夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

割り箸自己と親の責任

2008年02月15日 | Weblog
 割り箸事故で、親の責任だと言う意見が多くあるのを知って、もう一度考えてみた。確かに親は片時も幼児のそばを離れてはならない。しかしそばに付いていても、それでも転んで割り箸が喉に突き刺さってしまう事はあるだろう。それでも親の責任だと言えるのだろうか。もし親の責任なら、綿菓子を買い与えた事がそもそも無責任になる。そして綿菓子屋も、外で食べるお菓子に割り箸などと危ない物を使った責任がある。しかし綿菓子はこの形でしか存在出来ないだろう。
 
 たとえ親に非があろうとも、怪我を負ってしまったら、あとは医者に任せるしか無いではないか。責任を感じる事とその後にやるべき行為は違う。この母親は正しく子供に救急病院での治療を受けさせている。
 子供が怪我をした事は医者には何の責任も無い。当たり前だ。そして診療を始めたら、今度はその診療責任が医者には生じる。ここで明らかに責任の質と所在が移転している。
 それをいっしょくたにするから、話が見えなくなる。

 親の責任を問うのは構わない。しかしそれが医者の責任を不問にする事にはならない。医者は目の前に喉に割り箸の突き刺さった患者を見ている。そして喉から割り箸を抜き取った。その箸は果たしてどれくらいの長さがあったのか。
 綿菓子に付いてる割り箸は多分、割り箸一本そのままだろう。先端に綿菓子を付け、それを手に持って食べる事の出来る長さなのだから、短いはずが無い。割り箸には長いのも短いのもあるが、相応に長くないと、綿菓子には使えないはずだ。それに割り箸は簡単に折れる。抜き取った箸が割り箸のすべてだ、とどうして医者は判断出来たのか。

 医者は自分が作った綿菓子ではないのだから、それがどのような物だったか知らない。それなのに、それ以上、何の検査もしなかった。あまりにも安易ではないか。
 親の責任を問う以上、医者の責任はもっと重く問われなければならなくなる。
 ある人はこの親を非難し、親の肩を持ったマスコミをもまた非難した。医者は危なくて仕事が出来ない、と言う医師さえいた。御冗談でしょう?

 医師はそれなりの技術を習得して、国家からその資格を認められている。それがいい加減な資格ではない事は誰もが知っている。当の医師だって知っている。だから医師は世間から尊敬の眼で見られている。確か、ダイナースクラブは医師と政治家を特別扱いしているはずだ。文句なく、エリートと認めている。
 その医師の技術とは、この事件で見るような、そんなお粗末な技術ではないはずなのだ。

 救急病院が大変な事は分かる。しかし、それは無料でやっているのではない。中には救急医療体制が整っているとの事で信頼を得ている病院もあるだろう。救急の看板を掲げた以上は、きちんとやるべき事はやる必要がある。杏林病院がやる事をやっていなかった事は判決の「異例の」付言に明確に現れている。その理解が出来ずに他人を批判する事は許されない。
 もしこの病院がいやいやながら救急指定病院を受けたのなら、看板は即刻返上してしかるべきだろう。

 医師に限らない。どんな仕事でも、携わっている以上は全身全霊でやるべきだ。どんなに一生懸命にやっても、足りない部分やミスはある。だから一生懸命になってやらなければ、穴だらけになるのは目に見えている。
 
 06年、埼玉県の流れるプールで、排水口の柵が外れていて、女児が吸い込まれて死亡した。プール側は柵が外れているとの通報を受けたにも拘わらず、単に注意を呼び掛けるだけで放置していた。
 その事を私は通っているプールの監視員に尋ねた。彼は次のように言った。「母親が付いていたんでしょう。母親の責任はどうかと言う問題もありますよね」。私は絶句した。馬鹿を言うではない。誰もがプールの安全性を信じているのだ。その安全性が損なわれていると言うのに、利用者の責任だと?

 なるほど、立場が違えば考え方も違うのか。いや、そうではない。立場など違いはしない。違うのは携わっている仕事が違うだけの話である。人間としての在り方に何の違いも無い。
 母親は子供を楽しませるためにこのプールに来ている。もちろん、子供の安全には気を配る。それは溺れたりしないか、流れに流されて他人とぶつかったり、壁にぶつかったりしないか、と言うぐらいの事である。何もプールその物の安全性にまで気を配る必要は無い。海や川で泳いでいるのではないのだ。
 一方、プール側は母親が気にしているような事にまで気を配る必要は無い。それは各自の自己責任に任せるしか無い。しかしプールその物の安全性には全責任を持っている。
 そんな事の判断の出来ない人が増えている。そして無責任に他人を非難している。
 常識ではとても考えられない。そうした人々が至る所に存在しているのかと思うと、私は本当に背筋が寒くなる思いがする。