ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

第三の眼 秘境チベットに生まれて

2020-08-28 12:55:42 | 

 

チベットの僧侶ロブサン・ランパが書いたといわれている

「第三の眼」(ロブサン・ランパ著 1957年刊)

をamazonの中古本で入手しました。

これ、うちにあると思って探したけどなかったので(売った?)中古本を探していたのですが何しろ古い本で、高いものは数千円の値段がついていました。でも幸運なことにamazonの中古本で500円で手に入れることができました!

外側はボロボロ。何せ1957年刊なので字も小さく印刷も薄くて読みづらいのですが、それでも夢中になって読みました。

最初にこれを読んだのはもう40年以上前のことで、ストーリーはよく覚えていなかったのですが、僧院で凧揚げをするシーンは鮮明に覚えていました。

今回読んでみると、凧揚げのシーンの他にもたくさん印象的な場面があって、

これって、チベット版「ハリー・ポッター」じゃないの、と思った。

7歳のときに、占星術で運命づけられ僧院に入った少年(ロブサン)の成長譚であり、魔法の勉強(第三の眼の覚醒)とそれを使って様々な経験をする物語です。

JKローリングは絶対これを読んでいるに違いない。

第三の眼を開眼したロブサン・ランパは人のオーラが見えるようになり、中国の使節団のオーラが邪悪な赤をしているのを見たりします。

ポタラ宮でダライ・ラマと接見したり、高僧をミイラ化して金箔を施すやりかたを事細かく描写したり、またその際に、ロブサンは自分自身の前世の姿(同じく僧だった)を見つけたりします。

また洞窟の奥で巨人の遺体と共に3日間も過ごしたり、瞑想の中でチベットが海の底だった時代を見たり・・これって4千万年も昔の話よね。

死に関するチベット人の考え方もとても興味深い。

人を乗せた凧が地上150メートルくらいのところで風にあおられて乗っていた人が落下するのですが、その後も皆何もなかったかのように凧揚げは続けられます。

落下して死ぬ人は時々出るようで、チベットの死生観はそれを重大視しないようなのです。最初に読んだとき、ショックでした。

人が凧から落下して死んだのに、まだ凧揚げを続けるのか、と。

人の死は運命であり、死そのものは恐ろしいものではない。なぜなら転生するのだから・・それがチベット人の考え方です。特に僧侶たちはその教えを伝えるために勉強しているわけなので。

ロブサンは占星術により、若くして死ぬことはないと言われていたので、凧に乗って死ぬことはないと信じていました。占星術のとおり彼は生還しその後も何度か凧に乗って大空を舞います。

この本は、後に、イギリス人シリル・ヘンリー・ホプキンズによって書かれた偽書であると暴かれたことは有名な話ですが、

私はやはりこれは偽書ではなく、実際にあった話ではないかと思いました。

なぜなら描写がものすごく細かくて具体的で、一度もイギリスを出たことのないホプキンズが想像で書ける範囲をはるかに越えているからです。

成瀬雅春氏がいわれているように、これはホプキンズとロブサン・ランパがテレパシーあるいはチャネリングを通して生まれた本なのではないでしょうか。

さらに、ロブサン・ランパの本として、

「古代の洞窟/チベット少年僧の不思議な物語」

も面白そうなので読みたいと思っています。図書館にあるかしら。

ほんと、世界というのは不思議な場所です。
特に人間の想像力、創造力の不思議、それは、とりもなおさず意識の不思議です。
 
ヨガ的にいうと、この世にはまず意識(心)が生まれ、その意識(心)が「生きたい、繁殖したい、栄えたい」と思ったので、空、地、水、火、風が生まれたそうです。
 
つまり、物質より先に意識(心)が生まれたわけ。
だから、物質をコントロールするのは意識(心)です。
 
意識(心)が先、物質や身体は後。
だからこそ、私たちの意識(心)次第で、私たちの現実は変わってくるし、生き方も変わってくるというわけです。
 
世界にはまだまだワクワクするような不思議がいっぱいあるようです。

楽しみだにゃ~

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