壁際椿事の「あるくみるきく」

東京都内在住の50代男性。宜しくお願いします。

『99・9%は仮説』を読んだ

2010年01月13日 | 読書
(引用)誤解を恐れずにいうと、人殺しですらある意味では悪じゃない可能性がある。

『99・9%は仮説』(竹内薫著、光文社新書)を読みました。これによると、アメリカの若者でダーウィンの進化論は検証された科学理論だと思っている人は37%だそうです。「たくさんある仮説の一つにすぎない」という意見が30%で、残り33%は「分からない」だそうです。(出展:「ネイチャー」誌、2005年4月28日号)

なぜか? 学校での教え方に理由があるようです。学校によっては、「人間が今の姿なのは、進化論の結果ですよ」と教えるところもあれば、「神による創造も含め、いろいろな考え方がある中で、進化論も有力な考えですよ」と教えるところもあるそうです。

みなさんは、どうでしょうか? 私は「進化論は100%正しい」と思っていましたが、本書を読んで「分からない」に変わりました。いや、より正確には「いまのところ99・9%正しいが、この先どうなるか分からない」という表現がぴったりでしょうか。以下、気になったところ。

(引用)(物理学者の)ファイヤアーベントは、あえてタブーに挑戦し、あらゆる仮説に触れることにより、知的な「免疫力」をつけろ、というのです。
たとえば、われわれは自由な民主主義国家に住んでいますが、あえて、専制国家や共産主義国家の「思想」にも触れてみよ、というのです。

(引用)科学者といえども、必ずしも科学的に行動するわけではないですよね。
たとえば、予算をぶんどってくるときも、べつに科学的に行動しいてるわけじゃないですよ。非常に政治的なものだったりするわけです。あるいは、自分の弟子をコネでどこかの大学に就職させるとか、(中略)ぜんぜん科学的な話なんかじゃないわけです。
(コメント:身も蓋ももないですね。)

(引用)たとえば、「1+1」はホントに「2」なのか? この疑問について、一時間みっちり考えてみてください。最近は、子供に短時間で大量の単純計算をさせるような教育法が流行っていますよね。そういうことに慣れてしまうと、確かに脳の計算処理能力は上がるでしょうが、いちばん大事な「疑問に思う能力」は衰えてしまうと思うのです。
もちろん、数学だけではありません。たとえば、「世の中には永遠に正しいことなんであるんだろうか?」って考えるだけでもいいんですよ。誤解を恐れずにいうと、人殺しですら~~(後略)。

自然科学の話なのに、人文科学や社会科学も同列に扱うのはいかがなものか、と思いましたが、何にでも疑問を持つことが大切だというテーマは、納得でした。「~~ですよ」と呼びかける平易な語り口も読みやすかったです。