夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

広辞苑と中国製ギョーザ

2008年02月11日 | Weblog
 広辞苑に見事な説明がある。調べた他の5冊には無い説明だ。なぜ見事なのかは少々説明が要る。
 私は「舐める」に「舌でなめる」と「軽んじる」との二つのあまりにも違い過ぎる意味があるのが不思議だった。そこで辞書で調べ始めた。新明解国語辞典に、無礼の意味の〈なめし〉を動詞化したもの、とある。念のために他の辞書を見たら、新選国語辞典に古語として載っていた。そしてすぐ隣の「なめし革」に目が行った。そこに反意語として〈いため革〉とある。
 なめし革は滑らかに加工した革だから、いため革は滑らかではない、と言うよりももっと滑らかさとは反対の極限にあるのではないか、と考えた。そしてその〈いため革〉の意味は、にかわ水にひたし、たたいてかたくした革、とある。
 そこで突然に〈いため紙〉を思い出した。今は、私自身、この名前を使う事は無いが、ずっと昔、紙を綴じていた時、年上の女性が、いため紙があればいいのにね、と言った。表紙に出来るような硬い紙だと言う。なぜ〈いため紙〉と言うのかは、知らなかったし、調べようとも思わなかった。
 〈いため革〉が上のような意味なら、〈いため紙〉も同じような意味のはずだ。革をたたいてかたくした、のであれば、紙もたたいてかたくしたのではないか。
 しかしどの辞書にもそのような説明は無い。表記も「板目紙」で、違う。
 けれども、日本語では表記などを考えていたら真実が見えなくなる。同じ漢字で全く別の意味にもなれば、違う漢字が同じ意味になる。〈いため紙〉と〈板目紙〉は同じだ。
 そう思って広辞苑を見ると、そこには、
和紙を幾枚もはり合せ、圧縮した堅い厚紙
とある。圧縮するには普通は叩く。そこから、
板目紙=和紙を貼り合わせ、叩いて硬くした紙
との説明が出来るはずだ。
 〈いため紙〉のこうした説明をしているのは6冊の中では広辞苑だけである。私としては、圧縮の方法が何かまで書いてくれていれば文句無しなのだが、それでもこれは十分素晴らしい説明だ。こうした説明を読んでいる限りは、さすが、広辞苑、と座布団の一枚も差し上げたくなる。
 ただ、この素晴らしさが全編には及んでいない。惜しいと思う。
 せっかく感心しているのに、またまた無粋だが、同書の説明の不十分な例を一つ挙げる。
 実はこの〈板目紙〉から私は木の〈板目〉と〈柾目〉に連想が飛んだ。そして両者の説明を各辞書で調べ、またもや落胆した。説明が行き届いていない。
 特に柾目は6冊の内、明鏡国語辞典だけしか正解が無かった。正解は、
柾目=木材を年輪に対して直角に縦断した面に現れるまっすぐに通った板目。
 広辞苑と大辞泉は、〈木材の中心を通って縦断した〉と説明している。中心を外れれば柾目ではない、と言っている事になる。しかし図を描いてみれば分かるが、中心を外れても柾目になるはずだ。柾目の説明は2冊の百科事典でも分からない。
 そこで木材の専門家に聞いた。私の想像した通りの答が返って来た。どちらも柾目なのである。中心を通るのを〈本柾目〉と呼び、中心を外れた物を〈追い柾目〉と呼ぶ。もちろん、本柾目の方が上等だし、木は真っ直ぐとは限らないから、中心を外れると柾目を得にくくなるが、柾目である事は間違い無い。
 ここでは明鏡国語辞典の素晴らしい説明に拍手したが、同書もまた折角の美点を出し惜しみをしている事は広辞苑に同じである。明鏡国語辞典には他にも言いたい事があるが、それはまた別の機会に。

