指先に指紋のあれば声帯に声紋ありて人はひとなり
―<隣国が独立を祝ふ日に、朝鮮伝来といふ木瓜の清らに咲くを見て>
春されば木瓜の清らに咲き匂ふ故国奪ひしこの国でなほ
*
微かなる歯ぎしりなれど吾よりもごまめ勝れり田作りも為し
音高き歯ぎしりすれどごまめにも吾は劣りぬ田作りもせで
絶対の絶対になき絶対を生きぬくほかに道のあらむや
指先に指紋のあれば声帯に声紋ありて人はひとなり
100201
吾(あ)も止まり蜜を吸はむか蜂となり春に先駆け咲く白梅に
いちまいの虫喰ふ葉にも果てしなき時の織りなすいのちあふるる
*
さす傘にさわさわさわと降り初めし雪のいつしかしんしんと降る
100202
野心なき暮らしを生きて吾がうちに育ちしものは野ごころなるか
雪ふるを厭ふこころの生(あ)れしから老ひの始まる今し思へば
六十路来て雪の降りしをよろこべるこころ新たに生るるうれしも
初雪の白く残りて一輪の椿落ちゐぬ紅く清らに
100203
瑠璃色の玉(ぎょく)にぞなりぬ蛇の髭ゆちひさき珠の雪に落ちゐて
万両の紅き珠より雪解けの水滴るを飽かず眺むる
自転車のサドルに白くうつすらと持ち人知らぬ雪積もりけり
100204
ニンゲンの平和のありてネコたちの平和(パクス・ネコタチーナ)もあらむかなしきことに
100205
―<飯嶋和一の歴史小説を読みて>
雷電の『本紀』を読みて昨今の相撲を見る目変はりたりけり
生きるとはかくありたしと胸騒ぐ『出星前夜』『黄金旅風』に
『始祖鳥記』『神無き月』を読みて知る民のかく生きかく死にたるを
糞侍(ぶさ)どもに屈せず生きて死にゆきしあまたの民のあるを忘れじ
100209
―<偉大な歴史家ハワード・ジンが、一月二七日、享年八七歳で逝けるを 知りて>
アメリカに受け継ぐ歴史あるを知るハワード・ジンの著作を学び
屈せざる民の歴史をいきいきと描きて逝きぬハワード・ジンの
帝国と搾取を憎むアメリカの民をば描き巨匠去りゆく
自らの空爆生みし惨劇をジンは知りてぞ戦憎める
アメリカにハワード・ジンの跡を継ぐ巨人の出でよ知と行動の
*
つぎつぎに咲く黄の花の鮮らけき季(とき)のありてぞ春の来るらむ
*
雪やみし越後の空の青ければ里峰々の白く清しき
六十路こえ越後の雪にシュプールを下手にはあれど描き来られぬ
100210
―<六六歳の誕生日を迎へて>
仕事から解き放たれて初めての誕生日訪ひものをば思ふ
戦世の最中に生(あ)れし吾老ひていかなる世にぞゆきとしゆかむ
戦世をともにし父も母も亡く兄も逝きける姉のみ残り
この国に戦の絶えてなけれども吾が裡深く翳残りゐぬ
人生の冬は冬にしさはあれど冬には冬を楽しみ生きむ
*
如月の青き美空に匂ひたつ梅花求めぬメジロと吾と
100211
建国の日づけ中身を誰思ふ<記念日>ならぬ<記念の日>にぞ
*
いつしかに春夏秋の過ぎゆきて冬とはなりぬ吾が人生も
野に遊び地を走りなば暇(いとま)なき日々にしあらむ職退きてなほ
盗人の猛々しくも公園に恩賜のことば残しをりけり
100212
草花も樹木も鳥も名を知らで暮らし来しけり愚かよ吾は
疑ふと信ずることの間をば歩みて行かむ六十路の旅も
100213
銀の宙に浮かびて独り乗るリフトの吾に雪の戯る
意図せざるサインをひとは出しつづけ読み解くひとの愛を待ちゐむ
過てど岐路にぞ立たば行く道を自ら決めて悔ひのあらざる
東西の壁の崩れて時経てどアジアに残る南北の壁
菜穂子とふ名前流行りし時あるを若者知らず堀辰雄をも
*
枝うねる梅の大樹の下に立ち仰げよ天を花紅ければ
100214
―<六十年前の寒き冬の日を思ひて>
