夏前に、家の片づけに専念してかなりモノを減らしたわけですが、
大量にモノを捨てて出来た空間には、以前と同程度のモノが入りこみ空間を占領する、
という不思議な現象が今我家では起きています。
というか、自分で招き入れたのですがね。
猫が、空間を占領しているわけです。
粗大ゴミで捨てたちゃぶ台や一人用ソファー、本が詰まった段ボール箱の代わりに、猫グッズや猫用トイレ、猫用ベッド等が入り込み、せっかくできた空間を再びモノで埋め尽くしています。
猫と暮らすってこういうことだったよね、と改めて(40年ぶりくらいに)思い出しています。
我家にやってきた黒猫のクー(メス、推定2歳)は、野良猫だったのを保護猫ボランティアのMさんが保護して、避妊手術や予防注射などを施した上で私に譲ってくれました。
何しろ2年間も路上で暮らしてきた野良猫なので、警戒心がやたら強く、なかなか慣れてくれません。
少しでも近づくとシャーッ!!と威嚇され、ちゅーるで誘っても手を伸ばして触れようとすると連続シャーッ!で威嚇される。
そういう日々がひと月あまり続きました。
ケージを取り払い(最初はケージを借りてそこが彼女の隠れ場所だったのですが)今は私のベッド下がクーの隠れ場所。昼間はそこに隠れたままほとんど出てこない。
夜になると、居間や南側の六畳間で一人運動会をしています。
それでも徐々に慣れてきて、最近では私なら触らせてくれるし、なでると喉をゴロゴロ慣らします。
猫はこうじゃなくちゃ、とようやく猫を飼っている気分になったところ。
かわいいよぉ。
なので存分に甘えさせています。
なでてなでて「クーちゃんかわいいねえ、美人だねえ、いい子だねえ」と美辞麗句を連発し、
「ほんとに美人だねえ。クーちゃんほど素敵な猫は世界中に一匹もいないよ。私の大事なクーちゃん、大事で大事でかわいいクーちゃん・・」
と、いまだかつて私が言われたことのない褒め言葉を並べてクーを褒めたたえています。
それでも、ちょっとでも物音がしたり、私が不意に立ち上がったりすると、びくっと驚いて、サーッと逃げ出しベッド下に隠れてしまいます。
なので、まだ私以外の人の前には出てこない。
というわけで、しばらく時間がかかりそうですが、必ずや、人間は怖いものではない、この家の人たちは皆優しくて親切でちゅーるもくれるしいい人たちなのだ、とクーの信頼を得る日がくることを信じて、日々猫と接しております。
黒猫なので逃げ出して隠れてしまうと、どこにいるかわからないのですよ。
一度洗濯機の裏に隠れてしまい、家じゅうを探しまわったこともありました。
朝起きると、ケージの中に爪とぎの段ボール片やらトイレの砂やらが散乱し、酷い状態になっていたこともありました。たぶん自分が置かれた状況がよくわからず不安だったのでしょう。
最近では押入れの戸を開けることも覚えたし、私がお風呂に入っていると、風呂場の入口の引き戸を開けて覗いているようで(覗き魔か?)、風呂から上がると必ず引き戸が10㎝ほど開いています。
人間に興味があることは確かで、ちょっとでも違う動きをすると、目をまん丸にしてびっくり顔をして、場合によってはどこに逃げようかとしっぽを丸めてあたりをキョトキョト見まわしたりします。猫はこういう具合に反応するのね、とよくわかり、非常に興味深く面白いです。
まだまだ家猫として慣れているとは言い難いですが、やがて慣れてそこら辺でゴロゴロするようになると思います。
生き物を飼うということは、私自身(潜在意識を含めて)の延長が目に見える形でそこにいる、ということなので、それも面白いなあと思っています。
世界は私自身の反映である、とバシャールが言うことが真実なら、猫もまた私自身の反映であるわけなので、これはもう心してかからねば、と思っています。
おいらも忘れないでね。
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