雑文の旅

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猫爺の連載小説「幽霊新三、はぐれ旅」 第八回 三太、悪霊と闘う

2013-11-29 | 長編小説
 中乗り新三(しんざ)こと新三郎と、三太こと亡き能見数馬の義弟(同名)と、美江寺(みえじ)の河童こと、佐助の一行は、中津川に差し掛かった。 ただし、新三郎のことは、佐助には伝えていないので、佐助の見た目では二人連れである。
 しばらく行くと、七・八歳の娘が、道行く人に声を掛けている。 新三郎が偵察に行った。
   「医者を探しているようです」
 娘は、旅人に「おっ母さんを助けてください」と、必死に訴えている。
   「私は医者だが、どうしたの」
   「おっ母さんが産気づいているのですが、赤ん坊がどうしても出てきません」
   「わかった、行ってみよう」
 三太は、娘に続いて畑中のあばら家まで走って行くと、母親が苦しんでいた。    「いつから 産婆は呼んであるのか」
   「大分前からです、産婆さんは、お金が無いので呼んでいません」
   「そうか、診察してみよう」
 三太が母親の寝間着の前を肌蹴て腹を押してみると、どうやら逆子らしい。 普通、胎児は子宮の羊水で満たされた袋の中で頭を下に向けているのだが、反転して足が下になっているようである。
 三太は、梅庵診療院で梅庵先生が逆子を正常(頭位)に戻しているのを見たことがある。 そのとき、梅庵は「男の医者であっても、何時如何なる事態に出くわすかも知れない、逆子を戻すことも、お産の様子も、よく見て置くように」 と、言って見学させてくれた。
   「娘さん、名は何といわれる」
   「はい、お妙です」
   「お妙さん、家に焼酎はあるかい」
   「いいえ、ありません」
   「それでは隣家へ行って分けてもらいなさい」
 三太は懐の巾着から一朱をだしてお妙に手渡した。
   「佐助、お前はそこの釜戸に火を熾(おこ)し、湯を沸かしなさい」
 お妙は徳利を持って外へ飛び出し、佐助は釜戸の柴に火を点けた。 三太は梅庵先生の手付きを思い出しながら、力を込めて懸命に妊婦の腹を押したり摩ったりした。 妊婦の膣に指を入れて胎児の状態を確かめた。

 運が良かったのか、破水もなく胎児の状態は正常にもどった。 持っていた竹筒の聴診器を妊婦の腹に当ててみると、微かに胎児の心音が聞こえる。 どうやら、臍帯が胎児の首に巻きついていなかったようである。 苦しんでいた産婦も、痛みが緩らんだようで、一時ながら静かになった。
   「先生、焼酎を貰ってきました」 お妙が戻って来た。
   「ご苦労、こちらへ持ってきなさい」
 お妙の後から、隣家の老婆と、四十絡みの女が入ってきた。
   「私は医者の能見数馬、あちらに居ますのは、弟子の佐助です」
   「先生さま、一体何があったのですか」
   「独りで産もうとしたらしいのだが、逆子で出て来なかったようです」 三太が二人に説明した。
   「逆子は、先生さまが戻してくださったのか」
   「左様、今ようやく落ち着いたところです、間もなく次の陣痛がくるでしょう、今度はきっと生まれますよ」
   「お妙、何でこんなになるまで知らせなかった」
   「おっ母さんが、迷惑をかけたらいかんと言いなさって」
   「お若い男のお医者様なのに、よくしてくださいました、先生が居てくださらなかったらどうなっていたことやら」
   「村には産婆さんが居ないそうで、この後のことは見様見真似でやるしかないと覚悟していましたが、お婆さんがきてくれましたので、一安心です」
   「わしは、女を長いことやっとりますので、産婆の真似事位はできます」
   「先生、湯が沸きました」
 佐助が土間の釜戸の火を引きながら声を掛けた。 お妙も安堵したようで、ほっと胸を撫でおろし土間にしゃがみこんだ。
   「お妙、家に晒しはあるか」 老婆がお妙に訊いた。
   「はい」 と返事して立ち上がると、押し入れから晒し木綿を一反(6m)取り出した。
   「鋏と、金盥(かなだらい)も用意しときなされ」
 妊婦のお菊が、呻きはじめた。 陣痛である。
   「先生、この後は、わしと嫁に任せて、外で待っていてくだされ、お妙は、おっ母の手を握ってやっとくれ」

   「おぎゃあ」 と、大きな声が外に居た三太と佐助に聞こえた。
   「元気な男のお子です」 嫁が外へ伝えにきてくれた。
   「先生さま、ありがとうございました」 お妙も追って出て来た。
   「焼酎は沁みるけれど、お菊さんの体はよく消毒してくださいね」
 三太が部屋を覗くと、母親に抱かれた赤ん坊は、すやすや眠っていた。 お菊が頭を動かして、三太に礼を言おうと焦っていたが、三太が「そのまま、そのまま」と、手で合図をした。
   「お菊さん、よく頑張ったね、男の私が診察したけれど、医者だからね、恥ずかしがることはないのだよ」 当時の通常出産は、産婆すなわち女の仕事と決まっていた。  三太は、民家を後にした。 お妙が追っかけてきて、三太が渡した一朱を返そうと差し出した。
   「お婆さんが、お金は取らないって」
   「そう、良かったね、じゃあもう一両足してお妙さんにあげるから、お母さんに美味しいものでも食べさせてあげなさい」
   「ありがとうございます」
 頭を下げるお妙に、三太は父親の事を訊いてみた。
   「お父っつぁんはどうしたの 居ないの」
   「生まれて来る子供の為にと、半年経ったら戻ると言って出稼ぎに行きましたが、いまだに帰りません」
   「どちらの方へ行ったか、聞いていないのかい」
   「信濃の国の方で、橋を架ける普請(ふしん)をやっているからと、人伝に聞いたと言っていました」

