庄六は、乾物商相模屋の店先に立った。 昨日、店を叩き出されての今日である。 またしても叩き出されるのかと思うと、己が惨めで泣きそうになる。 能見数馬(三太)は、「大丈夫だ」と言うが、こんな短期間に状況が変わったとは到底思えない。 それでも店の暖簾を潜ってみた。
「あゝ、庄六、帰って来てくれたのだね、よかった、よかった」
庄六はキョトンとした。
「お前が戻って来ないと、人を雇って江戸中を探そうかと思っていたところだ」
何がどうなったのか、昨日とは一変してこの歓迎ぶりだ。 自分は夢を見ているに違いない。 庄六は自分の手の甲をつねってみた。 確かに痛い。 店を飛び出して、付いてきてくれた数馬を探して尋ねようとしたが、数馬の姿は無かった。
「庄六、お前が戻るように、お美菜が神棚を礼拝していたぞ、早く行ってやってくれ」
「旦那様、有難うございます、でもどうして…」
「どうもこうもありません、早速、お美菜と祝言を挙げておくれ」
お美菜は、顔をみるなり、大泣きをして庄六の胸に倒れ込んだ。
「お父っつぁんが認めてくれたのよ、嬉しい」
何が何だかわからないが、庄六も天にも昇る心地であった。 あの数馬さんは、神様だったに違いない。 自分は、その神様に導かれて水戸街道をさまよい、出会うべくして神様に出会ったのだ。 自分はこの店の後継者ではないが、お店の為に一生懸命に働いて盛り立てていこう。 庄六は神にそう誓いを立てた。
「三太さん、あっし達は庄六のために寄り道までしてやって、無報酬ですかい」
「新さんは、あんた守銭奴か」
「あっしには、金を持っても使えませんぜ、三太さんに美味い飯を食って、花街で遊んで貰おうと思いやして…」
「俺が花街で遊んでいるとき、新さんはどうするの」
「三太さんが喘ぎだしたら三太さんの魂を追い出して、あっしが代わりに…」
「新さん、あんたやっぱり悪霊だろ」
笑ったり、ちょっぴりもめたりしながら、第一の訪問先、雑貨商の福島屋に着いた。 なんと、店の主人である亥之吉が、表の掃除をしていた。 使用人も雇えないほど商売が行き詰っているとは思えないほど客が入っている。
「あーっ、三太はんや、来てくれたんだすね、わいが水戸まで会いに行こうと思っておりましたのや」
「立派なお店ですね、遅れ馳せながら、開店お祝を申しあげます」
「ちょっと大きすぎて持て余し気味ですが」
「お店、繁盛しているようですね」
「へえ、お蔭さまで…」
店の中に入ると、使用人も結構の数で、活気に満ちていた。
「これでも、最初はお客さんが来てくれはらずに、どうなるかと思いましたんや」
「それがどうして」
「上方のお客は、ええもんが安い言うたら飛びついてくのやが、江戸は違います、安かったら欠陥品か何か裏があるのではないかと疑いまして、手を出さしまへんのや」
「何か良い策が浮かんだのですか」
「へえ、お客さん一人一人に、わいが上方流の薄利多売の商い法を説明しましたら、一人、また一人と納得してくれはるお客が増えていきました」
「そうか、それは亥之吉さんの熱意と誠意が伝わったのですね」
「へえ、おおきに、それもこれも緒方先生と三太さんが、わいの命を助けてくれはったお蔭でございます」
「亥之吉さんの運が強かったのですよ」
「さあ、奥へ入っておくなはれ、女房のお絹と、倅の辰吉を紹介します」
亥之吉は奥に向かって大声を張り上げた。
「おい、お絹、珍しいお客様やで」
お絹は辰吉の手を引いて顔をだした。
「あれまあ、能見数馬先生やおまへんか、ようこそ来てくれはりました」
お絹の、人懐っこい笑顔が迎えてくれた。 お絹とは、亥之吉が入院した上方の病院でお馴染みになっていた。
「お子さんですか」
「はい、辰吉と申します」 と、お絹。
「辰吉ちゃん、おいくつ」
辰吉は母の顔を見て質問の意味を確かめ、三太に向かって小さな指を三本出して見せた。 親たちに似てか、人見知りのない懐っこい笑顔を振りまいた。
