夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

割り箸事故で遺族が敗訴

2008年02月13日 | Weblog
 99年に東京の杉並区で起きた、喉に割り箸が刺さって死亡した杉野隼三君の両親が求めた損害賠償訴訟で、東京地裁は請求を棄却した。

 これは割り箸が脳に突き刺さっていた事に担当医が気が付かなかった事に原因がある。十分な診療をしていなかった、と当時の東京地裁の判決は認めている。しかし担当医は無罪。たとえ十分な診療を受けていたとしても、延命の可能性が薄かったから、だと言うのである。しかし可能性は薄かったのであって、絶対に無かった、ではない。

 こうした裁判では、きちんとした診療をしていれば、助かった可能性が大いにある、との診断を下す事が出来なければ被告の罪を認める事が出来ない。そしてそれは出来なかった。

 しかしながら、当時の診療内容を知るのは、担当医ただ一人しか居ないのである。後から、ああでもないこうでもない、と言うのがそれほど信頼に足る情報なのか。この診療が不十分だった事を何よりも当の担当医が認めている。口ではそうは言わないが、カルテを改竄した事が何よりの証拠である。

 やましい事が無かったら、カルテを改竄する事などしない。判決もカルテの改竄を認めている。しかし有罪には出来なかった。その裁判官の苦しい心情が異例の長文の「付言」となった。付言で、裁判官は診療の不十分な事をこんこんと説いた。しかしどんなに言葉を重ねても、付言は付言に過ぎない。病院を拘束する事は出来ない。
 ただ、朝日新聞だけは、この付言を採り上げて、この付言で隼三君の供養になると持ち上げた。何と脳天気な、と私は呆れ果てた。

 当の病院長は、カルテの改竄があった事を無視して、自分達の正しさが認められたと喜んだ。そしてこれからも今まで通りの医療を継続すると言った。きちんとした医療が出来ていなかった、それを継続すると断言している。これだけでも、病院の考えはおかしいと分かる。
 そして今度もまた、「主張が認められてほっとしている」と言っている。

 今回の裁判は民事だ。刑事では過失はあったが、罪には問えないとした。裁判には黒か白しか無いから、灰色で罪に問う事は出来ない。
 しかし民事では違うはずだ。過失はあったのだから、当然民事的には罪に問える。しかし裁判長は「割り箸が刺さったことによる脳損傷を予見することは不可能だった」と過失を否定したのである。

 刑事で過失を認定されているのに、どうして民事では否定出来るのか。
 裁判長は、加藤謙一氏。
 杏林大附属病院長は、東原英二氏。
 私はこの二人の名前を忘れない。