 今回は、日本語とはまた違う面からの愚考を述べたい。

 中国製ギョーザから農薬が検出された事件で、マスコミは最初中国クロ説で、テレビは農産物にふんだんに薬品を散布している資料映像を流した。これは非常に危険な報道である。そして包装紙に穴が開いていた事から、食品テロ説も出た。そして再度、完全密封の内側から薬品が検出された事から、やはり製造過程に問題がある、との流れになっている。
 こうした事は簡単には分からない。それをマスコミは一部だけを採って、大騒ぎをしている。原因は何かはしかるべき機関が調べている。なぜそれを待とうとしないのだろうか。
 そんな曖昧な報道をするよりも、もっとやるべき事があるはずだ。
 日本の食品の自給率は約4割とはなはだお寒い情況にある。しかしそれは大きな問題にはならない。いざとなれば、半数以上の人間が飢える危険性があるのにも拘わらず、何も言わない。
 自給率の低下は外国産の安い食材のせいだ、で簡単に済ませている。中国製食品がそれほどにも安くて美味ならば、日本だけではなく、韓国だって、他のアジア諸国だって、アメリカだって輸入していておかしくはない。それがほとんどが日本のために作られている。
 中国製食品があまりにも美味で日本人がどうしても輸入して食べたい、と言ったのではない。私個人は、ギョーザなどは既製品を買った事はほとんど無い。いつも自分で作って食べている。何よりも、中身に何が入っているか心配になる。国産の合い挽き肉だって、悪くなりかけた肉を使っているとの話がある。牛と豚の合い挽きなら、豚肉よりも高いはずだ。それが豚肉同等かそれよりも安い。そんな合い挽きを信用出来るか。
 我々は昔はギョーザを自分で作って食べていた。しかし中国で安く作らせて輸入すれば大儲けが出来ると考えた企業が安さだけを優先して中国に作らせて日本で売り始めた。最初から価格が問題だから、自家製が太刀打ち出来る訳が無い。ギョーザに限らない。中国の食材は非常に安い。しいたけ、しかり。にんにく、しかり。これでは日本の農家も太刀打ち出来ない。
 すべて安さだけを目的に、日本の食品の自給率がどうなろうと、構う事は無い、との姿勢である。それで企業が儲かれば良いのである。そんな事言ったって、あんたがたも安くて喜んだんじゃないか、と企業は言うかも知れないが、そのように仕向けたのは企業なのだ。
 有名だと思うが、セールスの極意がある。それはエスキモーにむぎわら帽子を買わせる事である。必要の無い物を必要だと思わせる。しいたけだって、にんにくだって、そんなに安い必要は無い。にんにくなど料理にほんのひとかけら使うだけだ。一個買えば何日も持つ。下手をすると芽が出てしまうくらいだ。そんなわずかばかりの金額をけちって、香りも少ない中国製を買う事は無いのである。知人の調理の専門家は絶対に中国製のにんにくは使わないと言っていた。
 中国製の安い衣料品も同じだ。安いのは嬉しいが、安いからと言って、安易に買い替えさせ、次から次へと消耗品にしてしまう事を日本人に強制する必要は無い。我々は良質の製品を大事に着る事を続けて来たはずだ。我々はむぎわら帽子を買わされているエスキモーと何ら変わらない。今度はこんな格好の良い帽子が出ましたよ、と言っては次から次へと買わせる。
 安いから使い捨てにしても抵抗は無い。そして企業はそれで大いに儲かる。
 今度のギョーザ事件にしても、我々は身に何らかの危険が迫らないと、気が付かない。ギョーザの皮が大売れだなどと聞くと、何て底の浅い人間ばかりなのだ、と思う。何で、母親の心のこもったうまいギョーザを家族に食べさせてやろうとは思わないのか。
 自分で作れば、色々と味も変えられる。子供と一緒に作れば更に楽しい。
 マスコミは自分も企業だから、企業の味方をして、我々の立場に立たない。しかしそこで働いている人々は我々と同じ立場に居るはずだ。なぜそんな基本的な事を忘れて企業寄りの報道しかしないのか。
 ギョーザの皮が大いに売れていると報道しているあなた、御自分も冷凍ギョーザを買っていませんでしたか? いざとなったら、あなただって飢えてしまうんですよ。中国だって、いざとなれば、日本に食材を輸出などしませんよ。
 今更言うまでも無いが、自分の身は自分で守らなければ駄目だ。誰も守ってなどくれはしない。