「今夜は、泊っていっておくれやす」
三太が「その積りで来ました」と言うと、お絹は嬉しそうにいそいそと立ち振る舞った。
「うちが、腕によりをかけて美味しいものを造ります、先生はお酒大丈夫だすか」
「はい、好きでおます」 亥之吉を真似て上方ことばを使ってみたら、亥之吉夫婦は大喜びをした。 暖かい、本当に幸せそうな家庭だと、三太は羨ましく思った。
三太には、こんな暖かい家庭はなかった。 冷え切った長屋の部屋で、父の暴力に震え、親の顔色ばかりを見る捻くれた性格の自分であった。 辰吉と、おもいっきり遊んでいると、幼い頃に封じ込めていた子供心が、噴出してくるように感じた。 住んでいた場所は思い出せないが、それはこの江戸の何処かであったのだ。
その夜、亥之吉は三太に頼みごとをした。 お手合わせをして欲しいというのだ。 亥之吉は相も変わらぬ汚い天秤棒を持ちだしてきた。 三太には木刀を用意した。
「三太さんは隙がないので、それをどう打ち崩すかずっと考えとりました」
「それを編み出せたのですか」
「はい、きっと…」
「では、手合わせしましょう」
三太の木刀の先が、亥之吉を捕らえて、微動さえしなくなった。 亥之吉はなんとか隙を造らせようと天秤棒で挑発してみた。 三太の全身は石のお地蔵さんのように隙だらけに見えるが、どうしても突破口が見つからない。
亥之吉は、右へ跳んだ。 なんと、三太はそれでも微動もせずに、切っ先は的外れの方向に向けられたままである。 隙ありと、亥之吉は三太の左の胴を狙った。 三太の木刀は、既に亥之吉の動きを察知し、くるりと体をかわし、いち早く亥之吉の天秤棒を叩き落とした。 亥之吉が「あっ」と怯んだとき、三太の木刀は亥之吉の肩にピタリと吸いついていた。
「亥之吉さん、あなたの手立ては相手に見透かされています、何の為に右へ跳んだか読まれてしまうのです」
「数馬さんには、どうしても勝てません」
「その、諦めるのもあなたの欠点です、私は亥之吉さんが思っているほど強くはありません、まだまだ未熟者です」
「でも、手立てが見付からないのです」
「いいですか、同じ跳ぶのなら、私には意外な跳び方をすべきです」
「たとえば」
「横で無く、あなたの後ろへ飛んでみるのです、そう、両手で構えたその棒が私に届かなくなるところまでです」」
「それが意外ですか」
「わたしは、亥之吉さんが戦意を無くしたのかと思います」
「さすれば」
「わたしは、亥之吉さんを挑発するために一歩前にでます、多分亥之吉さんの動きにつられて、うっかり踏み出してしまうのです」
「そこで、わいはどうするべきだったのですか」
「私の踏み出そうとした足がピクリと動いた瞬間に、亥之吉さんは両手ではなく、片手で思い切り強く棒を横に振るのです、両手では届かなかったが、片手にすると届いてしまいます、わたしが擦り足で一歩踏み出したときは、既に亥之吉さんの棒はわたしの胴に食い込んでいます、これが相手の動きの先を読むことになるのです」
「わかりました、ではもう一番お願いします」
「あのねぇ、自分の手の内をばらした直後に、私が同じ手口に引っ掛かると思いますか」
「チッ、あきまへんか」
「あきまへん、これは例え話で、意外な行動をして敵を油断させ、敵が出てくる先を読む作戦なのです」
亥之吉は、数馬(三太)のように強くなりたかった。 そのことを数馬に話すと、数馬は亥之吉を諭すように答えた。
「亥之吉さん、あなたは商人です、商いの腕を磨くのが先決でしょう」
「へえ、違いおまへん」
「その天秤棒は武器ではありません、武具なのですよ」
「そうでした、以前にもお聞きしたことがおます」
翌朝、手厚く礼を述べて、数馬は店を出た。 やはり亥之吉は、数馬に付いて行きたい衝動に駆られていた。
