おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

評価についてですか。

2013-10-22 19:44:28 | Weblog
とても難しい問題ですね。

個人的な意見ですが、昨日の新聞一面の見出しは
"学テ「学校別」公表解禁"の文字が躍っていましたね。

来年度から市町村教育委員会の判断で、
公表する、しないを判断できるように
実施要項の見直しを検討するらしいですね。

今までも、基本的には、学校長の判断で公表する、
しないは判断できるものだったはずですよね。

ただ、今までは公表するという判断をした校長が
いなかっただけのことなんですよね。諸般の状況から、ですね(笑)

「誰かの判断(指示)により仕方なく」という形になれば、
なし崩し的に公表される懸念は当然生まれてきます。

学力・学習状況調査が
大手進学塾の全国模試化していくことには少し危惧を感じています。

あなたのいう評価を考えるとき
たぶん通知簿の付け方や要録の評定についての
処理や基準についての悩みだろうから
学テの是非よりも、
"「アチーブメントテスト」のみで「学力」を評価する"こと
についての考察が必要ですよね。

あなたたち若い世代の小学校の先生は、
主要教科といわれる限られた教科を
市販テストの点数で評価することが多いんじゃないかな。

市販テストのみで評価しているとは
思いたくはないのですが、
単元ごとの形成評価や学期末の総合評価でも
市販のテストが主流になっているという印象を持っています。

多忙な毎日を送る若い先生たちには、
ベテランの先生たちが
自作のテストを作っていた時代があった
ということすら知らない方が多くなっているようですね。

昔は、自作の評価テストを作る方が主流で、
市販テストというものも少なかったし、
著作権意識がまだ浸透していない時代だったので
一部の先生たちの間で市販テストの切り貼りが行われ、
それが問題化したこともあったのですよ。

絶対評価と相対評価の論議があったことも
到達度という、一定折り合いのついた場所で
評価活動が行われているということも
知らないかもしれない。。かな。

とにかく小学校では、
少しでも教員の負担が軽減されるだろうということで、
市販テストの利用は急速に浸透していったのですが、
通知簿や要録への反映における「ものさし(基準)」を
どうするかという問題については、未だに論議があるといわれています。

まっ、既製服は帯に短し、たすきに長しという、論議ですね。
市販、自作の優劣を論じるつもりはありません。

あなたのいう「平均して何点ぐらいで、評定の何をつけるか」
ということについては、小学校の場合は学校裁量で
行われていることが多いと思われます。
だから、あなたのくれた
メールに答えるのは難しいのです。

ちょっと話はそれますが
昔は、今より
のんびりした時代だったのかもしれませんよね。

でも、一クラスには45人もの子どもがいたんだよ。
できる子もできない子も、
手のかかる子も手のかからない子も、
文句を言ってくる親も
そうでない親もいたし、
進めなければならないカリキュラムも
学習計画の数もそれほど変わっていないように思います。

ただ、市販であれ自作であれ、
「アチーブメントテスト」のみで、
現在、いろいろな場所で論議されている
「学力」を評価することについて、
もう一度考えてみる必要はたしかにあるように思います。

昔は「アチーブメントテスト」で
評価を行うから「主要教科」という意識を
持ったこともあったように思います。

「芸能教科」などという言葉が
使われていたということも
聞いたことがあるのですが
「算国理社」は「アチーブメントテストと態度」で評価を行い、
その他の教科は「実技評価、作品評価と提出と態度」
という感じになっているように思っていました。

だから、評価のない「道徳」は
難しいということになってしまっていたように思うし、
「実技評価、作品評価」を職人的な感覚で行う先輩は
引っ張りだこになっていましたね。

点数で評価できる教科は
意外と教えやすいですよね。

もう、そろそろ気づいたと思うけど
「テスト」を意識して「授業」を組み立てればいいから、
最初に「テスト」を見ておいて
「授業」を進めればいいということになるんだよね。

子どもたちにとって
「おもしろくない」授業になる危険性もあるんだけど
毎日の多忙感が、そんな危惧も吹き飛ばし、麻痺して
つい安易な道に入り込み、
後で良心の呵責にさいなまれる・・
なんてことも起こっていましたが、
あなたたちはどうでしょう?

この間、
日本の小学校では
全学年全教科を教えることが
求められているということを、
中国の師範学校の先生に話した時、
「スーパーマンだ」といっていました。

中国は小学校から
教科担任制、もっといえば
進路コース固定的な要素が
あるので教科の取得数がもっと少ないんだそうです。

日本の小学校の先生の
質の高さは、世界的に見ると高いものだ
と思うのです。

ただその質を維持することが難しい状況が、
今、あなたの周りで起こっているのかもしれませんね。

先生になるまでに、学生や講師の間に
どれだけ蓄えられていたか、
先生になってからも、
自分で蓄えようとする姿勢や手立てを
持っているかが、大切なんですよね。

休みがないほど、
学校の業務に縛られているということですが、
1、2年もすれば少しは
余裕がでますよ。

勝負はその時、その余裕を何に使うかですね(笑)

その時、余裕があれば、こんなこと考えておいてください。

・「知識偏重からゆとりへ」という
方向変換の何が成果で課題だったのかという感情的でない検証

・「生きる力」、「学力」とは何かという本源的な定義

・大学の改革に伴う大学入試の変化や「国際化」という時代の流れ

他にも考えていく必要があると思うことは
たくさんあるのですが、
新米のあなたには、
その時間がないほどの多忙感が心の中に充満しているよね。

今度飲み会でもしながら、
先生の大量採用に伴う「学校の教育力の低下」を起こさないために、
何が必要なのか、一緒に考えてみましょう(笑)。

コメント
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