雑文の旅

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猫爺の連載小説「池田の亥之吉」 第十七回 亥之吉とお絹の祝言

2013-10-21 | 長編小説
 午前中は、亥之吉の元へ福島屋のお絹が来て、まるで女房のように亥之吉の世話をしていた。 帰りには亥之吉の洗濯物を持って帰って行った。 お絹が帰った後、窓辺に黄色の小菊が花器に挿されて香っていた。

   「亥之吉さん、すっかり元気になられたようですね」
 梅庵先生が脈をとったあとで言った。
   「はい、お蔭さんでこの通りです」 ベッドの上で飛び起きてみせた。
   「まだ、無茶はしないでくださいよ、数馬と剣道の試合をするなど…」
   「あっ、先生に見られてしまいましたか」
   「相手が数馬だから良いものの、本当の試合だったら縫っているところが綻びてしまいます」
   「はい」
   「まあ、私の裁縫の腕は確かですから、だいじょうぶですが」
   「わいは、安物の着物ですかいな」
 序に、亥之吉はこのベッドの感想を先生に言っておこうと思った。
   「このベッドたら言うものですけど、まだ動けない時はよかったが、動けるようになりますと、転げ落ちそうで恐いです」
   「そうですか、やはり柵が有った方が良いかも知れませんね」
西洋のベッドを真似たもので、先生が立ったまま診察できるように、畳一枚を木の台で持ち上げただけのものである。 患者が眠っているうちに転げ落ちそうになる。 そうなれば傷口が開くかも知れない。
   「稲妻縫いをして、傷口を補強しておきましょうか」
   「うわ、痛そう、そんなんいりまへん、それよか柵を付けておくなはれ」

 亥之吉の一言で、病院中のベッドに柵が取り付けられることになった。 名前だけでなく、西洋の病院ベッドに一歩近付いたわけである。

   「亥之吉さん、何かご用はありませんか」
 数馬が来て、声を掛けてくれた。
   「数馬さん、わいは十八歳ですが、数馬さんもそれ位ですか」
   「同い年ですね」
   「やっぱり、そうだと思っていました」
   「何だか、親近感持てますね」
   「そうです、数馬さんが友達みたいに思えます」
   「友達ですよ、私が出会って言葉を交わした人は、全部友達だと思っています」
 これは、能見篤之進の実の次男、生前の能見数馬からの受け継ぎで、能見数馬は、お大名から、お奉行も、友達だと言っていたそうである。
   「数馬さん、お生まれは」
   「江戸の、長屋の子倅です」
   「梅庵先生は、三太は馬術にも長けているのだよと言ってはりました」
   「馬は、四歳の頃から佐貫の父上の体に結び付けられて乗っていました」
   「ひよこを懐に入れてですか」
   「おや、梅庵先生はそんなことまで話したのですか」
   「はい、ひよこの名は、サスケだとか」
   「わあ、恥ずかしい、けど懐かしい」
 近々、梅庵先生は江戸の恩師の元へ行かれるそうであるが、その前に草津追分から中山道に入り、和田宿から上田藩の先生の実家佐貫家へ立ち寄って江戸へ抜けるのだそうである。 信濃の国は数馬(三太)の第二の故郷である。 数馬(三太)は、久しぶりに会いたい人たちが居る。 数馬が佐貫家を出る切掛けとなった、まだ見ぬ梅庵先生の腹違いの弟にも会ってみたい。

   「亥之吉さん、次は江戸で逢いましょう」
 梅庵先生は約半年間、江戸の恩師(伊東松庵)の元に滞在するそうである。  そこには梅庵の実父の親友中岡慎衛門と、お樹の夫婦が居る。 数馬(三太)もまたこの夫婦には世話になっていたことがある。 数馬は、信濃の国の人達も、江戸の人達にも早く逢いたいと目を輝かせていた。
   「わかりました、是非数馬さんと旅がしたかったのですが、諦めます」
 亥之吉は、信濃の国まで付いて行っては迷惑だろうと考えたのである。
   「迷惑ではありませんが、中山道にまわると亥之吉さんにとって、かなりの無駄足になります」
   「怪我をじっくり治して、また東街道を行きます、必ず伊東松庵診療所に逢いに行きますから、待っていてください」