三太と新三郎は、三太が捨てられていた寺を目指して歩いた。 このお寺には、哀しい思い出しかないのに、三太は懐かしくて目を潤ませていた。 本堂の床下の空気穴をみて、よくこんなに小さい穴を潜れたものだと、三太が如何に小さかったかを彷彿とさせられた。 この境内で、母を助ける為に父と諍(あらが)って刺してしまった記憶が甦り、手が震えだした。
「奥様、お元気でしたか 三太です、その節は大変ご迷惑をおかけしました」
「三太さん、あの三太さんですか」
「はい、三太です、もう十九歳にもなりました」
「よく、ご無事で…」
住職の奥さんは、当時を思い出して、つい涙を零した。 肉親の殺害は重い。 三太はまだほんの子供であったが、お仕置きは免れないだろうと思い、日夜供養の経を上げていたと言う。
「お蔭様で母にも会えたし、今はあるお武家に預けられて、養子になりました」
そう話すと奥さんは心から喜んでくれて、住職にも会ってやってくれと住職を呼びに行った。
「ありがとう御座いました、お蔭さまで今は人並みに幸せな日々を送っています」
住職も合掌して、三太を祝福してくれた。
「父の菩提を弔っていただき有難う御座います、きっと近いうちにお墓を建てに参ります、それまで無縁墓地で眠らせてやってください」
「わかっています、手厚く供養させてもらっていますよ」
三太は無縁墓地で焼香をさせて貰い、手を合わせた。 本堂へ回ると、「僅かばかりですが」と、一両の賽銭を上げ、父が倒れた辺りで合掌して寺を引き上げた。
第五回 新さんは悪霊(終) -次回に続く- (原稿用紙12枚)
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「第八回 三太、悪霊と闘う」へ
「第九回 数馬は殺人鬼なり」へ
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「第十二回 無実の罪その1」へ
「第十三回 無実の罪その2」へ
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「第十五回 死神新三...」へ
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「第十七回 弟子は蛇男」へ
「第十八回 今須の人助け」へ
「第十九回 鷹之助の夢」へ
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次シリーズ佐貫鷹之「第一回 思春期」へ
「あゝ、庄六、帰って来てくれたのだね、よかった、よかった」
庄六はキョトンとした。
「お前が戻って来ないと、人を雇って江戸中を探そうかと思っていたところだ」
何がどうなったのか、昨日とは一変してこの歓迎ぶりだ。 自分は夢を見ているに違いない。 庄六は自分の手の甲をつねってみた。 確かに痛い。 店を飛び出して、付いてきてくれた数馬を探して尋ねようとしたが、数馬の姿は無かった。
「庄六、お前が戻るように、お美菜が神棚を礼拝していたぞ、早く行ってやってくれ」
「旦那様、有難うございます、でもどうして…」
「どうもこうもありません、早速、お美菜と祝言を挙げておくれ」
お美菜は、顔をみるなり、大泣きをして庄六の胸に倒れ込んだ。
「お父っつぁんが認めてくれたのよ、嬉しい」
何が何だかわからないが、庄六も天にも昇る心地であった。 あの数馬さんは、神様だったに違いない。 自分は、その神様に導かれて水戸街道をさまよい、出会うべくして神様に出会ったのだ。 自分はこの店の後継者ではないが、お店の為に一生懸命に働いて盛り立てていこう。 庄六は神にそう誓いを立てた。
「三太さん、あっし達は庄六のために寄り道までしてやって、無報酬ですかい」
「新さんは、あんた守銭奴か」
「あっしには、金を持っても使えませんぜ、三太さんに美味い飯を食って、花街で遊んで貰おうと思いやして…」
