夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

スピード社製の水着で新記録続出

2008年06月07日 | Weblog
 新記録が続出しているスピード社の水着が公式に採用される事になった。私は以前からあの男子でも全身を覆うような水着に違和感がある。
 水着もスポーツ用具の一種だから、様々な工夫がなされるのだろう。選手は水の抵抗を減らすために体毛を剃ると言う。だから全身を最新式の水着で覆えば、それ以上の効果が生まれる。
 野球のバットだって、テニスのラケットだって、ランナーのシューズだって、メーカーは少しでも良い記録が出るようにと、最高の技術と知恵を絞っている。だが、用具のお陰で新記録が出た、などと言う話はあまり聞かない。つい最近世界新を出した陸上の100メートルでも、着ていたシャツや履いていた靴のお陰だなどとは言われていない。その選手の実力その物だと褒め讃えているはずだ。
 だが、水着の話はそうではない。あくまでも、水着のお陰だとの話である。北島康介選手は、「水着が泳ぐわけじゃない。もっと選手の頑張りを見てほしい」と訴えていると新聞は伝えている。当然である。
 でも、そうであるからには、水着は最低限に抑えたらどうなのだろうか。女子は仕方が無いとしても、男子の全身を覆う水着を禁止するのである。以前、国際試合で、ドイツだったかオランダだったか、世界のトップクラスの水泳選手が、こうした水着は高価で着られない選手もいるから、自分も着ない、と言って、短いパンツスタイルの水着で泳いだ事があった。
 さすがに一流選手は違う、と私は感心して競技を見た。水着に頼って0.01秒を争って、嬉しいだろうか。スポーツは当たり前だが、体が武器である。だからバレーボールやバスケットボールなら身長の高い方が断然有利になる。水泳だって、手足の長い方がそれだけ推進力を獲得出来る。だから、身長は伸ばせないとしても、筋力を付けたり、肺活量を増やしたりと努力をしている。
 そうした事に比べて、水着で勝負、と言うのは何とも納得が行かない。
 今は足首までだが、もし足先までも覆う水着が許されたなら、足の底の面積を増やす事も出来るだろう。それは絶対に有利である。小型のフィンを付けたのと同じ効果があるはずだ。だから、それは絶対に実現しない。そうした節度を守るべきだと思う。
 今は水着の表面積もばらばらだが、体の表面積に比例して水着の表面積も限られるべきではないのだろうか。0.01秒を争うのなら、もっと厳格にすべきだ。それに、どれほど記録が縮まったのかは知らないが、あまりにもみみっちい話ではなかろうか。
 スポーツマンなら、水着などに頼る事無く、自分の体力と技能だけで、堂々と勝負すべきだろうと、私は思う。