雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。

われ好むヘンリー・ムーアの

2008-04-26 23:08:35 | 日々写す



            われ好むヘンリー・ムーアを高原の芽吹きのなかに観るぞうれしき


 

                                           彫刻の森美術館にて



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7 コメント

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散文に堕してしまっているのでは? (Fou)
2008-04-27 12:34:52
少ない語よるとはいえ、短歌は韻文詩。説明的になると歌い手の感動が平板になってしまうのではないでしょうか。でも、伝わりますが。
伝わりますね、ほんとに (かぐや)
2008-04-27 20:48:37
こんばんは。

○われ好む、の大胆不敵な私物化がこの場合成功
あまり独善的におちいるのは一般には歌としてよくないですが。

○芽吹き、この一語がこの歌の眼目です

○うれしき、これは素直で、良寛をおもわせます

「うれし」、こう言ってしまうとするなら、これでしょう。微妙に他の語と連携しているので、よい選択です。

のびやかなムーアの作品だからこそ生きた歌。
お写真もいいから、でしょうね。

読みはいろいろ可能ですし、ひとつの事象から何首でも生めますから、いまお持ちの克服すべき癖には留意しつつも、持ち味はそのままに、萎縮せずどんどん感動を歌いとめたらよろしいのではないでしょうか^^

それにしても気持ちのよい行楽(お仕事の一環だったとのことですが)だったようですね。

拝見したこちらまで気分爽快です。



きっと際どいところなのでしょうね (髭彦)
2008-04-27 21:47:01
僕は、1970年代の初めに彫刻の森美術館でムーアの作品に出会って以来の、かなり強いムーア・ファンなのです。
彫刻の森美術館の構想自体がムーアに拠っているのだそうですが、そこで最初にムーアに出会えたのは幸運でした。
以来、何回となく彫刻の森美術館を訪ねましたが、いつ観てもムーアのあのおおらかなフォルムには心が惹かれます。
昨年はめずらしく雪の季節と早春に訪ねましたが、ほとんどは秋に訪ねてきました。
今回初めて花と芽吹きの季節に訪ね、また新たな情景のなかでムーアを楽しんできました。
その感動を歌ったわけです。
たしかにちょっと散文的かなと思いつつ、ぎりぎりかなとも思っていました。
きっと際どいところなのでしょうね。

ところで、1991年にロンドンでイギリスの靖国神社みたいなセント・ポール寺院を訪ねて辟易したのですが、そこで思いがけなくムーアの白い大理石の聖母子像に出会い、感動しました。
1986年に亡くなったムーアはこの寺院に葬られているのですね。

今日、mixiのコミュニティでトロントにあるオンタリオ美術館のムーア・コレクションの存在を知りました。
定年後に、高校時代以来の親しい友人を訪ねてカナダを旅するつもりなので、その際にはぜひ訪ねてみたいものです。

エルサレムにもイサム・ノグチがデザインした彫刻公園にムーアがあるそうです。イサム・ノグチ・ファンでもある人間としてはよだれが出そうですが、エルサレムはちょっと遠いですね。
ムーア様様 (かぐや)
2008-04-27 22:57:43
ぎりぎり。なるほど。まぁ言ってしまえば・・・
「の作品を」というところで、散文に傾いてはおります・・・。(すみませーん)

中七をどうにか変えられたらいいんですけど。
でもお好きになさってください

カナダもエルサレムもきっと行かれますよ^^
体力・お金・時間がそろうかぎり、人生はたった一回きりですもの、どこだって行っちゃえ~と思います。

好きな作家めぐりだなんて。
私も涎がでます・・・。
たしかに… (髭彦)
2008-04-27 23:22:47
「の作品を」はたしかにそうですね。

われ好むヘンリー・ムーアを高原の芽吹きのなかに観るぞうれしき

このほうがいいですね。
ありがとうございました。

イサム・ノグチめぐりもしてみたいものですが…。
高原 (かぐや)
2008-04-28 21:54:19
高原をいれたのですね。気持ちよさが増しましたね。
このままでも散文的ですが、このほうがいいですね。

散文調を抜けるためには、たとえば、「われ好むヘンリー・ムーアおおどかに芽吹きのまなか観るぞうれしき」などと、考えてみておりました。〈に〉の繰り返しもなくしています。

〈何にかかるのかわからないように形容動詞をいれる〉、のも、小手先ですが技かもしれません。私が勝手にそう思うのであって、マニュアルではないですけれど。なにかの際におためしくださいね。

私ごときの恩返し短歌アドバイスボランティア、勘所をとらえて随分上達されたご様子の髭彦さんには、もう十分です。ここ2ヶ月ほどは東京におりましたので寄らせていただきました。

最後の引率だったとのこと、そのためか、子供たちをまぶしむよい歌が生まれましたね。これからはたくさんご自分のために楽しんでくださいね。

口下手の私の気まぐれな書き込みにいつもお優しくありがとうございました。
ますますお元気で。
いつもながら… (髭彦)
2008-04-28 23:19:55
的確なアドヴァイス、ありがとうございました。
また、よろしくお願いします。
孫のような生徒たちの葛藤しつつ伸びゆく<あをい>エネルギーに、寄り添い、共感し、刺激されるのはなかなかいいものですよ。

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