雑文の旅

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猫爺の連載小説「池田の亥之吉」 第二十三回 政吉、足をあらう

2013-11-02 | 長編小説
 池田の亥之吉、豪放磊落(ごうほうらいらく)そうでいて、こと銭に関しては細かいのは根が商人であるからだ。 戸塚の米穀商でも、お礼にと銭を渡されて銭になど興味がなさそうに断っているが、しっかり一両は貰っている。 一両と言えば、現在の円に直すと、十万円程度にもなる。 これで持ち金と足すと、贅沢をしなければ路銀の心配はせずに済む。 亥之吉の頭の算盤(そろばん)がパチパチと音を立てる。 さほど金銭欲は無いが、採算は考えているのだ。

   「四人で先へ行ってくれるか、わいはちょっとそこらの農家へ行ってくるわ」
   「兄貴、天秤棒の調達ですやろ」
   「そや、古くて使えなくなったヤツを貰ってくるのや」
   「ケチやなあ、そんなもん新品(さら)を買いなはれ」
   「古い方が、手に馴染んでええのや」
   「ほんまか ただのケチやろ」
 四人が次の茶店で四半刻(三十分)も待ったであろうか、亥之吉が天秤棒を担いで駆けてきた。
   「兄貴、ええのが貰えましたか」
   「あのドケチおやじ、三十文よこせと言いよった」
   「それで三十文払って買ってきたのですか」
   「いいや、二十文にまけさせた」
   「どっちがケチやねん」
 こともなく、小田原の宿に着いた。
   「お客さん、その汚い棒、こちらで引き取りましょうか、お風呂の薪にさせて頂きます」
   「おばちゃん、何を言うのや、この棒は兄貴の魂なんやで」 政吉が憤慨する。
   「そうですか、私はまた旅のお邪魔になるかと思いまして…」
   「これはなぁ、兄貴の武具(ぶぐ=身を護る武器)やねんで、兄貴にこの棒を持たせたら、相手に敵なしや」
   「そうですか、 それは知らぬこととて失礼しました、堪忍してくださいね」
   「いや、汚いのは確かや、何も怒ってはしません」 亥之吉は笑っていた。
 今朝まで持っていた天秤棒に輪をかけた汚さの天秤棒である。 肩にかけるところはピカピカで少し擦り減っている。 前後の手を掛けるあたりは、手垢で真っ黒。 何か臭ってくるような天秤棒である。
   「笑いごとやおまへんで、買うのならなんで新品(さら)にせえへんのどすか、新品でも少し経ったら手に馴染みますやろ」
 政吉は、亥之吉の気が知れない。 政吉は、京極の親分に貰った銭は殆ど使い果たしてしまったが、もし自分の懐に銭があれば、新品を買ってきて兄貴にやるのにと思うのだった。
   「女の方は、こちらの桔梗の間です」 宿の女中が案内してくれた。 お由が不満顔である。
   「お由、政吉お兄ちゃんと寝る」 と、駄々をこねる。
   「おっ母ちゃんを一人ぼっちにしても良いのかい」 お幸がお由を宥(なだ)める。
   「じゃあ、おっ母ちゃんも政吉お兄ちゃんと一緒に寝たらいい」
 お幸は顔を赤くして、ただ「だめっ」と、言うばかりであった。 亥之吉は無神経にゲラゲラ笑っていたが、圭太郎は複雑な心境である。 いつの日か、自分をお父っつぁんと呼んでくれる日がくるのだろうかと…。

 翌朝、小田原を発つと、難所の箱根八里である。 亥之吉はこの街道をお幸を背負って歩いたのを思い出す。 幾ら、か細い女とは言え、起伏の激しい箱根八里は厳しいものがあった。 政吉とても同じこと、お由を背負って歩き通したのだ。
   「お幸さんには、箱根八里を、駕籠を乗り継いで行って貰いましょう」
 お由は政吉の背がいいと、駄々をこねるだろうが、亥之吉のおんぶで我慢をさせよう。政吉は平然としているが、疲れが溜まっているに違いない。

   「お由ちゃん、政吉兄ちゃんが可哀そうやから、ここからはわいで我慢してな」
 天秤棒を政吉に持って貰い、亥之吉が踞(しゃが)むと、嫌がらず、あっさりと「うん」と言って亥之吉の背におぶさった。
   「そうか、そうか、ええ子や」
 本当は、後々のことを考えて、圭太郎がおんぶすると良いのだが、圭太郎は坊ちゃん育ち、とてもではないが子供を背負って旅ができる程の体力はない。 登り坂は、政吉がお由の尻を押してくれたので、 かなり楽に登れた。
 『箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川』ならぬ、男は三島の遊郭を素通りし難い。 一行は三島の宿で泊ることになった。 また、色気づいた政吉が、大人の仲間入りをしたいと言い出すのではないかと、亥之吉は気が気ではなかった。
   「政吉、遊郭はどこにでもあるさかい、ここは辛抱してくれよ」
 亥之吉の余計なひと言が、政吉に火を点けたようだ。 政吉は、圭太郎を誘った。
   「わいは、許嫁みたいな女(ひと)と一緒なんやで、遊郭なんていけるかいな」
   「ごめん、そうやった」
 亥之吉に言っても、あの新婚ほやほやが乗ってくる訳がない。 帰ったら兄いたちに付いて行こうと、政吉は諦めたようだった。

