雑文の旅

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猫爺の連載小説「池田の亥之吉」 第二十五回 政吉、涙の再会

2013-11-06 | 長編小説
 菊菱屋の主人夫婦は、どうやら、店を出す資金を悪徳の札差、今で言うヤミ金から借りたようであった。 江戸幕府は公定金利を定めていたが、悪徳の札差は悪知恵を働かせて、借金を申し込んできた客に、自分のところは資金不足なので今のところ貸すことは出来ないが、お気の毒なので「私の知り合いから幾分利息は高くなるが、借りてあげよう」と、お為ごかしを言い、札差が借金の保証人にさえも成ってくれる。
 金を借りる側は、「地獄に仏」と喜んで金を借りるが、この利息にはからくりがあるのだ。 親切な札差だからと油断して、証文に判を押してしまうと、時が経つと利息が複利で増え続け、気付いたときには後の祭りである。 悪徳の札差は、商いとして店が貸したものではないので、公定金利の枠をはるかに超えた利息であっても、御定書(おさだめがき=法律)に触れないだろうとするのが言い分である。
 菊菱屋の店主も、その手に引っ掛かったらしい。 地回りらしい男たちに脅され、只々返済を待ってくれと頼んでいるが、取り立ての男たちはドスを突き付けて、命も取りかねない形相である。 菊菱屋の店を売って返済しようにも、すでに店は他人に売って借金の利息に当てており、夫婦は着の身着のままで、近々この店を空け渡さねばならないのだ。 ほとほと困り果て、菊菱屋の店主は、「どうぞ、殺すなら殺しておくれ」と、言い出す始末である。
   「そうか、よし望みどおりにしてやる」
 これ以上取り立てても、どうにもならないと判断したのか、取り立ての男たちは、気晴らしに夫婦を半殺しにでもする積りらしい。
 政吉が店の中へ飛び込もうとするのを制止して、亥之吉が先に飛び込んだ。
   「こらっ、待ちやがれ!」
 亥之吉の剣幕に、取り立ての男たちは一斉に亥之吉を見た。
   「なんだ、お前は この店の者か」
   「わいは通り掛かりの他人じゃい」
   「関係ない野郎は、怪我をせんうちに大人しく引っ込んでおれ」
   「ところが、これが関係あるのや」
   「うるせえ、がたがた言っていると、お前から叩きのめしてやろうか」
   「お前らのドスで、わいを倒すのはとても無理や」
   「しゃらくせえ!」
 取り立ての男たちは四人である。 その内の一人がドスを逆手に持って亥之吉に向かってきた。 亥之吉が天秤棒でドスを跳ね上げると、天井に刺さった。
   「糞っ!」
 別の男は、順手にドスを構えて亥之吉に突進してきた。 天秤棒を垂直に立て、それを利用して棒高跳びのごとく飛び上がり、ドスを持つ手を蹴りあげた。 やはりドスは男の手から離れて、天井に突き刺さり、男は手が痺れたようである。
   「二丁上がり」 亥之吉は、おどけて見せた。
 亥之吉が三人目の男と向き合っているその後ろに回った四人目の男を、政吉が堪らなくなって、飛び込んできて、頭の上で天秤棒を振り回して追い払った。 亥之吉は三人目の男のドスを天秤棒で叩き落とし、振り返りざま、四人目の男のドスを跳ね上げた。 生憎(あいにく)、ドスは天井に刺さらず、下に居た男を掠めて土間に落ちた。
   「覚えていやがれ!」
 四人の男たちは、捨てゼリフとドスを残して引き上げて行った。
   「どこの何方(どなた)か存じませんが、ありがとうございました」
 夫婦は亥之吉と政吉に頭を下げたが、その不安げな表情は緩むことはなかった。 その心情を亥之吉は察し、
   「明日も、ヤツらはまた来ますやろな」
   「はい、私どもは今夜、ここから逃げ出そうと思います」
   「旦那はん、夜逃げやなんて弱気になったらあきまへんで」
   「もう、私共には何も残っていません、ここで頑張っても詮無きことです」
   「そうでしょうか」
   「実は、私共にも倅がいました、生きていればこちらのお兄さん位になっております」
   「息子さんは、どうかされたのですか」
   「はい、その倅がまだ物心もつかない頃に、拐(かど)わかされました」
 夫婦は、ほろりと涙を落とし、声を震わせながら亥之吉たちに打ち明けた。
   「役人は、『神隠しに合ったのだ』と、早々に探すのを打ち切りましたが、神隠しであろうはずがありません、倅は私共がちょっとの油断した隙に、拐わかされて売られたのに違いありません」
   「旦那さん、この男の顔をよく見ておくなはれ」 亥之吉は、政吉を指差した。
  菊菱屋政衛門は、政吉の顔を繁々と見ていたが、はっと気付いたようであった。
   「似ています、女房の若い頃に…」
 潤む目を晒しの手拭で拭い、政衛門はもう一度政吉を見た。
   「もしや…」
   「その、もしやでおます」 亥之吉は、この政衛門が政吉の実の父であると、既に確信していた。
   「政吉どす、京へ売られて行った政吉どす、この豊岩稲荷のお守りを見ておくれやす」
 政吉は、お守りから自分の名が書かれた紙切れを取り出して夫婦に見せた。 二人は同時に声を出して泣き、政吉に抱き付いた。
   「お父っつぁんと、おっ母さん、よく御無事で…」
 政吉も、涙を抑えられなかった。 十六年間の空白を、一度に埋め尽くそうとするかのように、親子三人は有りったけの涙を流した。
   「こちらの強いお兄さんは、何方(どなた)なのですか」
 母親が涙声で政吉に問うた。
   「わいが奉公していたお店の、若旦那さんどす」
 亥之吉は、政吉に代わって、政吉が歩んできた全てを両親に語って聞かせた。
   「全ては、私の不注意から始まったことです」 母親は悔やんでも悔やみきれない気持ちで今日まで生きて来たのである。
 亥之吉は感づいている。 先ほどまでの夫婦は、確かに死ぬつもりであった。 借りた金でお店を持ったものの、借金の利息を払っても、払っても借金は増え続け、赤字を埋める為にまた借金をしてしまう有様であった。 最初は十両の借金であったが、たった一年で百両近い額に脹れあがってしまった。
 亥之吉は、政吉の両親を当分の間の宿賃を先払いして、その旅籠に身を隠して貰い、政吉と策を練ることにした。 このまま証拠もなく札差の不正を、お上に申し出たところで取り上げてはくれないだろう。
 亥之吉は、事の子細を手紙に認(したた)め、早飛脚で亀山藩士山中鉄之進に助けを求めた。 もし、江戸の奉行所に知り合いがいたら、力になってくれるように頼んで欲しいとお願いしたのだ。
 山中鉄之進の返信はなかったが、自らが馬を飛ばして来てくれた。 亀山藩主が命じたものらしい。
   「これは、殿が北町奉行に当てた書状で、亥之吉の訴えを取り上げてやって欲しいという依頼状だ」
 山中鉄之進は、亀山藩主、石川様からの書状を亥之吉に手渡した。 お大名石川様と現北町奉行は遠い親戚関係にあるのだそうである。
   「それから、北町奉行所には拙者の親友で長坂清三郎と言う与力が居る」
 今から北町奉行所に出向いて長坂に会い、亥之吉と政吉を紹介しておこうと、山中鉄之進は二人を連れて奉行所に向かった。
 山中と長坂は、一体なにをするために北町奉行所へ来たのか、すっかり忘れているように、久しぶりの再会を喜びあい、談笑していた。
 漸く亥之吉と政吉が呼ばれ、事の次第を山中は長坂に話してくれた。 亥之吉が長坂に亀山藩主石川様の書状を手渡し、お奉行に読んでもらうように依頼した。
   「拙者も、常々札差の暴走ぶりには手を焼いていたところだ」
 借金の返済が出来ずに、首を括る商人たちも多いらしい。

