雑文の旅

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猫爺の連載小説「池田の亥之吉」 第二十六回 政吉、頑張りや

2013-11-08 | 長編小説
 両替商(=金融業)の店先で、用心棒と思(おぼ)しき男たちに亥之吉と政吉が殴られた。 その瞬間を北町奉行所与力、長坂清三郎が飛び込んできて目撃した。 長坂が外に控えていた仙一や大江戸一家の者達に合図を送ると、亥之吉たちを殴っていた用心棒を取り押さえた。
   「店主、何故にこの男たちを殴らせた」
   「借金の返済に来たから証文を見せてくれと言いますので見せましたら、証文にケチを付けて払おうとしないもので、ついカッとなって…」
   「左様か、無抵抗の二人が殴られるところを目撃しては、黙って見過ごす訳には参らぬでのう」
   「私はまた強請(ゆす)り集(たか)りの類(たぐい)の者かと思いまして、懲らしめてやらねばと出過ぎたことをさせてしまいました」
 長坂清三郎は、店主に向かって、「その証文を拙者にも見せてもらいたい」と言うと、店主は渋々差し出した。
   「債務者の菊菱屋政衛門の代理はその方か」と、長坂は政吉を見た。
   「はい、倅の政吉でございます」 と、政吉は流暢な江戸言葉で答えた。
 長坂は、亥之吉に向かって、「お前たちは、ここで脅しでもしたのか」と、問い正した。
   「いいえ、借金の返済に来たのですが、証文の債権者の名が、この両替商とは違いますので、債権者に直接返したいと申しただけです」
   「尤(もっと)もである、それで店主はその債権者の名を教えてくれたか」
   「いいえ、債権者に依頼されているとかで、教えてはくれはりません」
 長坂清三郎は、今度は店主に問うた。
   「何故教えてやらぬ、訳でもあるのか」
   「いえいえ、訳などありません、証文は私が預かっておりますので、債権者のところへ行っても意味がありません」
   「この宮城屋陸奥衛門と言うのは、江戸の者か」
   「いいえ、江戸ではございません」
   「遠いのか」
   「はい、陸奥の国です」
   「ほう、陸奥の国で陸奥衛門か、出来過ぎた名だな」
   「出来過ぎたと申されましても、それが其の者の名ですから」
   「だがのう、その様に遠方の者が、どうして江戸で金を貸したのであろう」
   「偶々(たまたま)私の店に来ていたときに、菊菱屋政衛門さんが金を借りにきましたが、私共には資金不足でお貸しすることが出来ないと断りましたところ、陸奥衛門さんが気の毒に思ってお貸しされたので御座います」
   「一年前に、陸奥衛門から借りた金はいくらだったのだ」
   「十両でございます」 店主は、それは証文に書いてあるだろうと言わぬばかりであった。
   「両替商に、たったの十両が無かったのか まあそれは良いとして、その十両の元金は返せなかったものの、菊菱屋政衛門は、何ヶ月かは利息を入れたのであろう」
   「はい、半年の間は利息を受けとっております」
   「では、利息はその後の半年分が納められていないのだな」
   「はい、その通りでございます」
   「では、元利合計で、いくら返済すればよいのだ」
   「はい、利息の延滞料を含めて、百両になり…」 と、言いかけて、店主は「しまった」と思ったのか、黙り込んでしまった」
   「では、確認するが、十両が半年で十倍の百両に脹れあがったのだな」
 店主は、しばらく考えていたが、
   「私共は、ただ宮城屋陸奥衛門さんに頼まれただけですので、詳しいことは分かりません」
   「左様か、よく出来た話だのう、ところで、この証文を北町奉行所で預からせて貰えぬか」
   「証文を何となさいますか」
   「陸奥の国の各藩に要請して、宮城屋陸奥衛門なる人物を突きとめさせようと思う」
   「何故でございます」
   「もし、これが存在しない人物の名であれば、其の方は無謀にも公定利子を無視し、巨額の利子を課そうとした罪で、札差の鑑札は没収されるであろう」
 いや、そればかりではない。 その過酷な暴利を取り立てるために脅し、熾烈(しれつ)な暴言、暴力にまで及び、時として債務者を自害にまで追い込んだ罪は、遠島、さらには死罪にも値すると、長坂は目には目をで、これまた脅迫紛(きょうはくまが)いの忠告をした。