「俺が花街で遊んでいるとき、新さんはどうするの」
「三太さんが喘ぎだしたら三太さんの魂を追い出して、あっしが代わりに…」
「新さん、あんたやっぱり悪霊だろ」
笑ったり、ちょっぴりもめたりしながら、第一の訪問先、雑貨商の福島屋に着いた。 なんと、店の主人である亥之吉が、表の掃除をしていた。 使用人も雇えないほど商売が行き詰っているとは思えないほど客が入っている。
「あーっ、三太はんや、来てくれたんだすね、わいが水戸まで会いに行こうと思っておりましたのや」
「立派なお店ですね、遅れ馳せながら、開店お祝を申しあげます」
「ちょっと大きすぎて持て余し気味ですが」
「お店、繁盛しているようですね」
「へえ、お蔭さまで…」
店の中に入ると、使用人も結構の数で、活気に満ちていた。
「これでも、最初はお客さんが来てくれはらずに、どうなるかと思いましたんや」
「それがどうして」
「上方のお客は、ええもんが安い言うたら飛びついてくのやが、江戸は違います、安かったら欠陥品か何か裏があるのではないかと疑いまして、手を出さしまへんのや」
「何か良い策が浮かんだのですか」
「へえ、お客さん一人一人に、わいが上方流の薄利多売の商い法を説明しましたら、一人、また一人と納得してくれはるお客が増えていきました」
「そうか、それは亥之吉さんの熱意と誠意が伝わったのですね」
「へえ、おおきに、それもこれも緒方先生と三太さんが、わいの命を助けてくれはったお蔭でございます」
「亥之吉さんの運が強かったのですよ」
「さあ、奥へ入っておくなはれ、女房のお絹と、倅の辰吉を紹介します」
亥之吉は奥に向かって大声を張り上げた。
「おい、お絹、珍しいお客様やで」
お絹は辰吉の手を引いて顔をだした。
「あれまあ、能見数馬先生やおまへんか、ようこそ来てくれはりました」
お絹の、人懐っこい笑顔が迎えてくれた。 お絹とは、亥之吉が入院した上方の病院でお馴染みになっていた。
「お子さんですか」
「はい、辰吉と申します」 と、お絹。
「辰吉ちゃん、おいくつ」
辰吉は母の顔を見て質問の意味を確かめ、三太に向かって小さな指を三本出して見せた。 親たちに似てか、人見知りのない懐っこい笑顔を振りまいた。
「今夜は、泊っていっておくれやす」
三太が「その積りで来ました」と言うと、お絹は嬉しそうにいそいそと立ち振る舞った。
「うちが、腕によりをかけて美味しいものを造ります、先生はお酒大丈夫だすか」
「はい、好きでおます」 亥之吉を真似て上方ことばを使ってみたら、亥之吉夫婦は大喜びをした。 暖かい、本当に幸せそうな家庭だと、三太は羨ましく思った。
三太には、こんな暖かい家庭はなかった。 冷え切った長屋の部屋で、父の暴力に震え、親の顔色ばかりを見る捻くれた性格の自分であった。 辰吉と、おもいっきり遊んでいると、幼い頃に封じ込めていた子供心が、噴出してくるように感じた。 住んでいた場所は思い出せないが、それはこの江戸の何処かであったのだ。
その夜、亥之吉は三太に頼みごとをした。 お手合わせをして欲しいというのだ。 亥之吉は相も変わらぬ汚い天秤棒を持ちだしてきた。 三太には木刀を用意した。
「三太さんは隙がないので、それをどう打ち崩すかずっと考えとりました」
「それを編み出せたのですか」
「はい、きっと…」
「では、手合わせしましょう」
三太の木刀の先が、亥之吉を捕らえて、微動さえしなくなった。 亥之吉はなんとか隙を造らせようと天秤棒で挑発してみた。 三太の全身は石のお地蔵さんのように隙だらけに見えるが、どうしても突破口が見つからない。
亥之吉は、右へ跳んだ。 なんと、三太はそれでも微動もせずに、切っ先は的外れの方向に向けられたままである。 隙ありと、亥之吉は三太の左の胴を狙った。 三太の木刀は、既に亥之吉の動きを察知し、くるりと体をかわし、いち早く亥之吉の天秤棒を叩き落とした。 亥之吉が「あっ」と怯んだとき、三太の木刀は亥之吉の肩にピタリと吸いついていた。
