以下、田原総一朗公式ブログより。
40年前、僕はテレビ東京の社員だった。
当時は東京12チャンネルといった。
僕はディレクターとして、たくさんのドキュメンタリーを撮った。
なかには、いまではとても撮影が許されないであろうという内容の
作品もあった。
たとえば、当時大人気のジャズピニスト山下洋輔さんが
「ピアノを弾きながら死ねればいい」と言った。
それを聞いた僕は、
「それならピアノを弾きながら死ねる状況を作ろうじゃないか」
と考えた。
(中略)また、高橋英二さんという「七人の刑事」にも出演していた、
有名な若手俳優がいた。
ガンで余命半年と言われた高橋さんから、「俺の死ぬまでを撮ってくれないか」
と頼まれたのだ。
(中略)ドキュメンタリーを撮ることは、基本的に危ないことである。
危険を覚悟しないといけない。僕はそう考えている。
(中略)三里塚闘争では、最初、農民のほうが強かったから、取材班は
農民の側から撮っていた。
農民の側から撮っていると、空港公団や警察が悪者に見える。
ところが、機動隊が本気になり催涙弾などを使うようになると、
みな一斉に機動隊側から撮り始めた。
自分たちの方に催涙弾が飛んできて危なくなってきたからだ。
すると、それを境に、世間の見方が180度変わった。
テレビに映るのは鋤や鍬といった武器を持った農民や彼らの横にいる
過激派になった。
そのため、今度は農民のほうが悪いという雰囲気になったのだ。
当初、成田空港の建設は無理だと言われていた。
ところが、テレビが機動隊の後ろから撮るようになったとたん、
やっぱり農民の反対は問題だと世論が変わったのだ。
テレビが怖いのは、どこから撮るかによってどうにでも見えてしまう
ことだ。(引用終わり)
う~ん、確かにこんな側面はありますね。テレビは怖いですね。
コメント、ありがとうございます。
長くやっている「朝まで」ですが、沖縄での収録は初めてだったんですね。地元でやる、というのは面白い試みと思いますが。
国政全体を考える立場、沖縄の立場、長い年月の積み重なった思い……。かみ合わないのは当然かもしれません。では、どうしたらいいか?というのが難しいですね。
沖縄の地元の有識者を入れた討論は、どうも噛み合わないものだった。
沖縄の地政学的な位置づけは、地元の人には通じないようで、日本の中の沖縄を考える立場と「沖縄」の現状に固執する地元民とが話し合っても噛み合わないのは当然です。