雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。

宮柊二・宮英子とて黒と朱の

2007-04-18 17:49:04 | 日々写す



              宮柊二・宮英子とて黒と朱の文字の並びぬ富士の裾野に



          

                                 「文学者の墓」富士霊園にて



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5 コメント

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Unknown (おおまつ)
2007-04-18 19:54:35
富士霊園はまだ訪れたことがありません。
宮柊二の墓は故郷の新潟県堀之内町にあります。
さいきん、宮英子さんがどこかに新しい区画が当たったのよ、と言っていたのでもうひとつ新設されたものもあると思います。
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分骨されているのでしょうか? (髭彦)
2007-04-18 23:09:50
富士霊園の「文学者の墓」というのは今回初めて気がついたのですが、おそらく個人の墓とは別に文学者の共同墓地として日本文芸協会によって作られたもののようです。
すでに個人の墓がある場合には、分骨されているのでしょうか?
形式は、沖縄の「平和の礎」をちょっと連想しました。
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Unknown (おおまつ)
2007-04-19 23:08:47
 宮先生のお墓は、多磨霊園にもあるはずですから、分骨には抵抗がないのかもしれません。
 あるいは、共同墓地は名前だけなのかも。柊二がそういうことに頓着したとは思えないのですが、英子さんはしっかりものですから、社会的付き合いの上で共同墓地に参加したのでしょう。
 赤字というのがリアルですね。あさっての編集会で聞いてみます。
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Unknown (雪の里)
2007-04-28 17:25:30
『宮柊二の墓』で検索しまして、ここにたどり着きました。宮柊二氏に関して知っている範囲で書き込みさせて頂きます。
宮柊二氏の墓は、新潟県魚沼市堀之内と富士霊園の文学者の墓のみです。多磨霊園には存在しません。また文学者の墓に関してですが、墓にはその故人が生前愛用していた品物を納める事になっていると聞いております。ですから文学者の墓には分骨していないはずです。
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雪の里さん、ありがとうございます (髭彦)
2007-04-28 23:20:18
ご親切に、貴重な情報を教えていただき、ありがとうございます。
<文学者の墓>は、そう伺って納得がいきました。
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