きかかった店を立て直すべく努力した。そんな日々のなか、弟の寅次郎が突然伊東良庵養生所を訪れ、霊媒師の先生に会いたいと言ってきた。
  「先生は忙しくて会われないでしょう」と、松吉が断ると、「兄の命を救ってもらったことにお礼を申し上げたい」と、言う。
 松吉は、「命を救ったとは何と大袈裟な」と、思ったが、
「先生に伝えるから、先生の手がお空きになったら連絡します。そのときは、ここへいらっしゃって頂きましょう」と、寅次郎を帰した。

 その旨を数馬に伝えると、数馬は「そうだったのか」と、呟いた。寅次郎は、何もかも知っていたのだ。兄が、階段で父の背中を押してしまったことも、数馬が霊媒師ではなかったことも。
 兄が、自分が犯した罪の意識に耐え切れずに自訴すれば親殺しは大罪、どのような事情があろうとも磔獄門の刑は免れない。そこで数馬が兄の罪意識を和らげて、その代わりに商いに精をだすように仕向けてくれたのだ。
 それを感じ取り、寅次郎は「兄の命を救って貰った」と言い、その礼を言いたかったのである。
  「お断りします」
 松吉の、「寅次郎に会ってやって欲しい」と言うのを、数馬はきっぱり断った。理由は、「地獄で閻魔様に舌を抜かれるのはごめんです」
  「霊媒師なんて、全部嘘つきじゃないですか」と、松吉は言おうとして止めた。
 この人は霊媒師と違って、自分の嘘に罪意識を持っているのだなあと思ったからである。

   (若き霊媒者・終)  ―続く―   (原稿用紙10枚)

