雑文の旅

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猫爺の連載小説「幽霊新三、はぐれ旅」 第二回 火を恐れる娘

2013-11-16 | 長編小説
 火を恐がる娘の名はお咲、梅干し問屋常陸屋(ひたちや)の一人娘である。 娘の実の父親は、一年前に急死して、母親は半年前に再婚した。 今の娘の義父は、元常陸屋の番頭で作兵衛という。 商いにかけては凄腕で、先の旦那即ちお咲の実父よりも長けている。 傾きかかっていた常陸屋の店を立て直し、更に繁盛の兆しを見せている。

   「緒方診療院の心医で、能見数馬と申します」
 本当は緒方先生の助手であるが、ちょっと格好を付けて、心医と言った。
   「先生、娘のためにご足労をおかけしました」 娘の母親が応対した。
   「早速ですか、お咲さんに会わせていただきましょう」
   「それが、誰に声を掛けられても、何も言わないですし、近寄らせも致しません」
   「何も仰らなくても構いません、ご安心下さい、お脈も取りません」
   「それで病気がお判りになるのでしょうか」
   「分かりませんが、とにかくお会いしないことには…」
   「そうですか、それではこちらへ」
 母親は、「お咲、お医者さまですよ」と、呼びかけても返事はなかった。
   「入りますよ、よろしいですか」 やはり反応が無い。
 数馬は、部屋に入り娘の顔色を確かめたが、娘は俯(うつむ)き加減で身動きもしなかった。 暫(しばら)く数馬も黙って座っていたが、その間に、新三郎と打ち合わせをしていたのだ。 数馬は漸(ようや)く口を開いた。
   「お咲さん、今からあなたの心を診察いたします、お体に触れませんし、痛くも痒くもありませんから、目を閉じて楽にしていてください」
 お咲は、素直に目を閉じた。 それを待って、新三郎が「すーっ」と、お咲の体に入っていった。 お咲も数馬も黙ったままで四半刻(30分)程が過ぎ、新三郎が数馬の体に戻ってきた。
   「お咲さん、あなたの悩みがよく分かりました」
 お咲が、ピクッと反応した。
   「歯に衣を着せてお話していたのでは、埒(らち)が明きません、辛(つら)いでしょうがはっきり言わせて貰います」
 お咲は、何が何だかわからないまま、数馬の話に耳を傾けた。
   「お父さんの作兵衛さんに、離れの部屋に連れ込まれて体を求められたのは何時ごろでした」
 お咲は、催眠術にかかったようになり、蚊の鳴くような声で答えた。
   「半年前です」
   「お母さんが再婚されて、間もなくですね」
 お咲は、こっくりと頷いた。
   「その時、お咲さんは抵抗して、行燈をひっくり返したのですね」
 幸い、離れであったことと、いち早く手代が火事に気付いたことで、離れと母屋の一部を焼いただけで、お咲も無傷で助けられた。 その時の恐怖が心的外傷となって、心の端に残ったままになっているのだ。
 お咲が火を恐れるのは、火の恐怖ばかりではない、義父に迫られて喪心(そうしん)したのが原因でもある。
 普通の精神状態であれば、何故そのようなことが分かるのかと不思議に思う筈であるが、お咲は無表情で頷いた。
 その後も義父が体を求めてくるかと数馬が尋ねると、お咲はそこで初めて感情をあらわにした。 畳に臥して声を出して泣き崩れた。
 義父が店の為に身を粉にして働く姿を見ているので、どうしても母親に言えなかったのだ。 強姦ともいえる義父の行為は、度々義理の娘に及んでいるようである。 その度に死を考えるようになったと、お咲は数馬に打ち明けた。
 お咲がお上に訴えれば、強姦の罪に値する。 だが、母親はお店のことを考えて、「お家の恥」と、揉み消そうするであろう。 まずは、母親の判断を見極める必要がある。 数馬は、母親に娘から聞き出した全てを話した。
 母親は驚いた様子であった。 しかし、姦通とは捉(とら)えていないようである。 自分が至らない所為で、娘にその捌け口を求めていると思っているようだ。
   「お嬢さんのことは、どうお考えになりますか」
   「傷物にされたことは腹が立ちますが、お咲は他家へ嫁ぐことはありません、傷物を承知で来てくれる養子をみつけます」
   「あなた、それでもお咲さんの母親ですか お咲さんは死ぬほど苦しんでいるのですよ」
   「あの娘がそう言いましたか」
   「何度も死のうとしたようです、このままいくと本当に首を括るかも知れません」
   「そのように言われても、私はどうすれば良いのでしょうか」
   「娘さんを可哀そうに思うなら、何もここで私が指示しなくても、どうすべきかお判りでしょう」
 母親は、娘は可哀そうだし、と言って亭主と別れる積りはなさそうである。 店と、男と、娘の三つ巴に苛(さいな)まれて、どうすれば良いのか迷っているようであった。
   「とにかく、お咲さんは心の病気です、緒方梅庵診療院に入院させます、わたしも乗りかかった船です、お咲さんの命は護らねばなりません」
 よく、ご亭主と相談して善処しなさい、今のところ私には強姦の罪で義父さんを訴える気はありませんが、お咲さんの命を護るためには、恐れながらとお上に訴えることも考えねばならないだろうと、釘を一本刺して数馬はお咲さんを連れて帰っていった。
 お咲は、診療院に来て気が楽になったようで、食事を済ませると早々と床に就いた。
   「もう、店には帰りたくない」と、数馬にぽつりと漏らした一言が、今までの苦痛を物語っているようである。
   「新さん有難う、新さんがお咲さんの心の中を探ってくれたお蔭で、お咲さんを救ってあげられそうです」
   「お役に立ててうれしいです」 新三郎は、数馬の義兄能見数馬との思い出に浸っているようであった。