   「そう、私もこれから信濃の国へ行くのだ、お父っつぁんに出会ったらお妙さんがまっていると伝えてあげよう、お名前は」
   「はい、稲造(いねぞう)と言います、歳は二十九で、右の耳の下に大きな黒子があります」
   「わかった、探してみましょう」
 三太は手を振って、お妙に別れを告げた。 お妙が別れに言った「ご恩は一生忘れません」 が、三太の足どりを軽くさせた。

  馬籠(まごめ)宿で日が暮れた。 新三郎がまたもや不服そうである。
   「新さん、どうしたの」
   「どうもこうも、ありやしません」
   「治療代のことか」
   「それどころか、一両一朱もやってしまって、旅籠代は払えるのですかい」
   「今夜の分くらいは、まだ残っているよ」
   「三太さんの実家までは、まだ道程がありやすぜ、野宿でもして病気になったらどうしやす」
   「俺が死んだら、佐助が居るじゃないか」
   「そんな暢気なことを言って」
   「じゃあ、どうすれば良い」
   「一稼ぎしやしょうぜ」
   「俺は博打など出来ないよ」
 その夜は、兎にも角にも旅籠に泊り、路銀のことはゆっくり考えることにした。 最後かも知れない暖かい布団にくるまって、三太は新三郎と銭稼ぎの作戦を練った。

   「そんな阿漕(あこぎ)なことをするのかい」 三太は新三郎が立てた企てに驚いた。
   「大金持ちを狙えば、五両や十両の金くらい、相手は痛くも痒くもねえ」    「厳密に言えば、詐欺じゃありませんか」
   「詐欺はあっしに任せておいて、三太さんは助ける方に回る、そうすれば感謝こそされ、恨まれることはありやせん」
   「おぬしも悪党、いや悪霊よのう」
   「文無しが、何を言っているのですか」

 行く先に、大きなお屋敷が見える。 お代官か、村の名主(なぬし)の屋敷であろう。 三太に屋敷の前で待てと言い残して、新三郎が出かけて行った。 四半刻(30分)ほどして、屋敷から若い男が喚きながら飛び出してきた。 新三郎と打ち合わせの通りである。
   「旅のお人、息子を捕まえてくだされ」
 どうやら、屋敷の主人らしい。 白髪で、白い髭をたくわえた、如何にもお大尽という恰幅のよい風体の男が、白足袋のまま飛び出してきた。 三太は息子に掌を向けて「えい」と、気合をかけた。 息子は三太の前でへなへなっと力が抜けて、三太に寄りかかった。 新三郎の仕業である。
   「あるじ殿、これは大変でござる、ご子息は悪霊に取り憑かれていますぞ」
   「悪霊とな、何故にそのようなことが…」
   「それがしは、医者であり、霊媒師でもあります能見数馬と申す者、ご子息は、一刻も経たぬうちに悪霊に殺されてしまいます」
   「先生、私はどうすれば息子を助けることが出来ましょう」 あるじは、おどおどしている。
   「ご安心くだされ、私がここを通りかかったのは、ご子息の運が強かったからでしょう」
   「お願いです、どうぞ息子を助けてやってくだされ」
   「分かり申した、悪霊が暴れ出さぬ間に、ご子息を屋敷にお連れ申そう」
 三太と佐助は、ぐったりした息子を屋敷に運び入れた。
   「これから、悪霊と戦い申す、あるじ殿も、傍に付き添ってくだされ」
 突然、息子が暴れはじめた。 三太は両の手の人差し指を立てて他の指を組み、なにやら悪霊を諭しているようである。 それでも暴れる息子の胸を両の掌で押し上げ、悪霊を追い出そうして悪戦苦闘しているように見せた。 最後に気合を込めて、息子の胸を突き飛ばしすと、息子は大人しく座り込んだ。 その後、三太は声を潜めて呪文を唱えていたが、やがて外に飛び出し、空を見上げた。
   「あるじ殿、悪霊は追い払い申した、今、悪霊は安らかにあの世に向かって去りました、やがて成仏することでしょう」
   「息子は大丈夫ですか」
   「もう大丈夫です、どうぞ、ご子息に語りかけてあげてください」
 屋敷のあるじは、全ての成り行きを目撃して、その恐怖から抜け出た安堵感に浸っていた。 あるじが、十両もの大金を差し出したのを断ろうとした三太は、新三郎に「かたじけのうござる」と、言わされてしまった。
   「おぬしも悪よのう、あるじ殿、これは大変でござる、とか言っちゃって」 と、新三郎。
   「言わせたのは、どこの誰ですか」
 佐助が、三太を憧れの目で見ていた。
   「先生、医者で霊媒師なんて、格好良すぎる、俺も医者で霊媒師になる」
   「新さん、どうする」
   「------」

  第八回 三太、悪霊と闘う(終) -次回に続く- (原稿用紙枚)

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