 一行は、大井川は五人揃って渡し舟で渡り、宮から桑名の海上七里の渡しも、亥之吉以外は船酔いする者もなく渡り終えた。
 途中一泊を挟んで、亀山で山中鉄之進に逢って行きたいと思った亥之吉であるが、五人連れでもあるし、子供も連れている。 ここはあっさりと素通りした。
 近江の国も、お幸さんの苦い思い出の地であるし、お由も実の父を嫌って逢いたがらなかった。 東海道、最後の宿を草津にとったのは、もしかしたら緒方梅庵先生(佐貫三太郎)と、能見数馬(三太)に逢えるかも知れないと言う思いが、亥之吉の胸をかすめたからである。
 亥之吉は、自分には予知能力があるのではないかと思った。 同じ宿で、緒方能見師弟に逢ったのだ。 一番に驚いたのは、亥之吉であった。
   「偶然ですな」
   「いえ、そうでも無いのですよ」 と能見。
 緒方先生は、ある霊能力者の生まれ変わりで、時々その力を発揮するのだそうである。 霊能力者とは、今は亡き能見数馬のことで、今の能見数馬は、謂わば二代目である。
   「その先生の霊感なのです」
 不思議なことがあるものだと、亥之吉は思った。 そんな話を聞いて、改めて緒方先生の顔を見ると、なるほど柔和だが威厳があるように思える。
   「先生、実は政吉が両親を探しています、先生の霊感で見つけてやってくれませんか」
   「三太の言うことを真に受けてはいけませんよ、私のは霊感ではなく、只の勘なのですから…」
 先生は苦笑した。 それでも政吉が辿ってきた短いながらも悲哀の人生を嘆き、「これは推理だが」と前置きをして、私が政吉さんの親なら、こう考えますと、先生の「勘」を話してくれた。
   「政吉さんを攫(さら)ったのは、子供に恵まれない金持ちに売り飛ばすことだったのですね」
 江戸で攫えば、京か浪花へ、京か浪花で攫えば江戸へ売り飛ばすことが多いだろう。 現に、政吉は京へ売られた。 両親は、こう考えられたと思う。 政吉に持たせたお守りは、稲荷神社のものでした。 稲荷神社の総本社と言えば、京の伏見稲荷大社である。 稲荷大社に政吉が戻るように願をかけ、京に滞在して、願が叶うようにお参りをしようと考えたであろう。 そのためには、京で店を出し、菊菱屋政吉と名乗っているように思う。 梅庵先生は、そのように推理した。
 先生の勘は計算能力のようなもの、筋道を組み立てて推理し、答えを導き出すのだそうである。

 先生の勘のお蔭で、亥之吉は能見数馬の生い立ちから、信濃の国へ貰われていった佐貫家で起こったこと、佐貫家に実の男の子が生まれたために、自分は身を引いたことなど、ゆっくりと聞かせて貰った。 数馬は、その先のことは決して話そうとはしなかった。
 ここが宿でなかったら、剣道の手ほどきも受けたい亥之吉だったが、それは我慢した。