 それから、十日程経って、お咲の母親が診療院に訪れた。
   「亭主と別れました、お店が一軒買えるくらいのお金を取られましたが、そんな物は娘には代えられません」
 お咲は納得して、母親に連れられて帰っていった。 母親とても生来の商家育ちである。 商いに精を出して、娘の代(だい)に引き継ぐ決心をしたようだ。

   「新さん、私は梅庵先生の許しがおりたら、旅に出たいのです」
   「先生は、お忙しそうなのに、お許しになるでしょうか」
   「先生のお弟子さんがたくさんいらっしゃるので、それは大丈夫だと思います」
   「それにねえ」と、数馬が打ち明けた。
   「私はあまり先生の役に立っていないのですよ」
   「そんなことはないでしょう」
   「医者とは言え、先生の万年助手ですから…、強いて言えば用心棒です」
   「それで、どちらへ行かれるのですか、まさか風の吹くまま西東、じゃないでしょ」
   「まず江戸へ行きます」
 江戸には、浪花で逢った池田の亥之吉さんが店を開いたという手紙をもらっていたので、遅まきながら開店の祝いを言いたい。 それから、私が捨てられていた寺へ行き、お世話になった住職にお礼を言い、このお寺の無縁墓地に葬られる私の実の父の墓にお参りがしたいのです。
 その後、伊東松庵診療所に行って、元義父佐貫慶次郎の親友中岡慎衛門に会い、信州上田藩士の佐貫慶次郎に会いに行くので、中岡に伝言があれば慶次郎に伝えてやろうと思うのだ。 江戸では、能見数馬さんの所縁(ゆかり)の寺、経念寺にも寄って行こうと思う。 経念寺には、新さんの墓もあることだから。
   「そうでしょう、新さん」
   「へい、数馬さんが建ててくれやした」
   「それから、新さんの故郷にも寄りましょうか」
   「ありがてぇ、弟の元気な姿が、数馬さんの目を通して見ることができます」
   「佐貫の屋敷へ行って、使用人だった池傍の文助さんと、奥さんの楓さんにも会いたい」
   「へー、たくさん寄るところがござんすねぇ」
   「往きは中山道を、帰りは新さんが歿(ぼっ)した地、鵜沼へ寄って、線香を上げて来ましょう」
   「あっしは数馬さんの中に居るのに、鵜沼で線香をあげるなんて、どんな意味があるのです」
   「新さんの供養ですよ」
   「あっしが、あっしの供養しているようで、何だか変じゃござんせんか」
   「まあ、気は心というじゃないですか、私の気が済むようにさせてください」
   「へい、別に異議がある訳じゃないですが、意味が無いような気がしまして…」
 梅庵先生に話をすると、「ゆっくりと回ってきなさい」と、許可をくれた。 言った後、梅庵先生はあわてて「数馬が居ても居なくても良いという意味ではないですよ」と、よけいな事を付け足したばかりに、数馬の心は少し傷ついた。
   「数馬さん、実のお父さんが無縁墓地に葬られている経緯を話してください」
   「それは、もう既に新さんには分っているのではありませんか」
   「いえ、数馬さんはそのことに付いては思い出そうとしやせんので分かりません」
   「そうですね、触れたくないことには、無意識で避けているようですが、新さんには全てお話します」