 用が済むと、山中は長坂に「後のことは貴殿に任せる」と、馬に飛び乗って帰って行った。

 役者が揃った。 亥之吉、政吉、大江戸一家から、若頭と鵜沼の卯之吉他二名、後ろに与力の長坂と目明しの仙一とその手下の下っ引きが二人、亥之吉の後ろに九人もの味方が控えてくれた。
 札差のところには、亥之吉と政吉が入っていった。
   「菊菱屋政衛門長男政吉だが、親父の借金を返済しに来た」 政吉が叫んだ。
   「ご子息がいらっしゃったのですか、これは、これはご苦労様でございます」
   「証文を見せて頂きたい」
   「はいはい、承知しました、今お持ちいたします」 と、札差業の主人が店の間から奥に消えた。
 暫くして、主人が証文を持って出て来た。
   「証文通りに計算しますと、元利合計と延滞金を含めて、百両になります」
   「なるほど、わかりました、ところで、この債務者はご主人の名ではありませんが、何方ですやろ」
   「あ、それは私の知り合いで、宮城屋陸奥衛門でございます、利息の回収などの雑用を、陸奥衛門さんから手前共に任されておりますもので…」
   「そうどすか、私は貸して頂いたご本人にお返ししたいのですが、どちらにお住いの方どすか」
   「それは申せません、陸奥衛門さんが「内密に」とのことですから…」
   「では、本日ここへはお返し致しません、陸奥衛門さんの居場所を教えて頂くまでは」
 札差の店主は、気が短いらしい。 早くもキレて、言葉を荒げてきた。
   「お前、本当に菊菱屋の倅か 借金を返す気があるのか」
   「わい…、いや私は、宮城屋陸奥衛門さんにお返ししたいと言っているのでおます」
   「それが出来ないと言っているのだ、ガタガタぬかすと手足の骨を折って叩き出すぞ」
 札差の主人は、手を叩いて用心棒を呼んだ。 出て来た男たちの中に、菊菱屋で見かけた男も居た。
   「この胡散臭いやつらを、腕の骨を叩き折って、外へ放り出しておしまい」
   「へい」
 ヤクザと思しき男たち五人が亥之吉と政吉を囲んだ。 無抵抗の亥之吉と政吉の両腕を掴まれ、殴りかかってきた。 二、三発殴られた時に、与力の長坂を先頭に、外で控えていた仙一たちがどやどやっと入ってきた。
   「痛ってえ、もうちょっと早くきてくれたら、殴られずに済んだのに」 亥之吉は不満げであった。

  第二十五回 政吉、涙の再会(終)  -続く-  (原稿用紙13枚)

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