夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

企業はなぜ莫大な利益が得られるのか

2008年06月01日 | Weblog
 東京新聞の「市場原理と企業」のシリーズで、トヨタが始まった。大見出しは「末端の犠牲で2兆円」である。世界で最大の売上、などは分かるが、莫大な利益には、どうして? といつも思う。
 商品は多くの人手を使って作られる。原材料費と人件費、経費を総合したものが価格になり、それと消費者の満足感とが釣り合って、初めて売買は成り立つ。経費には借入金の利子なども含むだろうし、商品を作るためのすべての経費がそこに入っている。
 それは消費者の目には見えない。だが法外な金額であってはならない。しかし法外か法外ではないかは、実の所、分からない。そこは世間相場と言うもので判断している。
 私は企業の利益とは、経費にほんの少し上乗せをしたくらいの物で十分だと思っている。経費で従業員の生活も企業主の生活も賄う事が出来ている。それ以上、何を欲張る必要があるのか、と思う。掛かった人件費を大幅に上回る利益を生み出せるとしたら、他の誰もが出来なかったような事を成し遂げた時だろう。それが素晴らしい芸術品だったりするし、特許を幾つも積み重ねたような素晴らしい製品だったりする。つまりは世界に一つしかない製品である。
 だが、普通の商品でそのような物は考えにくい。だから、莫大な利益が出るはずが無い。出るとしたら、よほど製品作りが上手で、何事にも無駄が無いのだろう。規模が大きくなればなるほど、そうした効率の良さは実現可能になる。しかしそれにも限度がある。
 そうした限度を越えて莫大な利益が生まれるのだとしたら、それは人件費の節約しかあり得ないのではないのか。それがこの「末端の犠牲で2兆円」の見出しになる。
 誰だってかねは欲しい。あって邪魔にはならない。だが、夕張メロンであったように、たった一つのメロンが100万円とか200万円もして良い訳が無い。そんな事のためにかねがあるのではない。何が限度かは難しい面があるが、1瓶10万円ものシャンパンはやはり行き過ぎではないか。
 自分一人の働きでそうした無駄遣いをするのなら、何も文句は言わない。だが、そうではないだろう。自分一人の働きで、一つ100万円もするメロンを食べられる人がいるとするなら、非常に有能で、有名な人に違いない。
 だが、驚くような贅沢をしている人々は、ほとんどがあぶく銭でしているのではないか。いや、私はファッションで大儲けをしたのだ、と言う人もいるかも知れない。でも、それは流行と言う名の、ふわふわした得体の知れない物に大金をつぎ込む馬鹿者がいるから成り立っているに過ぎない。そしてそうした流行を煽る輩が存在する。
 ふわふわと暮らしては悪いなどと言うのではない。自分が自分の責任でふわふわしているのは一向に構わない。だが、他人を上手く乗せてふわふわとさせて、その犠牲の上でふわふわするのは駄目だろう、と言うのである。
 中国の地震で大量の犠牲者が出たのは、手抜き工事で金儲けを企んだ奴らのせいである。船場吉兆は、「もったいない」の美しい言葉に隠れて、汚い儲けをしていた。だから潰れた。しかし世の中にはばれずに今もなお、そうした汚い商売をしている輩は大勢いる。
 社会主義でも駄目。資本主義でも駄目。結局は、人間が駄目なのである。飽く無き欲望を満たそうとする連中がいて、そうした事が出来る仕組みが存在している。その仕組みとは何か。アメリカの現政権は大儲けの出来るシステムであるとの話を読んだ事がある。原油のわずかな値上がりで莫大な利益になると言う。
 油田や金鉱、ダイヤモンド鉱山などの持ち主でない限りは巨富を手にする事は難しいはずである。油田、金鉱、ダイヤモンド鉱山の代わりになり得るもの、それは厖大な人数の他人の生活ではないのか。他人の生活を手中にして、それを支配する。それしか巨富を生むシステムは私には考えられない。どなたか、教えてくれませんか。