瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

サティのことなど

2006年01月08日 | 瞑想日記
◆一日断食
一日断食。しかし明らかに以前より一日断食が苦痛になっている。なぜだろうか。以前より動機付けが弱くなっているのだろうか。食べたい欲求をごまかすためにまた何杯も飲み物を飲む。ミルクココア3杯、シナモンティー1杯、夕方父のリハビリセンターに行った帰り、駅でカンのコーンポタージュスープを1杯。夕食のうどんのつゆのみ2杯。以前に比べるとゆるゆるの一日断食だ。それでもやらないよりははるかによい。

◆『アンベードカルの生涯』
精神世界の本を読むにレビューを書く。不可触民に関する本をこれから何冊か読んでいくことになると思う。それと、ラマナ・マハラシやクリシュナムルティへの関心とがどのように結びついていくのか、今は皆目分からないが。アンベードカルの『ブッダとそのダンマ』もどんな仏教観が語られているのか、読んだ上での判断だが、原始仏教とも大乗仏教ともまた違う仏教観が、自分の中にどのように入ってくるのか、あるいは入ってこないのか。

◆サティ
父のリハビリセンターへの行き帰りなど、センセーションへのサティと心随観が交互に来る。日常の中で心随観を徹底させていこうという思いがある。思考の背後にある自我の働きへのサティが多くなっている。感覚に対しても思考に対してもサティが続いていると、その分、限りあるいのちへの感覚が鋭くなるような気がする。今日もそうであった。

瞑想では、少し腹へのサティが続かなくなっている。やはり好不調はあるのだろう。そうそう、今日は、思考とサティしたあと、思考した自分への反応にもサティが入っていたようだ。

七覚支05(In This Very Lifeより)

2006年01月08日 | In This Very Lifeより
◆マインドフルネスを促進する他の方法
マインドフルネスを強化する方法が、さらに四つあるという。

1.ひとつはsatiampajannaであり、気づきと明晰な理解と訳される。satiは、正式な座禅中に活性化されるマインドフルネスであり、ampajannaは、もっと広い地盤に立つマインドフルネスである。歩行したり身体を伸ばしたり折り曲げたり、曲がったり、一方を見たり等々、日常生活を織り成す活動へのマインドフルネスである。

2.マインドフルでない人々を避ける。

3.マインドフルな友人を選ぶ。

4.心をマインドフルネスへと向ける。つまり、意識してマインドフルネスを最優先する。どんな状況においても心がマインドフルになるよう注意している。マインドフルネスを深めることがむずかしい活動は避ける。修行者に要求されるのは、この瞬間に起こっている一切に気づいているということである。

☆ひさしぶりになったが、In This Very Lifeを読んでまとめる作業は、地道にやっていくつもいである。