 実の父は、飲んで帰ると妻子に暴力を奮い、三太(今の能見数馬)と彼の母親は生傷が絶えなかった。 堪りかねた母親が三太を連れて夫の元から逃げるが、見つけ出されて更に酷い暴力を奮われる。 おまけに三太を隠してしまうありさまであった。
 母親は三太を自分の手に返してくれと懇願するが、聞き入れず、仕方なく母親はひとりで逃げてしまった。 三太を妻の手から奪ったものの、父親に女が出来ると三太が邪魔になり寺の境内に置き去りにする。 三太、四歳のみぎりである。
 三太は寺の本堂の床下に入り込み寒さを凌ぎ、腹が減ると町に出て拾い食いをして命を繋いだ。 ある日、茶店でお団子を食べている佐貫三太郎(今の緒方梅庵)に出会い、三太は団子をひったくり、寺の床下に逃げ込んだ。 追ってきた三太郎に説得されるが、三太はこの男が信用出来ずに、三太は床下に籠ってしまった。
 三太郎は、おりにつけ寺へきて三太を刺激しないように優しく呼びかけるが、そのうち、数馬が熱を出して呻いているのを見つけた三太郎は、寺の住職の妻に頼んで床下出入り口を開けて貰い、三太を自らの師である伊東松庵の診療所へつれて行き、手厚く看病する。
 三太郎が、三太を自分の代わりに養子にしてくれと父に頼み、三太は佐貫家の後継者として養子に入るが、再婚した佐貫慶次郎に男子が誕生する。 その子が四歳になったとき、三太は養子縁組を解消して義弟に後継を譲り、江戸へ母親を探して旅発つ。 三太は十四歳になっていた。
 三太の面影を追って、母親は三太が置き去りにされた寺へ、しばしばお参りに来ると聞きつけた三太は、この寺で母親と再会する。 が、父親もまた母の後を付けて寺へきていた。
 妻を踏んだり蹴ったりする父を見て、母を助けたい一心で三太は父を殺害してしまう。 子供とは言え、実の親を殺した罪は重刑に値する。 こっそりと処刑されて屍は刑場の敷地に埋め捨てられるのが決まりであるが、時の奉行は三太を憐れと思い、処刑したと見せかけて息子を亡くした知り合いの能見篤之進に預ける。 篤之進は三太の名を能見数馬と改めて養子に取り、三太の実の母もまた能見家に迎えられている。 その能見篤之進の元へ、亡き能見数馬の(自称)生まれ変わりという数馬の記憶をそっくり受け継いだ佐貫三太郎が訪れ、義弟の三太に出会う。
   「へー、三太さん、いや数馬さんは、ここまで苦難の人生だったのですね」
   「そうでもないですよ、佐貫の義父との生活は楽しかった、剣道や馬術も教わりました」 
 未だに、佐貫慶次郎は、数馬のことを「三太」と呼び、我が子だと思っているらしい。

  第二回 火を恐れる娘(終) -次回に続く- (原稿用紙14枚)

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「第十回 贄川の人柱 ...」へ
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