雑文の旅

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猫爺の連載小説「池田の亥之吉」 第二十四回 亥之吉、政吉江戸へ

2013-11-04 | 長編小説
 亥之吉とお絹の寝所の床の間に、漆黒塗の天秤棒が飾ってあるのを、手代政吉が見つけた。
   「あ、あれはわいが兄貴に貰ったヤツや」
 なるほど、綺麗な天秤棒である。 あれなら、政吉が持って歩いても、大名駕籠か何かを担ぐものだと思っても、肥桶用の天秤棒だと誰も思わないだろう。
   「番頭はん、あの天秤棒、わいにくれはるのやろ」
   「お絹に訊いとくわ」
   「あれ、番頭はんが買いなはったのやろ」
   「いや、お絹がわいの為に誂えたんや」
   「なんや、それやったら貰えるかどうかわからへん」
   「わいはあんなものは要らんから、お絹に政吉にやってくれと伝えておく」
   「へい、頼みます」
   「そやけど、武具にはなれへんで」
   「へい、持って歩くだけどす」
 京極一家から使いが来た。 伏見稲荷大社の近くに、確かに菊菱屋という小さな和装小物の店(たな)が有ったと言う。 小さな店の割には大きな看板が上げてあったそうである。 政吉がお守りを開けて、親分に話していたら、もしかしたら子分のひとりが気付いていたかも知れない。
 しかし、それも二年前までのこと。 政吉の両親は、やはりここでも諦めて、お店を閉めて゛こかへ行ってしまったようである。
   「わいの親は、どうしてこうも落ち着きがないやろ」
 江戸のお店もそうである。 もしあの場所で商(あきな)いを続けていてくれたら、もうとっくに親子の対面が出来ていたのだ。 とは言え、十余年もの歳月は、耐えて待ち難い年月なのだろう。
  その間十年近く、京の地で同じ空の下で同じ京の空気を吸っていたのだ。 政吉が両親をいとおしく思う以上に、両親は政吉をいとおしく思っているだろう。
 政吉は土間に膝をつき、土を叩いて悔しがった。 肩を落とした政吉の姿を見た亥之吉は、居た堪れなくて、そっとその場を外した。
   「政吉、お絹が天秤棒、政吉にくれるそうや」
 亥之吉が、お絹に頼んだらしい。
   「へい、おおきに、大事に使います」
   「大事に使うて、あれで喧嘩するつもりか」
   「いえ、わいのお守りにします」
   「持って歩くのか」
   「へい」
   「あれは、部屋に飾っとき、持ち歩き用は、わいが貰ってやる」
   「手垢と飛沫で真っ黒になったヤツですか」
   「そうや、守口のおっさんに訊いてみたる」
   「そやけど兄貴、ええ若いものが二人、肥桶用の天秤棒持って歩いていたら、みんな避けてとおらはるやろな」
   「そんなに強そうに見えるのか」
   「違います、汚いから避けているのどす」

 亥之吉は、政吉の為に守口の農家で天秤棒の古いのを貰おうと訊いてまわったが、使えなくなった天秤棒など保存している農家はなかった。 薪にしてしまうのだ。 亥之吉は農具の店に寄って新品を買い求めたが、四十文もしていた。 現在の値段にすると、おおよそ千円ということになるだろうか。 師匠のは二十文なのに、弟子のはその倍である。
   「なんか、あほらし」
 ぼやきながらも、亥之吉は買ってきた天秤棒を政吉に与え、「早よ、わいみたいに強くなりや」と、激励した。
   「へい、直ぐに藍より青くなります」
   「わっ、政吉難しいことわざを知っとるのやな」
   「へい、京極の親分の口癖どした」
 これは、正しくは『青は藍より出でて、藍より青し』である。 藍の濁った染料で染めた布が、染め上ると藍より鮮やかな青になるという、弟子が師匠を超える意味の、荀子(じゅんし)の言葉である。 その夜、お店を閉めた後、月の明かりの下で、師匠亥之吉が弟子政吉に天秤棒術の手解きをした。
 その日から政吉は、暇があれば読み書き算盤、さらに天秤棒術を亥之吉から伝授されたが、どうやら喧嘩のほうは「才能なし」であった。

 四年の月日が流れた。 亥之吉は二十二歳で、辰吉と言う二歳児の親に成っていた。 政吉は十八歳、文句も言わず、根も上げず、亥之吉を師と仰ぎ、コツコツと地道に才能を伸ばし続けた。 圭太郎もお幸と祝言を上げ、真面目に若旦那を務め、お幸も福島屋の若御寮(ごりょん)さんが板に付いた。 圭太郎とお幸の間には、これまた二歳になる女の子、「お志摩」が居た。
 福島屋善兵衛は、まだまだ隠居は出来ないと、お店の舵を取り続けているが、お由を含む三人の孫たちには、まだ老け込んでいないながらも好々爺ぶりを発揮していた。

