なんだかな~と思いました。これでは、「ほとんど意味ないのに、巨大ダムを作る」と同じでないか。
以下は、田原総一朗公式ブログより。2月25日付。
全国の商店街にはシャッターが閉まっている店が多い、という趣旨の文に続けて(以下引用)「日本の人口は、これからますます減っていくのだ。本当に地域活性化を、真剣に考えなければならない時期にきているのだ。
先日、僕が担当するラジオ番組に、おもしろい投書があった。ニューヨークに住む男性リスナーから、こんな提案があったのだ。
「例えば、AKB48のメンバーが、47都道府県をそれぞれ担当する。一人ひとりが各県の盛り上げ隊長になって、さびれた商店街にいきなり顔を出す。そして、『その商店街の売り上げが1000万円上がったら握手会を開きます』と発表すれば、ファンがCDではなく生活用品や食料品を買いに行くだろう」という内容だ。
おもしろいアイデアだと僕は思う。
AKB48のファンは、総選挙のためにCDを100枚、200枚も買う人もいるという。そういうファンたちがそのうちの一部だけでも、商店街で買い物するようにしたら、すごい金額になるだろう。それだけではない。テレビで活躍する人気者が来るという「非日常性」が、街に活気を呼ぶのではないか。
(引用終わり)
(全文は次のアドレス)
http://www.taharasoichiro.com/cms/
100枚もCDを所有して、どうするのかね。大多数は押し入れに眠るでしょ。1枚1000円として、10万円も払ったけど、実際に聞くのは1枚(1000円)だけ、というわけさ。
何億円もかけて作ったダム(←公共事業の代名詞ね)も、投資の割に機能しない。ただ、水をためているだけ。もちろん治水など少しは機能するでしょう。工事の過程や竣工後の運用保守で雇用も生む。経済効果は少しはあるんだろうけど、それってどうよ。100枚のCDを買いながら聞くのは1枚と同じじゃん。
単に雇用を生むだけなら、どこかの野っ原で、「穴を掘って、はい、次は埋めて」を繰り返せばいい。公共事業なんだから、給料は国庫から出す。元祖はニューディール政策なんだろうけど、当時と今じゃ、社会背景、インフラの整備状況、価値観ががらりと変わってるからね。
仕事には、意義が必要だ。人はパンのみに生きるにあらず、だよ。昔、シベリアの地で、穴を掘っては埋め戻すという作業を繰り返す、刑罰があったと聞きます。仕事じゃないよ、刑なんだよ。
片や地面を掘る、片や岩をくり抜く。やることは似てても、青の洞門とは、岩盤を打ち抜きトンネルを作るという意義があるだけに、えらい違いだよ。
さて、AKBのファンはCDが100枚というモノが欲しいわけでない。選挙権(権利)、ファン仲間との交流、AKBの特別ステージの鑑賞などソフトが欲しいわけ。これからの時代は、ハードじゃない、ソフトの時代だよ、絶対に。ハードにもソフト(物語)が染みていないと支持されないよ。
第一、CDをたくさん作ると、資源の無駄でしょ。選挙権が欲しいという人には、CDというハードでなく、株券のような紙とか電子の権利書(ソフトの証票)を売ればいい。
労働者の数が、第一次産業から第二次産業、第三次産業に移行する。第三次の中でも、さまざまな需要動向を考えると、特に金融だね。イギリスが英国病から脱出し、産業復興したとされるのも、その産業って金融でしょ。
同じ大三次産業でも、美容院や映画は、実需が増えないと伸びないけど、金融の需要は無限だからね。土を掘り返して埋め戻す作業を100回やると100万円あげるという話には乗らなくとも、100万円預ければ1年後に150万円にして返すという(信頼できる人の)話には、多くの人が乗るでしょ。(100万円の余裕資金があればね)
つまり、金融って幻想だよ。幻想は無限だよ。紙幣は「国がそれだけの価値がる」と保証しているから価値があるんであって、本来的には、ただの丈夫な紙だからね。
何が言いたかったのかな。自分でも混乱してしまうよ。
言いたいことは、商店街もAKBも、CDなどのハードでなく、ソフトを売れってこと。俺があくび指南してやる。指南料(月謝)は月10万円でいいや。それくらいソフトを強烈に創り出さなきゃ、需要なんて生まれないよ。
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