 いずれ江戸でお店を持つので、その節は水戸まで挨拶に行きますと、名残惜しかったが師弟と別れて翌朝京へ向った。 数馬が別れ際、「お土産を期待しています」と言ったのに、妙に親しみを覚えた。
   「親分、豚松ただ今戻りやした」 京極一家の門口である。
 親分と子分たちが迎えてくれた。
   「豚松、えろう早く戻ってきたが、お父っつぁんと、おっ母さんは見付かったのか」
   「いいや、あきまへんどした」
   「そうか、江戸は広いのに、どうやって探したのや」
   「それが、わいが持っていたお守りの中から、わいの名前と、親のお店の名前が出てきましたんや」
   「そのお店は、見付かったのか」
   「へい、お店の有った場所は分かったのどすが、お店は潰れて、親たちは旅に出たきり帰らないそうどした」
 亥之吉が一歩親分に近付き、徐(おもむろ)に頭を下げた。
   「親分に、お願いがあります、この豚松、いや政吉をわいに預けておくなはれ」
   「この子、政吉言うのかいな」
   「へい、そうです、わいは政吉を商人に叩き上げようと思います」
   「あかん、豚松は京橋一家を継いで貰おうと思っているのや」
   「そやかて、豚、いや政吉は、商人の子だしたのやで、両親が見つかったら、お店を立て直してやらんといかん身でおます」
   「京橋一家は、どうなるのじゃ」
   「立派な御舎弟の方々が控えておられるやないですか」
   「まあ、そうやけど…」
   「親分の思いはよう分かります、でも、政吉が本当の息子で、堅気になろうとしていたら、親分、やっぱり許しませんか」
   「豚松は、堅気になりたいのか」
 政吉は、きっぱりと「へい」と、答えた。
   「そうか、そら仕方がない、ほんなら亥之吉さんに預けるとするか」
   「へい、有難うござんす」
   「なんや、そんな時だけ江戸の侠客になるのかいな」
 亥之吉は、京極一家の親分にもう一つお願いがあると言った。
   「厚かましいヤツやなあ、うちの跡継ぎをかっ拐っておいて、この上まだ頼みごとかいな」
   「親分、すんまへん、これは、もしかしたらですけど、伏見稲荷の近くで、菊菱屋というお店があれば、政吉のために気に留めてやってください」
   「ぶ、いや政吉の両親が店を出しているかも知れんのやな」
   「へい、さいでおます、多分、菊菱屋政吉と名乗っている筈でおます」
   「ほんなら、お前が探さんかいな」
   「出来れば、堅気の政吉で逢わせてやりたいので…」
   「えらい言われようやな」
   「すんまへん」
 漸(ようや)く、浪花は道修町(どしょうまち)の福島屋の店先に着いた。 お店の前に四人を待たせて、亥之吉だけが店に入って行った。
   「只今、亥之吉戻りました」
 声を聞いて、お絹がとんで出てきて、亥之吉に飛びついた。
   「ご苦労さん、逢いたかった」
   「逢いたかったって、それだけか」
   「他に何を言えば良いのです」
   「お兄さんは、どこに居るのかとか」
   「あっ、そうや忘れていた」
 圭太郎が入ってきた。
   「なんや、兄貴は二の次かいな」
 父親の善衛門も暖簾を捲って顔を出した。
   「あ、お父っつぁん、只今」
   「只今やないで、わしがどれだけ心配していたと思うの
   「お父っつぁん、勘弁や、こころ入れ替えて商売に励みます」
   「嬉しいことを言ってくれるやないか、わしが『勘当や』なんて心にもないことを言ってしもうたのが悪いのに…」
 善兵衛の目から、一粒の涙が落ちた。
   「さあ、早うおっ母さん仏壇に、帰って来たと報告しておいで」
 圭太郎が奥に消えると、善兵衛は亥之吉を労った。
   「ご苦労さんやったなぁ、亥之吉に苦労ばかり掛けてしもうて…」
   「いや、旦那さんこれで終わりやあらしません、外で客人が三人待っていますのや」
   「へー、それはまたどこのお方たちです」
 亥之吉は、ひょいと表に飛び出し、三人を連れてきた。
   「こちらは、圭太郎兄さんの命の恩人のお幸さんと、娘さんのお由ちゃんです」
 亥之吉はもその一部始終を善兵衛に話した。
   「そうか、お幸さん、息子の圭太郎の命を救ってくれたために、酷い目に遭わされなさったのやなぁ、勘弁しとくなはれや」
   「それで、お幸さんをこの店で使って頂けませんやろか」
   「亥之吉、お前の考えていること位い、わしはお見通しだっせ」
   「えっ、分かりまっか」
   「圭太郎の嫁にしたいのやろ」
   「その通りです、旦那さん、この通りお願いします」
   「亥之吉にお願いされんでも、わしはそうやろうと思っておりました」
   「有難うございます」 お幸も、深々と頭を下げて礼を言った。
 ただ、半年の間は使用人として置いてくれるようにと、お幸はお願いした。
   「それも分かっとります、前の旦那と別れて間がないから、もしお腹にややが居たら、どっちの子かわからんようになるから、お幸さん気を使ったのですやろ」
   「なんや、そうやったのか、なんで半年間を空けるのか、わからなかった」
 亥之吉は納得した。
   「お前も、所帯持ちやから、それぐらいの勘は働かせなはれ」
   「へい、済みまへん」
   「それで、お幸さんとお由ちゃんの方は分かったけど、そちらのぼんはどこの何方や」
 江戸で拐わかされた経緯から、福島屋が世話になった京橋一家で育てられたこと。 何れは江戸に戻って両親が営んでいた菊菱屋を立て直す志をもった少年だと説明し、このお店で商人の修業をさせようと思って連れて来たと説明した。
   「政吉さんと言わはるのか、お父っつぁん、おっ母さんが見つかるまで、がんばりや」
 善衛門は、快く受け入れてくれ、お幸さんは客人として居て貰いますが、政吉どんは、使用人として働いて貰います。 「その方が、修業になるやろ」と、付け足した。 亥之吉もまた、その方が良いと判断した。 政吉は十四歳、丁稚と呼ぶには薹(とう)が立っているので、一応手代として亥之吉の手足として働き、亥之吉から読み書き算盤から勉強することになった。
 とは言え、亥之吉と政吉は、番頭と手代と言う感じではなく、兄弟そのものであった。 お由も、徐々にではあるが、圭太郎にも懐くようになってきたが、何故か亥之吉には懐かなかった。 原因は、あの天秤棒が恐いのである。 やがて、政吉も天秤棒を振り回すようになったら、圭太郎にだけに懐けばよいと、亥之吉は思った。
   「兄貴、約束通り、黒塗りの天秤棒を、わいにおくれやす」

  第二十三回 政吉、足をあらう(終) -続く- (原稿用紙18枚)

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