おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

祝日なのに・・。

2006-03-21 10:21:43 | Weblog
天気がいいのに、
なぜか今日も仕事場で一人コンピュータに向かっています。

家では邪魔者扱いされ、
女子高生を楽しんでいる娘には相手をされず
なんてわけではありません。

例年の年度末に行われるはずの調査が
4月にくい込むとのファクスが
帰宅後に入っていたとの連絡があったからです。

この手の調査は担当者泣かせで大変だから
早くメールで事前連絡をしておく必要があり、
祝日出勤となってしまったってことです。

でもこれだけしてメールで送っても
読まない(読めない?)管理職がいるらしいけど、
ホントだと辛いよね。

愚痴はともかくこの「ブログ」とかの使い方少し考えてみました。

たとえば今日の読売新聞に「キャリア教育」って記事があって、
そこに「人生グラフ」という取組
(自分の人生の中で起こった出来事を縦軸に「楽しい」「つらい・哀しい」
横軸に年齢として折れ線グラフを作成させる中で
「人とのふれあいが」自分の喜びに結びついていることを振り返らす)があり
これをたとえば、自分のクラスで行うとき
どんなコンテンツが必要でどんなことができるかなんかを
コメントで交流できるよね。

例として「キャリア教育」を出したけど
これってはやりの言葉みたいだけど結構難しい問題だと思うよ。
「なぜ若者はニートになるのか」って問題の答えが見えていなかったら、
今までの「進路指導」と同じことしかできないだろうし、
「おっさん」のような「親のすねかじりのPuは許せん」という古い感情論だけだと
若い連中はそっぽをむくだろうし・・。

ほんの60数年前は良きにつけ悪きにつけ「國のため」という価値観があって、
それがなくなると「家庭のため」という価値観と
「会社のため」という価値観が人生の目的みたいになって、
「マイホームパパ」や「仕事人間」こそが尊ばれると思っていたら、
子ども達が自分の父親や母親を虐げはじめ
「自分だけのため」に生きることを大切にしはじめた。

なんか変だよね。

今、自分をおさえて「人のために」尽くす生き方をする人とであったとき
感動する時代になった。

本当はそれがあたりまえのことなのに・・・
なんて「キャリア教育」を考えている背景について述べさせていただきました。

コメント
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