雑文の旅

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猫爺の連載小説「池田の亥之吉」 第五回 鈴鹿峠の掏摸爺

2013-09-26 | 長編小説
 一里塚は伊勢の国が近付いたことを示していた。 辺りは畑ばかりで、点々と農家の藁葺屋根が見える。 池田の亥之吉が向かう先、行き交う旅人の中に少し腰の曲がった老婆が独りで歩いている。 亥之吉は老婆に見る見る追いつき、追い越そうとした時、老婆がペタッと両手をついてしゃがみ込んだ。
   「婆さん、どうした」 亥之吉が婆さんの肩を叩いた。
   「ここから三里先の、次男のところへ行こうと思とりますのやが、足が縺れて行くに行かれず、戻るに戻れず」
   「次男は、迎えに来てくれないのですか?」
   「へえ、何も伝えていませんから」
   「今、住んでいるのは?」
   「この直ぐ近くです、ほら、あそこの柿の木が二本並んで立っているところ…」
   「なんや、まだなんぼも歩いてえへんやないか、わしが連れて帰ってやる」
 亥之吉が背中を向けてかがんでやると、婆さんが泣きはじめた。
   「長男の嫁に放り出されたもので、帰れません」
   「何、嫁が? そらまたなんちゅう嫁や、鬼嫁か?」
   「わしが働かないと言っては箒で尻をたたくのです」
   「嫁が姑を叩くのか? そらあかん、婆さんが出て行かんと、そんな嫁を放り出したれ」
   「長男が嫁に惚れとりまして、嫁の言うままなのですわ」
   「頼りない長男やなあ、よし、わいが行って説教したる、ほれ、わいの背中に乗れ」

 亥之吉は婆さんを背負って家まで行き、縁側の縁に「どっこいしょ」と、婆さんを座らせる。
   「おい、鬼嫁っ、婆さんのお帰りだっせ」
 嫁は、裏で洗濯をしていた様子で、手拭で手を拭きながら出て来た。
   「あら、お母さん、いつの間にどこへ行っていらしたの?」
   「いらしたのやないわい、お前が追い出したのやろ」と、亥之吉。
   「いいえ、お母さんを追い出したりしませんよ」
   「そやかて、婆さんが…」
   「またですか、ちょっと私に気に入らないところがあると言ってはぷいと外へ行って、旅人さんに連れて帰って貰うのです」
   「婆さん、ほんなら、あれは嘘か?」
   「あれ? わし旅人さんに何か言いましたかいな」
   「働かへんと、尻を叩くとか」
   「いいえ、うちの嫁は三国一の良い嫁です」
   「鬼嫁とか」
   「それは、あんさんが言いなさったのでしょ」と、婆さんは嘯く。
 どうなっているのだろう。 自分はまた狐に騙されているのかと、亥之吉は自分の眉に唾を付けて見た。
   「えらいすみません、うちのお母さん、若い男の人に背負われたいので、こんな嘘をつくのです」
   「色気悪いババァやなぁ、旅人はみんな暇人やないのやで、ええ加減にしいや」
   「そやかて、わしが長男と一緒に寝とったら、この嫁が邪魔しよるもので」
   「ちょっと待ちいや、一緒に寝るって、昼寝か?」
   「いいや、夜中です」
   「気色悪る、息子と寝て二人で何をしていますのや」
   「そんなこと、他人のあんたさんに言えやしません」
   「婆さん、あんたら親子は変態か、それともお化けか」
   「いいえ、普通の息子と母です」
   「それで、息子は何と言っていますのや」
   「お母ちゃん言うて、喜んでいます」
 亥之吉は、嫁に尋ねた。
   「ほんまか?」
   「はい、それは本当です、それはそれで良いのですが、偶には私と寝て貰わないと、子供が出来しません」
   「うわーァ、この家は、お化け屋敷か」
 亥之吉は、塩があれば体に振りかけて、清めたい気持ちであった。
   「どうなと、あんさんたちの好きにしなはれ、そやけど旅人に迷惑をかけるのはこれっきりにしなはれや」
 まだ同じことをやるようだったら、お役人に知らせて、「昼間、色気婆さんが出るので注意せよ」と、御布令の看板でも立ててもらわないといけないと亥之吉は思った。

