夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

うなぎの偽装と東京中央郵便局

2008年06月26日 | Weblog
 何の関連があるのか、とお思いだろうが、我々が騙されていると言う共通点がある。
 今日は朝からテレビが中国産うなぎの偽装やら、しゃぶしゃぶ食べ放題での肉の使い回しや東京中央郵便局の建て直しなどで騒いでいる。
 うなぎの偽装は200万尾にも及び、ぼろ儲けは3億何千万と言うが、消費者からは詐欺罪で訴える事が出来ないだろう、と弁護士が言っている。それがどうにも納得出来ない。二つの会社がぼろ儲けをし、その二番目の会社は「まるは」のマークで知られる大手水産会社の100%の子会社である。スーパーなどの小売商は騙されはしているが、損はしていない。損をしたのは消費者なのに、なぜ訴える事が出来ないのか。出来ないだろうと得々として話す弁護士を私は信頼する事が出来ない。こうした現実のおかしさに挑戦するのが弁護士の仕事ではないのか。

 食べ放題での使い回しでは、またもや「もったいない」の言葉が使われた。食べ放題で商売を成り立たせている以上、客が食べ残しても、きちんと客からは金を取って採算は合っているはずなのだ。だから少しももったいなくはない。単に濡れ手に粟の金儲けが出来なくて惜しい、と言っているだけである。がめついだけの話である。ここで「もったいない」などの言葉を使うとはとんでもない事である。

 東京中央郵便局の建て直し問題では、名建築とされる同局の建物の外側だけを残して、高層ビルを建てるのだと言う。テレビ朝日などでは、建築家の「形だけを残す許されない建築だ」との意見を紹介していた。建物の外観だけ残してどうなる。外観だけで重要文化財などと喜ぶ事は出来ない。単にまやかしに過ぎないではないか。考えてみれば、日本には見かけだけの物が氾濫している。見かけだけの官僚、見かけだけの政治家などを始めとして、ひきも切らない。
 しかしフジテレビでは、このままでは空間がもったいない、と司会者が言っていた。この人には東京じゅうを超高層で埋めないともったいない、との考えしか無いらしい。広々とした空間を潰してしまう事の方がもったいないのだ、との考えは出来ないのだろうか。同じような考え方が日本橋川の上に高速道路を造ったのである。ソウルでは、川の上の高速道路を撤去して広々とした空間を取り戻した。日本橋川の上の高速道路も撤去しようとの計画がある。

 効率効率と誰も彼もが口にするが、それほどまでにも東京は効率化が必要なのだろうか。なんでこんなになんでもかんでも東京に集めないと満足出来ないのか。日本は東京だけで持っているのではない。言うまでも無いが、北海道から沖縄まですべてが日本を成り立たせているのである。
 沖縄でサミットを開催した。しかしそれは一時の繁栄で終わった。今度は洞爺湖だと言う。これまた夏の花火で終わるのではないのか。地方はいつもいっときだけのお祭りで、東京は永遠の繁栄を、と言うのでは、あまりにも勝手である。これでは超大国のエゴと全く変わらない。アメリカやロシア、中国の汚さを丸出しにしているみっともなさを見れば、そんな事簡単に分かるはずだ。しかもその繁栄だって、すこぶる怪しい。直下型の大地震が起きたらひとたまりも無いのではないのか。

 東京中央郵便局の目の前では、東京駅が戦前の姿を取り戻そうと工事が始っている。あまりにもアンバランスではないか。しかも今度の新しいビルは外国人の設計により、折り紙のイメージだと言う。外国人からは日本は折り紙のイメージなのだと言う。それは外国人の意識の問題であって、我々日本人にはまるで関係が無い。何で日本の中央に作る建物に外国人のイメージが必要なのか。
 そうか、郵便局は小泉によってアメリカに売り渡された。ゆうちょ銀行と言う名の大銀行になったにも拘わらず、銀行の業務が出来ないのだと言う。単にアメリカの資本が乗り込み易い受け皿を作っただけの話に終わる。それに唯々諾々と従った郵便局ならではの発想である。納得が行く。
 多くの人が「ゆうちょ銀行」と言う名の郵便局だと思っていると言われているが、私も同じだ。郵便局のATMは休日でも無料で使えるから私は多くの振り替えをしているが、普通の銀行に変えようかとも思う。ただ、大手の銀行もあまり良心的とは言えないようだから、地元の信金にしようかとも思うが、信金は引っ越した時に不便になるので、その選択肢もままならない。結局、今の日本はほとんど暮らしに選択肢が残されていないのである。一部の大手が日本を牛耳っているのである。
 年金で暮らせる人が永住ではなく、長期滞在で外国に住みたがるのは納得が行く。