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『戦後史の正体』(孫崎享著)読後記

2013年01月07日 | よむ

『戦後史の正体』(孫崎享著)

初めて聞く話ばかりで、かなりショッキングな内容でした。

太平洋戦争終結後の日米関係について、日本の政治家や官僚を、対米追随派と自主派に分け、ズバズバ切り取っています。明快です。

最初の追随派は吉田茂。自主派は重光葵。その路線対立から筆を起こし、つい先日の民主党政権(鳩山、菅)まで論じています。

著者のスタンスは、自主派です。

アメリカも内部に政治家の権力争いがあり、日本にも政権内部に主導権争いがある。その前提で、同書の内容を的確に記している部分があるので、以下、引用します。1)から4)です(一部改編)。
1)米国の一部の勢力が、日本の首相の政策に不満をもつ。
2)日本の検察が汚職などの犯罪捜査を、首相本人ないし(首相の)近辺の者行う。
3)マスコミがその汚職事件を大々的に取り上げ、政治的、社会的失脚に追い込む。
4)(アメリカは)次の首相と連携して、失脚した首相の復活の可能性を消す。

例えば、田中角栄はロッキード事件で叩かれて弱体化したし、首相ではないが小沢一郎は陸山会事件で叩かれました。

検察(特捜部)は、GHQ統治下の日本で、旧日本軍の隠し財産を探し出し、GHQに差し出すための組織としてスタートしたそうです。アメリカとの密着度が高いのはむべなるかな。

また、アメリカの姿勢を的確に表している部分があるので、以下、引用します(一部改編)。

「将棋の盤面を考えてください。米国は王将です。この王将を守り、相手の王将を取ることから逆算し、全ての戦略が立てられます。米国にとって日本は「歩」かもしれません。「桂馬」かもしれません。ときには「飛車だ」といってチヤホヤしてくれるかもしれません。役割は状況によって変わるのです。

しかし、どんな駒であっても、国際政治というゲームのなかで、米国という王将を守り、相手の王将を取るために利用されることに変わりありません。状況次第では見捨てられることもあります。王手飛車取りをかけられて、飛車を逃がす棋士はいないでしょう。一瞬のためらいもなく飛車を切る。当たり前の話なのです。

対戦相手の王将は、ときにソ連、アルカイダ、中国、イランと、さまざまに変化します。それによって日本も「歩」になったり「桂馬」になったり、役割が変わるのです。」

具体的には、終戦の直後は、アメリカにとって日本は、捨て駒でした。再び軍事大国とならないように、工場設備などを取り上げて海外に移設。国力を削ぎ、戦前に日本が植民地にしていた国より生活レベルを下げる、というのがGHQの政策でした。

ところが、すぐに東西冷戦が始まります。相手の王将はソ連で、日本は共産圏の防波堤の役割が期待されます。さしずめ「飛車」でしょうか。その後日本は、朝鮮戦争で特需があり、経済的な繁栄を続けます。そうしているうちに、東西冷戦の終結。この時から日米関係は変わる。今から20年強前のことです。

にもかかわらず、対米ベッタリ姿勢を続けるのは、いかがなものか。利用されるばかりでなく、自らが王将になれ(自ら考えよ)。著者が言いたいのは、そういうことでしょう。

新聞は、当否はともあれ客観報道といいますよね。教科書も、特定の勢力に肩入れする記述はできない。でも、この本は旗幟鮮明にし、異色です。

著者は元外務官僚で、国際情報局長まで務めた方です。そうした経歴の方が内幕を暴露する。だから内容は、真実に近いと考えられる。かつては、墓場まで持って行かれる話ですが、時代の節目ゆえか公になった、という感じです。

高校生でも読める平易な記述ですが、内容はぎっしり。戦後の日米関係史に興味のある方は、ぜひ。



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