「亥之吉さん、あなたの手立ては相手に見透かされています、何の為に右へ跳んだか読まれてしまうのです」
「数馬さんには、どうしても勝てません」
「その、諦めるのもあなたの欠点です、私は亥之吉さんが思っているほど強くはありません、まだまだ未熟者です」
「でも、手立てが見付からないのです」
「いいですか、同じ跳ぶのなら、私には意外な跳び方をすべきです」
「たとえば」
「横で無く、あなたの後ろへ飛んでみるのです、そう、両手で構えたその棒が私に届かなくなるところまでです」」
「それが意外ですか」
「わたしは、亥之吉さんが戦意を無くしたのかと思います」
「さすれば」
「わたしは、亥之吉さんを挑発するために一歩前にでます、多分亥之吉さんの動きにつられて、うっかり踏み出してしまうのです」
「そこで、わいはどうするべきだったのですか」
「私の踏み出そうとした足がピクリと動いた瞬間に、亥之吉さんは両手ではなく、片手で思い切り強く棒を横に振るのです、両手では届かなかったが、片手にすると届いてしまいます、わたしが擦り足で一歩踏み出したときは、既に亥之吉さんの棒はわたしの胴に食い込んでいます、これが相手の動きの先を読むことになるのです」
「わかりました、ではもう一番お願いします」
「あのねぇ、自分の手の内をばらした直後に、私が同じ手口に引っ掛かると思いますか」
「チッ、あきまへんか」
「あきまへん、これは例え話で、意外な行動をして敵を油断させ、敵が出てくる先を読む作戦なのです」
亥之吉は、数馬(三太)のように強くなりたかった。 そのことを数馬に話すと、数馬は亥之吉を諭すように答えた。
「亥之吉さん、あなたは商人です、商いの腕を磨くのが先決でしょう」
「へえ、違いおまへん」
「その天秤棒は武器ではありません、武具なのですよ」
「そうでした、以前にもお聞きしたことがおます」
翌朝、手厚く礼を述べて、数馬は店を出た。 やはり亥之吉は、数馬に付いて行きたい衝動に駆られていた。
三太と新三郎は、三太が捨てられていた寺を目指して歩いた。 このお寺には、哀しい思い出しかないのに、三太は懐かしくて目を潤ませていた。 本堂の床下の空気穴をみて、よくこんなに小さい穴を潜れたものだと、三太が如何に小さかったかを彷彿とさせられた。 この境内で、母を助ける為に父と諍(あらが)って刺してしまった記憶が甦り、手が震えだした。
「奥様、お元気でしたか 三太です、その節は大変ご迷惑をおかけしました」
「三太さん、あの三太さんですか」
「はい、三太です、もう十九歳にもなりました」
「よく、ご無事で…」
住職の奥さんは、当時を思い出して、つい涙を零した。 肉親の殺害は重い。 三太はまだほんの子供であったが、お仕置きは免れないだろうと思い、日夜供養の経を上げていたと言う。
「お蔭様で母にも会えたし、今はあるお武家に預けられて、養子になりました」
そう話すと奥さんは心から喜んでくれて、住職にも会ってやってくれと住職を呼びに行った。
「ありがとう御座いました、お蔭さまで今は人並みに幸せな日々を送っています」
住職も合掌して、三太を祝福してくれた。
「父の菩提を弔っていただき有難う御座います、きっと近いうちにお墓を建てに参ります、それまで無縁墓地で眠らせてやってください」
「わかっています、手厚く供養させてもらっていますよ」
三太は無縁墓地で焼香をさせて貰い、手を合わせた。 本堂へ回ると、「僅かばかりですが」と、一両の賽銭を上げ、父が倒れた辺りで合掌して寺を引き上げた。
第五回 新さんは悪霊(終) -次回に続く- (原稿用紙12枚)
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