   「亥之吉、そろそろ暖簾分けをしょうと思うが、やはり店を持つのは江戸やないといかんのか」
   「へえ、それがわいの夢だした」
   「お絹と辰吉は連れて行くのか」
   「もちろんです、お絹は納得しとります」
 善衛門は、孫の辰吉と離れて暮らすのが辛いらしい。
   「江戸で一生懸命商いに精を出して、政吉にもお店を出させてやりたいのです」
   「そうか分かった、困ったことが有ったら、遠慮なしに言うておいでや」
   「へえ、わいが必要になったら、手紙を出してくれはったら飛んで帰ってきます」
   「そうしておくれ、お前の天秤棒が必要になるかも知れんからな」
   「なんや、そっちですかいな」
   「そらそうや、商いの腕やったら、わしは亥之吉に負けませんで」
   「そうだした」
 それから一ヶ月ほど経った吉日に、亥之吉は政吉を連れて江戸に向かった。 京極一家で一泊させて貰い、伏見稲荷大社にお参りをした。 菊菱屋があったとされるところにも赴き、近くのお店を回り、何か情報をと探りをいれたところ、「菊菱屋のご夫婦は、たしか江戸へ戻る」と言っていたと記憶していた人が見つかった。 「今度は、絶対見つかるに違いないで」と、亥之吉は政吉を勇気付けた。

 天秤棒を持った二人の東街道の旅がはじまった。 他人にはこの二人、異様に映ったに違いない。
 亀山藩の山中鉄之進にも、挨拶に寄った。 亀山城の殿様にも会って行かないかと声を掛けられたが、天下のお大名に、ただの商人(あきんど)が会いに行くなど、畏(おそ)れ多いと辞退した。 亀山の宿場に有ったお化け屋敷にも挨拶に寄ったが、潰れていて建物だけが本物のお化け屋敷状態になっていた。 訊くと、あの爺さんは亡くなったそうである。

 折角の天秤棒も使うことなく、江戸は日本橋に着いた。 まず、大江戸一家に寄り、鵜沼の卯之吉に会った。 当然ながら、亥之吉と同い年の卯之吉も、二十二歳になっていた。
   「親分、会いたかったです」
   「わいもや、大きな出入りでもあって、斬られていないか心配していた」
   「わいは、逃げ足だけは誰にも負けませんから」
   「わいと、一緒や」
   「政吉さんのご両親は、まだ見つからないのですか」
   「それが、江戸へ戻ったと聞いたのや」
   「政吉さん、ええ男振りになりましたね」
   「へい、兄貴に鍛えられて、ずいぶん痩せました」
政吉は腹を叩いて見せた。
   「そや、京極一家では、豚松と言われていた政吉が、わいより細身になりよった」
 あと、紀州は田辺藩士の妻、お萩さんにも江戸へ来た挨拶をして、腰を据えて政吉の両親探しから始めるつもりである。
   「政吉、とことん探そうな」
   「へい、有難うございます」
   「なんや、改まって他人行儀やないか」
   「そやかて、兄貴に世話を掛けっ放しどすから」
   「ええねん、ええねん、わいらは天秤棒兄弟やろ」
 政吉の両親は、江戸のどこかで二年程前に菊菱屋というお店を出し、和装小物を商っているに相違ない。 二人は、豊岩稲荷神社周辺から、片っ端に訊いて回った。
 数日間、尋ねて回り、漸く町の中を行く二人ずれの娘が知っていた。
   「菊菱屋政吉商店と言うのでしょ、神田明神さんの近くの小さいお店です」
 亥之吉と政吉は、小躍りして喜んだ。 今度こそ間違いない。 政吉は、記憶にない両親の姿を想像しているようだった。
   「お父っつぁん、おっ母さん、政吉、今帰るからな」
 呟いた政吉の顔は、晴れ晴れとしていた。
 有った。 尋ねあぐんだ挙句、漸く見つけた。 確かに菊菱屋政吉商店の看板が上がっていた。 だが、遠巻きに人だかりがしている。 店の中から、怒声も聞こえる。 亥之吉が店の中を覗き込んでみると、政吉の両親とみられる男女が、頭を板間に擦りつけて許しを乞うている。 それを怒鳴りつけている男たちは、どうやら地回りのヤクザらしい。 政吉が店に飛び込もうとしたのを亥之吉は止めた。
   「男たちがご両親に手出しをしようとしたら、わいが止めに入る、政吉は商人(あきんど)や、手出ししたらあかん、親たちの前や」
 政吉は納得して、亥之吉の後ろから、そっと中の様子を伺った。

  第二十四回 亥之吉、政吉江戸へ(終) -次回に続く-  (原稿用紙11枚)

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