父焼かれ意味も知らずに母たちと吾も拾ひぬ白きかけらを
こよなくも鳥を愛する<夢>ちやんが娘を産みて<青>ちやんと名づく
吾をして穏やかなリと生徒らの評しくれけり短気のわれを
年上の親しき友を案じ打つ<メールのなきは元気な証拠>と
接吻のベーゼとなりてキスとなる歴史ありけり戦はさみて
懐かしきくんちぇ言葉の会話から始まる映画『フラガール』よし
100215
<yakata>とて打てど<館>の出で来ざる日本語ソフト誰ぞ作りし
最近はNHKまで視線をば目線と言ひて恥じる様子(さま)なし
銀鱈の西京漬けを食む度に美味しうましと口のよろこぶ
他人の背をプラットホームで押しかねぬ狂気育む世にぞなりつる
猫ほどにかく気まぐれな生き物のほかにあるやと日々に愛しき
狐疑するの性(さが)はなけれど為すべきを吾のためらふズボラがゆゑに
*
美味知れば六十六の誕生日祝ひて食みぬアラブ料理を
100216
埋まりゆく吾がカレンダー見つ笑ふ遊びをせんとやひと老ひゆかむと
隣国の人ら首都をば英語もて口する度に魂(たま)思はむか
―<飯嶋和一の歴史小説『雷電本紀』を読みて思ふ>
雷電の『本紀』を読まば人びとの相撲を見る目いたく変はらむ(「100205日々歌ふ」改稿)
環境の語義ひろがりてこの星のいのちすべてを包みこみゆく
熊楠が説のをかしく牛若もナントカ丸もオマルのマルと
五輪こそたかがされどの世界なれ時にそはそはときにはらはら
*
不忍の池畔走れば吾(あ)が面(おも)に霙降り初む心地よきかな
われ走る冬の池畔にぽつねんと佇む人の常にありけり
100217
陰翳をせめて刻まむわが顔に美男の血筋受けつがざれば
ご利用は計画的にとサラ金のCM流すいけしやあしやあと
秤売る古色蒼然類なき店のありたり宮益坂に
ル・グウィンのSFまでも百円で売られにけりなブックオフでは
彼の国の首領称ふる狂乱にイズムの末路苦く思ひぬ
*
雨氷とふ厳しき試練木々草の耐へてぞ美(は)しき春のありなむ
100218
箱買ひのみかんを食みて指先の黄色くなりし冬のありたり
教へ子の若くわかくなりゆきてつひには孫の世代となりぬ
黄金のジパンゴめざす幻想の果ての果てなる今しこの世は
過不足のありて困るは常なれど最たるものは正義なりけり
空耳ととぼけたりしが隣室の訝るほどに音漏らしけり
怠業と訳されをりし仏語をば誰ぞ略してサボると言ひき
見えるもの見えぬものありこの世にはいかに高価なレンズ使へど
*
―<「国宝土偶展」(東京国立博物館)を観て>
過ぎ去りし時空をこえて鮮らけき縄文土偶に魂を奪はる
想ひかつ形に造る縄文の民のちからの土偶に宿る
なにを得てかく豊かなるちからをば吾ら失ふこの列島で
土偶にぞ魂を奪はれ出で来れば巨樹の迎へぬ国博の庭
100219
タバアネと呼ばれし姉の田畑家にをりて妹<束芋>となる
*
鉛管の破裂恐れる日々ありき都心に住めど冬の厳しく
学者にはつひにならねど時としてからかはれたり学者ですねと
身ぐるみか化けの皮かは知らねども剥ぎてみたばや将軍たちの
100220
ドッカツって何かと聞けば吾妹子の死ぬほど笑ふウドにありせば
あちらには将軍様(チャングンイム)がこちらには闇将軍の在(おは)しにけると
*
―<「創立40周年記念コンサート 東京クヮルテットの室内楽 Vol.4 Journey 旅」、2/18、王子ホール、を聴きて>
深き音のわが琴線に触れつづけ鳴り響きたりクヮルテットの
深遠なラヴェルに続く渾身のラズモフスキーに魂震へたり
シューベルト、ドビュッシーをも深々とアンコールにぞ聴かせくれける
誰思ふ四十年前の異端視を若き東京クヮルテットへの