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猫爺の連続小説「能見数馬」 第二回 江戸の探偵

2013-06-09 | 長編小説
  【能見数馬 第一回 心医】から読む

 朝早く、能見篤之進の役宅の門がドンドンと叩かれた。使用人の伝兵衛が戸を開けると、当家の次男数馬に逢いたいという少年が立っていた。
  「数馬さまはご在宅で御座いましょうか?」
  「はい、どなた様ですか?」
  「わたくしは江戸北町奉行所の同心、田中将太郎さまの元で働く目明し達吉の倅、仙一ともうします」
  「もうお目覚めになる頃です。窺って参りますから、暫くここでお待ち下さい」
 勝手に通してもよいものか判断できないため、伝兵衛は失礼かと思ったが客人を門前で待たせて一旦門を閉めた。 しばらくすると、再び門が開いた。
  「お待たせしました、私が数馬です。仙一殿とは、どこかでご一緒になりましたか?」
  「いえ、お初のお目通りです」 と、仙一は深々と一礼した。
  「ここで立ち話は失礼です。伝兵衛、お客さまをお部屋にご案内して下さい」
  「はい、数馬さま」
 客間に通された仙一は、香呂の白檀の香りに促されるように口を開いた。
  「昨日、父の達吉は斬殺されました」
  「斬殺とは、何故に」
 数馬は、どう慰めてよいものか、とっさに言葉が出てこなかった。
  「同心の田中将太郎さまは、試し斬り目的の辻斬りとしてお奉行に報告すると、簡単に片付けてしまいました」
 辻斬りとは合点がいかず、埋葬するのを躊躇していたら、父の弔いを依頼した経念寺の亮啓という御坊が声を掛けて、「水戸藩士能見さまのご子息数馬さまに思いを打ち明けてみなされとお教え頂きました」
 亮啓は、数馬さまは仙一さんと同じ年頃で、とても利発な方だから、気軽に相談できるだろうと口添えしていた。
  「それで、あなたの思いとはどのような…」
  「はい、父は密かにある事件を探索していました。その事件に関わる者に殺されたのではないかと思うのです」
  「わかりました。 お父さんのご遺体は、もう埋葬されましたか?」
  「いえ、亮啓さまが、数馬さまにお見せしてから埋葬しようと仰ったもので」
  「では、今から直ぐに経念寺へ参りましょう」
 経念寺では、亮啓が本堂へ案内してくれた。 仏前に畳を敷き、遺体が安置されていた。住職の読経の中、仙一が遺体に掛けてあった白布を捲り、死装束の胸を肌蹴て傷口を見せてくれた。肋骨を避けて刀を肋骨と平行に、一突きで心臓に突きたてていた。
  「背中にも刀傷があるでしょうね」
 仙一は遺体を俯せにして、背中の刀傷も見せた。
  「これは、武士の試し斬りではありません」
 傷口を確かめていた数馬が、静かに言った。 これは、心臓を一突きにされて素早く刀抜かれている。返り血を浴びないように、しかも確実に相手を殺害する殺し屋の手口だ。こうすることによって、襲われた人は即死状態で前のめりに倒れ、血は飛び散らず、湧き出るように流れる。
  「お役人が、試し斬りだという根拠はなんですか?」
 数馬が仙一に尋ねた。
  「遺体の近くに、家紋の入った印籠が落ちていたことです」
  「その印籠を、仙一どのも見ましたか」
  「はい、同心の田中さまが見せて下さいました」
  「血は付いていましたか?」
  「いいえ、血はついていませんでした」
  「やはりそうですね」
  「なぜそのようなことを?」
  「この殺人が、偶発的な辻斬りによる殺害ではないからです」
  「と、言いますと?やはり…」
  「お父さんが殺される前に、何か大きな事件がありませんでしたか?」
  「ありました。十日ほど前に両替屋のお店が押し込み強盗に入られて、千両箱が奪われ、手代一人を除いて店の中で皆殺しに遭っています」
  「何と酷いことを…」
 数馬は、強い憤りを覚えた。
 「その手代は、小野川の渡し場で殺されていました」
  「お父さんは、その事件を追っていたのですね」
  「そうです、ようやく事件が見えてきたようで、同心の田中将太郎さまに知らせなければと家を出たその夜に殺されたのです」
  「わたしにも、事件の真相が見えてきたように思います」
 数馬の目が輝いていた。
  「本当でございますか」
  「はい、わたしはこの事件の囮になろうと思います」
  「数馬さん、危険なことをされてはいけません。お役人にお任せなさい」
 亮啓が、心配そうに言った。
  「囮ならわたしがなりましょう」 と、仙一。
  「いえ、わたしに考えがあります。どうぞ安心して私にお任せ下さい」
 数馬は、自信ありげに言った。その夜、数馬は父上の能見篤之進に事件のことも、これから自分がやろうとしている事も全部打ち明けた。篤之進は止めることなく、「よし、わかった」と、友人の北町奉行遠山影元に手紙を書くから、明日それを持って北町奉行所に行きなさいと、長文の手紙を書いてくれた。
 奉行は、人の良さそうな笑顔で、「承知した」と、言った。自分に捕り手を付けて欲しいと頼んだところ、奉行は自分も行くと言いだした。
 「それはあまりにも…」と遠慮する数馬に、能見殿のご子息に傷でも負わせてはならんからと、町人に姿を変えて付き添い、隠れて付いてくれることになった。
 行先は奉行の配下、同心の田中将太郎の屋敷であった。数馬は独りで屋敷に入っていった。
  「私は水戸藩士能見篤之進の倅で、能見数馬と申す者です」と、応対に出た使用人らしき男に告げると、すぐに将太郎が戸口に立った。
  「拙者に何か用か?」
 相手が若造とみて、ぞんざいな言葉で応対してきた。
  「はい、殺された岡っ引き達吉のことでお耳に入れたいことが御座いまして」
  「あゝ、達吉か、私の元で十手を預かっていたが、可哀想なことをした」
  「達吉さんが殺される前日に、両替屋の押し込み強盗の手がかりを掴んだと言って、こっそり話してくれました」
  「ほお、どんなことだ」
  「はい、この事件には、北町奉行の同心が関わっているとか」
  「それは誰だね」
  「私がここへ来たのは、どうしてかとお聞きになりませんね」
  「その同心が、このわしだとでも言うのか」
  「さあ、それは今ここで明かしますと、私の命が危のう御座います」
  「小野川の渡しで、押し込み強盗の手引きをした両替屋の手代が口封じに殺される現場も目撃したと言っていました」
  「貴様、達吉とどんな関係だ」
  「子供の頃から可愛がって貰っています。親子みたいな関係でしょうか?」
  「小野川を下り、大川へ出る前の、夜は人通りのない船着き場と言えば、宮里ですね」
  「それがどうした?」
  「両替屋から奪った千両箱は、宮里あたりに隠されていることでしょう。捜索はされましたか?」
  「そんな漠然とした情報で捜索は出来ない」
  「何故で御座いますか?達吉の調査では盗まれた千両箱の中身は、上方の商人と取引するための両替用の丁銀であったそうです。蔵改めをすれば出る筈です」
  「あははは、若造、考えが甘いぞ、千両箱の中身は全部小判であったわ」
  「おかしいな、そんな筈はないのだが」
  「お前は、もうここから生きては帰れぬから教えてやろう。盗賊楽天組の頭目はこのわしじゃ」
  「やはり、そうでしたか。序にその小判の行方は?」
  「貴様のいう通りじゃ、宮里のある寺の墓地に眠っておるわ」
  「そうでしょう。あの寺には、田中家の先祖の墓がありますからね」
  「よく調べておるのう。達吉が調べたのか?」
  「いえ、これはわたしの当てずっぽうでございます」
 田中将太郎は手を打って、仲間を呼んだ。
  「もういいぞ、出て参れ」
 奥から人相の悪い男たちが二人出て来た。 数馬も叫んだ。
  「遠山さま、お聞きに成りましたか」
 頬被りをした遠山影元が「おゝ、聞き申した」 その声を合図に捕り手がずらり。

 捕えた三人を吐かせて、盗賊の残りも総て捕えられ、盗まれた小判も発見された。盗賊は悉く市中引き回しのうえ、磔獄門の刑となった。仙一は父親の弔いを済ませ、数馬と共に北町奉行遠山左衛門尉影元さまのところへお礼に行った。
 お奉行は気さくな人柄で、すぐに合ってくれた。
  「いやいや、礼はこちらが言わねばならない。お蔭で事件は解決した」
 奉行は獅子身中の虫を見抜けず、達吉を死なせてしまったことを詫びた。
  「達吉さんの遺体の傍に落ちていた印籠はどうなりましたか?」
  「あれはとある藩の武士がスリに盗まれたものだった」
  「お奉行様、ひとつお願いがあります」
  「褒美の品か?」
  「いいえ、岡っ引き達吉の倅どのを、下っ引き見習いに就かせて下さい」
  「そうだなァ、成績の良い同心を見付けて、任せてみよう」
  「きっと、達吉さんのような立派な岡っ引きになりましょう」 なァ、と数馬は仙一に言った。
 仙一は嬉しそうに、よろしくお願いします。と、頭を下げた。 帰り道、「仙一さん私達、良い友達になれそうですね」
 数馬は、仙一の肩をポンと叩いていった。 末は、仙一に能見家の養子になって、同心、いや与力にもなって貰いたいと思う数馬であった。


 (江戸の探偵・能見数馬 終)-続く-   (原稿用紙12枚)


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