 亥之吉は、近江の国を過ぎて鈴鹿峠に差し掛かった。 ここからは伊勢の国である。 亥之吉は変な親子に引っ掛かり、気持ちはむしゃくしゃしていた。 峠の茶店で、甘酒でもと思ったが、財布の中には一分銀が一枚だけ。 我慢をして峠を下りにかかった。
 甘酒は我慢したが、煙草が吸いたくなった。 チョンチョンと艾に火を点け、煙草をすっていると、こんどは爺さんが煙管(きせる)を持って近付いてきた。
   「兄さん、ちょっと火かして貰えませんか」
   「ああ、いいよ」
 亥之吉が吸っていた煙管を差し出すと、爺さんはスパスパと自分の煙草に火を点けた。 ありがとう、と爺さんが亥之吉に煙管を返したが、煙管の先にあった亥之吉の煙草がなくなっている。
   「爺さん、わいの煙草は?」
   「あ、すんません、わしの煙草の上にくっ付いていますわ」
 爺さんが、亥之吉の煙管に乗せてくれた。
   「爺さん、火のついた方を下にして煙管に乗せたらあかんがな、わいが吸うたら、火が口に入るやないか」
   「えらい申し訳ないことをしました、お詫びにこの煙草入れを差し上げます」
   「要らん、要らん、お詫びなんてしてもらう程のことやあらへん」
 それでも、「どうぞ、どうぞ、貰ってください」と、亥之吉の懐に煙草入れを入れようとする。
   「爺さん待ちいや、その手付きなんだんねん」
   「え?」
   「それに、あそこの岩陰に隠れてこっちをチロチロ見ている若いのは何だんねん」
   「わしの連れじゃありませんや」
   「そうか、わかった、わかった」
 亥之吉は、突然岩陰の男たちに向けて、大声で呼びかけた。
   「そこの若い衆、爺さんがもうええから出て来い言うてるで」
 岩陰から、二人の男が顔を出した。
   「へい、親父さん、出ても良いのですか?」
   「ボケ、わしは何にも言うてないやないか」
   「でもこの人が、親父さんが出て来いと…」
 亥之吉が大笑いした。
   「ほれ、仲間やないか、お前ら、巾着切の修業中か?」
   「へえ、そうです」と、若い衆。
   「こらポケ、また兄さんの言葉にひっかかりやがって」
 亥之吉は可笑しくてたまらないのを我慢して、爺さんにいった。
   「見習いをさせるのなら、相手選びから教えんとあかん」
   「面目(めんぼく)ない」
   「お前ら若い衆も、もっとまともに働くことを考えなはれ」
 一人が口答えをした。
   「兄さんも、やくざやないか、そんな偉そうなことが言えますか?」
   「今はやくざに身を窶しているが、わいは江戸へ行って一旗あげるつもりです」
   「もしや、名のある盗人の親分ではありませんか?」
 どうぞ、俺たちを子分にしてくださいと、二人は頭を下げた。
   「アホ言え、わいはもともと浪花の商人や」
   「へえー、格好良いと思ったのに、商人ですか」
   「商人のどこがかっこ悪いのや」
   「そやかて、士農工商と言うじゃありませんか、商は一番下です」
   「その下にまだあるのや、士農工商の下に人で、掏摸、泥棒、強盗と続く」
   「それ、本当ですか?」
   「お前らなぁ、せめて人から這い上がって商になれや、ここから近江商人の町は近いんやから」
   「わかりました、今から近江商人の町へ行って、商売の修業をします」
 若者二人は、掏摸の親方を置き去りにして、アホみたいに素直に近江を向けて歩いていった。
   「爺さん、あいつら行ってしまいましたで、爺さんはどうします」
   「わしもそろそろお奉行所に自訴して、首でも刎ねて貰いましょうか」
   「と、言うことは、爺さんの懐に十両以上入っているってことですか?」
   「かれこれ二十両ばかり…」
   「冗談やないで、ほんまに首が飛ぶわ」
   「親分、どうしたら宜しゅうございますか? 懐の中のもの全部親分に差し上げます」
   「こら爺、わいに罪を全部着せる積りやな」
   「そんなことは決して…」
   「嘘つけ、顔に嘘やと書いてあるわ」
   「わかりますか」
   「わからいでかい、爺さんも足を洗って孫の世話でもしてのんびり余生を送りなはれ」
   「娘は一人いますけど、まだ孫はいません」
   「娘さん、まだ独り者ですか?」
   「そうです、家を出て掏摸をやっていると思います」
   「甲賀の辺りでか?」
   「兄さん、わしの娘知っていますのか?」
 池に石を放り込んで、身投げをしたと見せかけ、池に飛び込んで助けようとした旅人から、財布を盗む手口を使う女ではないかと、亥之吉は爺さんに尋ねた。
   「そうです、あの手口はわしが娘に教えたものです」
   「ええ加減にしなはれや、わいも引っ掛かってしもうたやないか」
   「兄さんも、結構間抜けたところがあるのですね」
   「どついたろか」
 何だろうこの父娘と、呆れてものも言えない亥之吉であった。
   「今度出逢ってまだやっていたら、番所に突きですからな」
 憤慨して、亥之吉は鈴鹿峠を江戸へ向け、下っていった。

   第五回 鈴鹿峠の掏摸爺  -次回に続く-   (原稿用紙12枚)

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