夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

車の震動で発電。何と頭の良い事よ

2008年06月10日 | Weblog
 スピーカーは電気で振動を起こし、音を生み出している。ならば、その逆で、震動を電気に変えられないか、と研究をしている技術者が居る。
 ベンチャー企業を立ち上げた速水浩平さん(27)が、東京の荒川に掛かる首都高中央環状線の五色桜大橋でエコ発電の研究を進めていると東京新聞が伝えていた(6月7日)。
 力が加わると発電する圧電素子が入った発電ユニットを橋に設置し、その電力で橋のライトアップをしていると言う。写真の橋は美しく輝いて見えた。
 こうした素晴らしい発想をする青年がいる一方で、誰でもいいから殺したいと発想する男が居る。福井県まで武器を買いに行き、終始笑顔で殺人の武器を購入している。普段から母親に暴力を振るっていたと聞くが、こうした男の精神状態のアンバランスな点は、何らかの徴候が見られないものなのだろうか。
 一目見ただけでは分からないだろうが、職場とか常に何らかの接触を持っている人には何か感じるものがあるのではないだろうか。ただ、近年は何でもプライバシーの尊重と言って、見て見ぬ振りをする。尊重をしたプライバシーが、無差別の7人もの殺戮を犯したのでは、プライバシーが泣く。
 差別の撤廃を言い出せば、すぐに何でも差別だと騒ぐ。差別でもないのに、差別だと言って差別する。そんなにプライバシーが大切なら、世間に立ち混じって活動するのはやめたらいい、と極端だが、私は思う。世間とお付き合いをして、それなりにお金をもらったり、商品の売買をしたりするのなら、プライバシーはある程度公開されていると見るのが健全な考えなのではないのか。
 自分の都合の悪い事だけをプライバシーを主張して守ろうと言うのは卑怯ではないのか。もちろん、本当に個人的な、世間とはまるで関係の無い事柄は純然たるプライバシー問題である。
 国民総背番号制度がプライバシーの侵害だと騒がれた。しかし健康保険に守られ、様々な問題はあるものの、年金制度もある。もちろん、その掛け金は国民の負担だし、税金も納めている。消費税でもがんじがらめにされている。国と国民とは切っても切れぬ関係がある以上、どこの誰かを知られていて不思議は無い。
 それとも、背番号制度では個人の預貯金の金額まで把握されてしまうのだ、と言うのだろうか。それなら、プライバシーの侵害になる。
 何かに文句を付ける時など、どこの誰だか知られないようにするのは難しい。無責任にインターネットで匿名で発信するなら別だが、そんな発信に何の権利も無い。口頭で文句を言うなら、こちらの顔は知られてしまう。それでも言うべき文句は言わねばならない。しかし最近、そうした面と向かっての文句は言わずに陰でぶつぶつこそこそ言う事が多くなってはいないか。
 秋葉原の恐るべき殺人鬼のインターネットへの書き込みだが、誰か一人くらい、警察に通報したような人はいないのだろうか。電車の中でも、歩きながらでも、自転車に乗りながらでも、大勢の人々が携帯の画面に見入っている。あれは何を見ているのだろう。殺人の予告をし、時々刻々と自分の殺意を決定付けている殺人鬼を誰も止める手だてが無いとは、あまりも情けないではないか。

 素晴らしい研究の話が脱線してしまったが、インターネットで、殺人を防ぐよりもずっと重要な情報がそんなにたくさん流れているとはとても思えないのである。かく言う、私のブログなどもたいした情報ではない。そうか、発信する以上は価値ある情報を発信すべきなのだ。私の自戒としたい。



車の震動で発電。何と頭の良い事よ

2008年06月10日 | Weblog
 スピーカーは電気で振動を起こし、音を生み出している。ならば、その逆で、震動を電気に変えられないか、と研究をしている技術者が居る。
 ベンチャー企業を立ち上げた速水浩平さん(27)が、東京の荒川に掛かる首都高中央環状線の五色桜大橋でエコ発電の研究を進めていると東京新聞が伝えていた(6月7日)。
 力が加わると発電する圧電素子が入った発電ユニットを橋に設置し、その電力で橋のライトアップをしていると言う。写真の橋は美しく輝いて見えた。
 こうした素晴らしい発想をする青年がいる一方で、誰でもいいから殺したいと発想する男が居る。福井県まで武器を買いに行き、終始笑顔で殺人の武器を購入している。普段から母親に暴力を振るっていたと聞くが、こうした男の精神状態のアンバランスな点は、何らかの徴候が見られないものなのだろうか。
 一目見ただけでは分からないだろうが、職場とか常に何らかの接触を持っている人には何か感じるものがあるのではないだろうか。ただ、近年は何でもプライバシーの尊重と言って、見て見ぬ振りをする。尊重をしたプライバシーが、無差別の7人もの殺戮を犯したのでは、プライバシーが泣く。
 差別の撤廃を言い出せば、すぐに何でも差別だと騒ぐ。差別でもないのに、差別だと言って差別する。そんなにプライバシーが大切なら、世間に立ち混じって活動するのはやめたらいい、と極端だが、私は思う。世間とお付き合いをして、それなりにお金をもらったり、商品の売買をしたりするのなら、プライバシーはある程度公開されていると見るのが健全な考えなのではないのか。
 自分の都合の悪い事だけをプライバシーを主張して守ろうと言うのは卑怯ではないのか。もちろん、本当に個人的な、世間とはまるで関係の無い事柄は純然たるプライバシー問題である。
 国民総背番号制度がプライバシーの侵害だと騒がれた。しかし健康保険に守られ、様々な問題はあるものの、年金制度もある。もちろん、その掛け金は国民の負担だし、税金も納めている。消費税でもがんじがらめにされている。国と国民とは切っても切れぬ関係がある以上、どこの誰かを知られていて不思議は無い。
 それとも、背番号制度では個人の預貯金の金額まで把握されてしまうのだ、と言うのだろうか。それなら、プライバシーの侵害になる。
 何かに文句を付ける時など、どこの誰だか知られないようにするのは難しい。無責任にインターネットで匿名で発信するなら別だが、そんな発信に何の権利も無い。口頭で文句を言うなら、こちらの顔は知られてしまう。それでも言うべき文句は言わねばならない。しかし最近、そうした面と向かっての文句は言わずに陰でぶつぶつこそこそ言う事が多くなってはいないか。
 秋葉原の恐るべき殺人鬼のインターネットへの書き込みだが、誰か一人くらい、警察に通報したような人はいないのだろうか。電車の中でも、歩きながらでも、自転車に乗りながらでも、大勢の人々が携帯の画面に見入っている。あれは何を見ているのだろう。殺人の予告をし、時々刻々と自分の殺意を決定付けている殺人鬼を誰も止める手だてが無いとは、あまりも情けないではないか。

 素晴らしい研究の話が脱線してしまったが、インターネットで、殺人を防ぐよりもずっと重要な情報がそんなにたくさん流れているとはとても思えないのである。かく言う、私のブログなどもたいした情報ではない。そうか、発信する以上は価値ある情報を発信すべきなのだ。私の自戒としたい。