跡継がむアルバン・ベルクの去りゆける世界を東京クヮルテットこそ
*
瀬戸内の淡路島より春運びくれなゐ薄き花の届きぬ
*
他人事と思へぬ病耳なれぬペットロスとふ症候群の
馬群れし県(あがた)もあれば山梨の実りし県もかつてありけむ
100221
写真撮る暇与へよわぎもこよパスタ湯気立つ吾(あ)が手づくりし
*
じやんけんで北海道からアメリカへ、ヨーロッパまで旅せむ、子らは
幼児語でポツポポツポと汽車走り死語とならずも岡蒸気のごと
天上の来世は知らずわれ願ふ地上の来世に平安あるを
表参(オモサン)と聴きてのけぞる馬場(ババ)・袋(ブクロ)・三茶(サンチヤ)・中目(ナカメ)は知りたる吾も
―<南アフリカのワインBrahms Pinotage 2006を飲みて>
虹架ける国にぞ生(あ)れし美酒に酔ふ色・味・かほり深きもふかく
100222
誰知るや池面に己映し見る枝垂れ椿の花の紅きを
杜覆ふ小暗き池に狩をなす鷺の白かり影の白かり
*
刺青で人の身体に番号を記す狂気の文明ありき
婆の音の強きがためか老爺より憎まれをらむ老婆の呼称
自意識の失はれしとき何故にひとはぽかんと口を開けるや
底意なき人にありけむ僧正の鳥獣戯画のおほらかなれば
アメリカの民の豊かな歴史をば描きて去りぬハワード・ジンの
100223
翡翠(カワセミ)の池から池へ低く飛ぶ姿を追へばこころ高ぶる
*
壮大な灌漑ゆゑぞアラルなる湖(うみ)も涸れ果て大地の枯るる
厨房に男子は入らず厨にもされば入らむか台所にぞ
むべなるか子らの脳(なや)むと書きけるも人の心は脳にし在れば
列島の病みて十年けふもまた自ら逝かむ百人ほども
100224
遠足の朝のごとく目覚めると吾妹笑ひき寝呆助われを
*
くれなゐの河津桜は咲き満てり如月すゑの川辺を埋めて
100225
春待てる人こそ湧きね水の辺に河津桜の咲き満つ午後は
菜の花の河津桜と競ひ咲く伊豆の水辺に春は訪ひゐぬ
*
漫画家の殿堂あらばまづもつて鳥羽僧正と北斎入らむ
万葉に糞鮒食めると歌はれし女奴いかに生きて死にけむ
蒸し風呂のニホンの夏にネクタイでいつまで絞めむ男(をのこ)の首を
100226
端折らずに二度も祝ひぬ如月に共に生れたる我ら今年は
*
鳥たちも花の季節をよろこばむ木々に川瀬に姿も美しく
*
『パリ燃ゆ』と『鞍馬天狗』の間にぞ戦(いくさ)ありけむ大仏次郎の
少年の吾も泣きたりルイーゼとロッテのふたご出会ふ話に
人骨も万の単位の時経なばひと狂喜して地より暴きぬ
100227
―<目良亀久「春一番とは」に寄せて>
海民の春一番と壱岐でこそ恐れ呼びけめ春の嵐を
いちばんに春一番を論じける壱岐目良翁が血吾(あ)にも流れむ
*
山頂の河津桜を見上ぐれば中天高く昼月の見ゆ
春の陽に欣喜雀躍ミツマタのちひさき花は咲き踊りけり
*
雛壇の順位争ふ闘争の熾烈なりけむ赤の広場で
電脳の匿名世界で愚者たちは弱きをくじき強きを助く
やはやはと薄くなりたるわが髪の怒髪となりて天を衝かざる
100228
広大なアーキペラゴに島ありてゴントと言へりゲドの育ちし
駅前で義足義手つけひざまづく白衣のひとに児らは怯えき
山は裂け海は褪せして成りなりし地震絶えざる列島のあり
英蘭のかつて争ひ日本語に混乱残すコップとカップの
早弁の臭ひ漂ふ教室に入りて苦笑す覚えのあれば
―<隣国が独立を祝ふ日に、朝鮮伝来といふ木瓜の清らに咲くを見て>
春されば木瓜の清らに咲き匂ふ故国奪ひしこの国でなほ
3月1日 六義園にて
山茱萸(サンシュユ)の花に谺す幸薄き祖母の唱ひし稗搗節(ひえつきぶし)の
3月1日 六義園にて