夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

地震国日本の安全な町作りが最優先だ

2008年06月24日 | Weblog
 もしも大昔にプレートテクトニクス理論が分かっていたら、東南アジア方面から日本列島に漂着した人々は決して住もうとは思わなかっただろうね。朝鮮半島や大陸から海流に流されて来た人々も同じだろうね。知らないから定住して、こんなに人口増えちゃった。
 日本列島すべて危険地域だろうから、どうしようも無いだろうが、それでも比較的安全な所ってあるはずだ。そうした所を計画的に開発して街を造ったらどうなのだろうか。東京なんか、徳川幕府が海をどんどん埋め立てて造ってしまったから、私の住んでいる所なんか、至る所が液状化現象で瞬く間に全滅だね。
 それなのに、超高層だって。もっとも、それは岩盤深く掘り立てているらしいから、安全なのだろうが。でも、岩盤ごと動いてしまえば、何の役にも立たない。それに自分の目で見た訳じゃないから、信頼仕切ってはいない。

 今回の地震で、山中の家は土石流の被害に遭っている。平地だから土石流の被害に遭わないとは言わない。だが山中よりも被害を少なくする手はあるはずだ。これだけ科学が発達しているのだから、もっと土木の面でも文明のメリットを生かす事は出来ないものか。
 安全な地域に低層の共同住宅を建てる。そして生活に便利な町作りをする。イタリアのナポリの南に断崖に沿って発達した世界遺産の街がある。あれは地震の心配の無い所だからなのだろうね。日本なら、とっくに無くなっている。
 地震で山間部の高架の道路が無惨に落ちている。町が変な所にあるから、それを繋ぐ必要も出て来る訳だ。「変な所」と言うのは、「危険が一杯の所」の意味である。自然発生的に町が出来ているからどうしたって、そうなる。それで地方は道路が必要だと言って財源をガソリンに求めている。

 東京では至る所で再開発の名目の下に、古い物をぶっ壊し、どんどん新しくしている。もっぱら経済的効果だけが目的の貧乏人根性である。いい加減に、金儲け目的ではなく、人間の幸せのための再開発に切り替えたらどうなのか。「幸せ」と入力しようとすると、毎回、どうしてか「しわよせ」と打ってしまいそうになる。そうなのだ。今、我々には「しあわせ」は無くて、「しわよせ」ばかりなのだ。

 お断りをしておくが、新しい安全な町作りには絶対に利益目的では参入出来ないからね。災害のせいで、一体どれほどの人命とお金が失われているかを考えれば、抜本的な方策を考えるべきではないのか。日本にはそれをやるだけの力がある。無いのは頭だけだね。それと思いやりの心が無い。自分さえ安心ならそれでいい訳だ。我々庶民がそうであるのは力が無いのだからしょうがないが、政府のお偉方がそうであってはいけないだろうよ。大手企業の経営者も同じだ。金儲けの知恵をもう少し人々の幸せのために使えよ。
 いい車がしあわせだって? そりゃ、私だっていい車欲しいよ。でも、誰も彼もが車を欲しがって乗り回しているから道が混雑して、バスの運行もままならぬ。最大の被害者が庶民の足の路面電車だった。個人の乗り物を優先して、公共の乗り物を廃止してしまった。車産業の繁栄のために、庶民の足切りをした。本末転倒もはなはだしい。
 その代わりになるのが地下鉄らしいが、網の目のように行き渡り、しかもすこぶる利用し易い路面電車とは比べ物にならない。速さと効率だけが取り柄で、でもせっかくの速さが、乗り換えの不便さとか、地上とホームとの連絡に非常に時間が掛かる事などを計算に入れると、少しも速くなどない。

 そして、一人しか乗っていないマイカーのいかに多い事か。それは運転者だから、用があって車を降りれば、その車は邪魔者にしかならない。それを公道にとめさせて料金を取る。
 折から東京新聞ではトヨタの下請けの構図を連載した。車産業は日本の経済を引っ張る力にはなっているが、その経済の本質をよくよく見れば、それが「しあわせ」とは限らない。それこそ「しわよせ」にしかなっていない事実が幾らでもある。

 何が本当の「しあわせ」なのかを履き違えているような国が、国民の安全のための町作りを出来るはずが無い。私はもうとっくに諦めている。でも、地震で建物の下敷きになって死ぬのは嫌だ。