瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

インド新仏教

2006年01月15日 | 読書日誌
『破天』は、まだ手にいれていないが、ネット上でインドの新仏教と佐々井秀嶺のことなどが、どれだけ分かるか昨日調べてみた。

☆山本宗補というジャーナリストのホームページの中に、彼がインド新仏教や
佐々井秀嶺師を取材した記事がまとめられている。

インド:佐々井秀嶺・アンベードカル・インド仏教

なかでも特に次が詳しい。
「インド仏教復興への道」---命を賭ける日本人僧・佐々井秀嶺師
「大法輪」2004年8月号に掲載された記事だ。

佐々井秀嶺
「谷底ライオン」というホームページの中にある。『破天』の要約。その他の関連図書の紹介もある。

Sasai・G
映像作家・田口なおみちという人物が作っている佐々井秀嶺のドキュメンタリーの紹介をかねたサイトのようだ。

佐々井じいの子供たち等
上のサイトの一ページだが、ブッダガヤ闘争に関連して、インド仏教の現状に若干触れられている。

明泉寺ホームページ
日本人の僧では、佐々井秀嶺師の数少ない理解者・冨士玄峰のホームページ。

佐々井秀嶺老師の話
インドを旅した青年が、偶然に導かれるかのように佐々井秀嶺師に会い、インタビューをしたときの記録。

七覚支07(In This Very Lifeより)

2006年01月15日 | In This Very Lifeより
2)択法(ちゃくほう)覚支(続き)
◆究極のリアリティ
択法覚支investigationは、われわれに究極のリアリティを示す。究極のリアリティは、概念の省察を通さず直接に経験される対象のことであり、物質的対象、精神的対象、およびニッバーナの三種がある。

腹の膨らみ縮みを観察していると、二種の違ったプロセスが起こっていることに自然に気づく。ひとつは、緊張や運動というセンセーションであり、物質的な現象である。もうひとつは、対象に気づく心、意識である。ここに物の本質への洞察がある。

瞑想を続けていると、別の種類の洞察が起こる。一切のダンマが、無常、不完全性、無我という特徴を分けもっていることが分かるのである。択法覚支のこの要素によってニッバーナが何であるかへの理解に導かれるの。この洞察が成熟することによって知恵がニッバーナを貫くに至る。このとき、ダンマという語はニッバーナを指すことになる。

このときニッバーナは、知覚されうる現象と共通の一切の特徴をもたず、永遠性、苦悩のなさ、至福などの独自の特徴をもつ。その時、ニッバーナは、無我と呼ばれるが、通常の現象と違って、苦痛や無常の上にではなく、至福と永遠性の上に成り立つ。心がニッバーナを貫くとき、この区別は明らかになる。