 店主は突然、その場にひれ伏して許しを乞うた。
   「拙者は北町の、お奉行の命(めい)を受けてこれに在り、拙者の任務は有体(ありてい)にお奉行に子細を報告するだけである」
 長坂が帰ろうとすると、店主が呼び止めた。
   「お待ちください、残金は帳消しとしてその証文は菊菱屋さんにお返しいたします」
   「それは、どういうことだ、不正手段で暴利を貪ったことを認めるのか」
   「これから、陸奥の国の宮城屋陸奥衛門さんに報告して、返事を貰っていたら早飛脚(はやびきゃく)でも五、六日先になります」
   「だから」
   「はい、私の自腹でこの百両を陸奥衛門さんにお返しいたします」
   「ことを荒立てるなということか」
   「はい、わたくし共の信用にも関わることですし…」
   「場合によれば、死罪になるかも知れない大事を、与力の拙者ごときが裁けると思うか」
   「こうなっては、何もかも白状します、どうかお情けを…」
   「その白状とやらを申してみよ」
   「はい、宮城屋陸奥衛門は存在しない人物です、何も可も私の一存でやりました」
 長坂清次郎は、亥之吉と政吉、その他の者を見渡し、
   「店主の今の言葉聞いたであろう、みんなに証言してもらうことになると思う、しっかり覚えておくように」
   「どうぞ、お許しを」と、店主は床に平伏して長坂の情けを乞うた。
   「ご店主、少々願いがあるのだが…」
 店主は、不安げに顔を上げた。
   「菊菱屋が収めた六ヶ月分の利子から、元金と公定利子分を差っ引いた金を、この政吉とやらに返してやってはくれぬか」
   「はい、それはお返しいたします」
   「それからもうひとつ、菊菱屋からせしめた店の権利書も返してやってくれ」
   「はい、承知いたしました」
   「そうか、それは殊勝である、では直ぐに算盤を弾いてくれ」
   「菊菱屋さんから、利息分として約三十両を頂いておりますが、公定年利は一分五厘です、もうそれは無いことにして、元金を引いた二十両をお返しいたします」
   「それでは、公定利子分を拙者が強請(ゆすり)盗ったことになるではないか、では一両を利息として、十九両を返してやってくれ」
   「承知しました、只今、権利書とお金をお持ちいたします」
 店主は、十九両と権利書を政吉に返した。
   「それでは、証文を破り捨ててくださいませ」
 長坂は、憮然として言い返した。
   「それは出来ぬ、菊菱屋の件はこれで片が付いたが、不正金利劫奪(こうだつ)の方は片が付いてはおらぬ」
 北町奉行所与力長坂清三郎は、「ここは、これで引き上げよう」と、皆を引き連れて、店を後にした。
 長坂は、事の次第をお奉行に報告し、証拠の一つとして証文を手渡した。
   「札差の自白は、十名のものが聞いております」
   「そうか、この債権者の宮城屋陸奥衛門というのは、存在しない人物なのだな」
 奉行は、この札差の悪辣な手口に呆れるばかりであった。
   「よし、縄にしよう、これを江戸中の札差の見せしめにしなければならぬ」
 この札差と両替屋の店がどうなったのか、亥之吉たちは聞かされていないが、間もなく店は閉められ、用心棒たちも、店の使用人も、消えてしまった。 空き家となった店舗は、お上が没収して下げ渡しを公募したが、買い手が付かなかった。 亥之吉が長坂に会って聞いてみたら、買い手が付かない場合は取り壊しになるのだそうであった。
   「わいが買いましょう」
 亥之吉は、どうせ取り壊す店舗なら、お上(かみ)相手に買価の交渉をし、折り合いが付けばお下げ渡しを受けようと言うのだ。 お上とて、取り壊しの費用が節約でき、しかも売却料が入るのだ。 そう高額な値段は付けまいと亥之吉は践(ふ)み、この立派な店舗に福島屋の暖簾を掛けようと策したのである。 商売が波に乗れば、両替屋で働いていた使用人も受け入れる積りだ。
   「おっと、その前にすることがある」
 菊菱屋のお店(たな)の再興に手を貸すことだ。
   「政吉、がんばりや、わいもがんばるで」

第二十六回 政吉、頑張りや(終) -次回に続く- (原稿用紙11枚)

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