 それから十日後に、梅庵と数馬は、患者一人一人に別れの挨拶をして、旅に発った。 亥之吉も、翌日に退院が決まっており、その日はお絹が付きっ切りで不要になった荷物をまとめたり、病室の掃除をしたり甲斐甲斐しく働いていた。

 亥之吉が退院したその日、福島屋善兵衛が亥之吉を呼び付けた。
   「亥之吉、また旅に発つのやろ」
   「へえ、申し訳ありまへん」
   「申し訳がないことなど、おますかいな」
 善兵衛は、お絹から亥之吉の旅の訳を聞いているらしい。
   「わしからも、この通りでおます」
 善兵衛は深く頭を下げた。
   「亥之吉、江戸へ発つ前に、一つお願いがおますのや」
   「はい、謹んで承りますでおます」
   「別に、謹まんでもよろしいのやが、お絹と祝言挙げてから発ってほしいのや」
 善兵衛は、亥之吉のことを既にお絹の許嫁だと思っている。 お絹も、すっかり女房気取りである。 できればお絹と夫婦になって、二人で江戸へ行って欲しいのだが、お絹は苦労知らずの箱入り娘、足手まといになるのは目に見えている。 そこで、亥之吉に女房持ちとして旅に出て欲しいのだ。
 女房が上方で帰りを待っていると思えば、そんなに無理はしないだろうし、女の誘惑にもある程度は負けないだろうと、善兵衛は踏んでいるのである。
   「よろしくお願いします」
 亥之吉は言った。

 亥之吉には、強い思いがある。 お絹の兄圭太郎を、何が何でも見つけだして、店の主人にしっくり収まるまで、自分は若旦那の手足になって頑張るつもりである。 それが叶えば、お絹と手に手を取り合って福島屋のお店(たな)を出て、自分たちの小さな店持ちたいと思っている。
 若旦那は、亥之吉が店を乗っ取ろうとしていると思うに違いない。 若旦那を見つけたら見つけたで、亥之吉の苦労は目に見えている。

   「亥之吉さん、うちらの祝言の日取りが決まったそうや」
   「わいみたいなどん百姓の倅が、こいさんの婿になってもええのか」
   「ええから、祝言の準備をしてくれているのやないの、お父っつぁん、嬉しそうやで」
   「そうか、わいら夫婦になったら、一生懸命親孝行しような」
   「へえ、おおきに」

 善は急げとばかりに、亥之吉が善兵衛に呼び付けられた五日後には、祝言が行われた。 池田からは、亥之吉の両親と兄二人が来てくれ、やたら恐縮していた。 我が不肖の倅が、お店の御嬢さんと夫婦になるやなんて、信じられないのであろう。

 祝言の夜、お絹と亥之吉は、夫婦の挨拶を交わした後、お絹は言った。
   「あんたに見せたいものがおます」
   「なんやねん」
 お絹は、座敷の隅に置いてあった長い包みを亥之吉の前に置いた。
   「これを見とくなはれ」
   「何や これ」
   「広げてみておくなはれ」
 包みを開けると、天秤棒であった。 しかも漆黒の塗りに金粉がかかり、螺鈿細工がしてあった。
   「冗談やとばかり思っていたのに、ほんまに誂えたんかいな」
   「そうです、塗の職人さんと、螺鈿細工の職人さんに嘲笑(わら)われたのやで」
   「当たり前や、こんな肥桶担ぎの天秤棒に、漆塗やなんて」
   「これは、うちの為に誂えたんや」
   「お絹、お前がこれを振り廻すのか」
   「いいえ、これを亥之吉さんや思うて、床の間に飾りますのや」
   「そうか、わいは天秤棒に違いないけど、これは立派過ぎるやろ」
   いいえ、これに陰膳を供えて待っています、どうぞ無事に帰って来ておくれやす」

 それから十日ばかりの夫婦生活を送り、亥之吉は旅発つた。 守口の爺さんに貰った天秤棒を持って…。

  第十七回 亥之吉とお絹の祝言(終) -続く-  (原稿用紙11枚)

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