瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

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「日本人」というアイデンティティ

2006年04月09日 | 心理
2月下旬のトリノ・オリンピックでの荒川静香選手の金メダル。そしてWBCでの日本の優勝。私も、それぞれ楽しんで見たし、うれしかった。しかし、これに関係して、ずっと書きたいと思っていたことがある。

こうした国際試合で、日本の選手が勝って我がことのように喜び、負けるとがっかりしたり、悔しがったりする心理がずっと気になっているのだ。自分自身の中にそういう心理が強くあるので、自分自身の問題として気になるのである。

結局は、「日本人」ということへの自己同一化が強ければ強いほど、日本人の勝敗に喜んだり、悲しんだりする度合いも強くなる。「日本人」の勝敗や優劣にこだわる度合いが強いほど、自己の勝敗や優劣にこだわる度合いも強いと言えそうだ。しかし、逆は必ずしも真ではない。自己の勝敗や優劣に強くこだわる人でも、「日本人」との自己同一化が弱い日本人なら、日本の勝敗には無関心かも知れない。

私自身は、たとえば国体での東京の勝敗には全く無関心だが、それは、ふだん「東京都民」ということに自己のアイデンティティの基盤を置くことがないからだろう。

一方、「日本人」ということは、私のアイデンティティの中でかなり中心的な位置を占めているようだ。日本の社会と文化の中で育ち、「日本人」に共通する日本語を話すことで、「日本人」は私の「自己」の重要な構成要素であるらしい。だからWBCでの日本の優勝についつい拍手して喜んでしまう。

しかし、私にはこの心理がかなり不思議に感じられる。そして気になる。どうして「日本人」ということにかくも自己同一化してしまうのか、もう少しつっこんで確認し、自分に納得のいくような言語的な表現をしてみたいのだが、まだあまり深めることが出来たとは言えない。

自己の勝敗や優劣にこだわるのはエゴだが、「日本人」としての勝敗や優劣に一喜一憂するのも、やはり同じエゴに根ざしている。同じエゴが「日本人」というアイデンティティに同一化した結果なのだ。

話しは飛躍すると言われるかもしれないが、戦争の心理的な背景の一つには、個人のエゴに根ざした国民エゴがあるのは確かだろう。

このテーマは、私の中でずっと重要なものであり続けるだろう。
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「自己」と「日本人」

2005年05月03日 | 心理
私は、幻想であるはずの「自己」への囚われから自由になっていないが、同時に「日本人」という幻想のアイデンティティへの囚われも強いと感じる。たとえば、イチローや両松井の活躍を見て喜ぶことは多かれ少なかれ誰にでもあるだろうが、それは「自己」が「日本人」としてのアイデンティティと強く結びついているからだろう。サッカー・ワールドカップ予選での日本チームの勝敗に一喜一憂するのも、同じ現象である。映画の「Shall We ダンス?」がハリウッドでリメイクされたのが、何となく得意であったりするのも同様だ。

これぐらいなら特に社会的に問題になることはないが、中国や韓国での反日デモに感情的な反発を感じて、互いの感情的な反発が不幸な形で衝突してしまったら、これは深刻な問題になる。「自己」というアイデンティティの中核に「○○人」という意識が入り込んでいるから、そういう反応が出るのだが、ではクルド人の場合はどうか。イラク、トルコ、シリアの三国にまたがって住むクルド人は、イラク人等々としてアイデンティティよりもおそらく「クルド人」としての自覚が強烈だろう。江戸時代の武士にとっては、「日本人」というより「○○藩の武士」というアイデンティティの方が強力だったろう。

「自己」という幻想に同一化していることを客観視して、脱同一化することは難しい。しかし、「日本人」というアイデンティティがいかに根拠の薄いものであるかを洞察することは、ある意味では容易ではないか。たとえば、つい2000年くらい前に朝鮮半島から多数の人々がやってきて、縄文人と交わりながら、日本にある程度のまとまった政権を形作ったのである。現代の私たち自身は、そういう人々の血を多く受け継いでいる。そこまでたどれば、「日本人」とか「韓国人」とかの区別にとらわれるのはバカバカしい。私たちの中には半島の血が多く流れているのだ。

私たち庶民が「日本人」という自意識を持つようになって、たかだか140年しか経っていない。それは近代国家の成立とともに作られた、時代特有の幻想に過ぎない。

にもかかわらず「日本人」であることに固執し、「日本人」への毀誉褒貶に一喜一憂してしまうのはなぜなのか。「自己」という幻想のなかに「日本人」という観念は、どのようにして食い込んでいるのか。二つの観念は、どのような層構造をなし、どのようにして結びつき、どのようにして互いを強化し合っているのか。その辺をもう少し明らかにしていきたい。これは、「自己」という幻想から自由になるという視点からも、大切なことかも知れない。

しかし、何を手がかりに考察していくかは、意外と難しい。じっくりと温めていきたいテーマだ。
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シンクロ二シティー3(今日の日記)

2005年01月29日 | 心理
◆シンクロにシティー
ところがこの日の帰り、職場近くの駅で、夢に出てきた保健室の養護教諭の一人と一緒になり、二駅ほどの間、話をした。よく一緒になるのなら不思議はないが、帰りに同じ電車になって話したのは初めてであった。その時、私の気功が生徒とのコミュニケーションのきっかけになっていること、受験前に気を入れてと頼みにくる生徒が何人もいることを話した。また、落ち着いて受験できるよう自己催眠によるイメージトレーニング法を教えて、これがかなり人気がある話などもした。実際、この数日、受験前の数人が依頼して来た。それを聞いた養護教諭が、笑いながら「教室の前に旗でも立てて宣伝したらどうですか」と言ったのである。

◆夢の意味は分からないが‥‥
夢に関係した人物と偶然に一緒になり、しかもその言葉が夢のイメージと重なったとなると、かなりのシンクロニシティーかなと思った。夢の意味は、まだよく分からない。気になるのは、私が渡し続けた薬は、医者が副作用があると言って止めた薬と、とてもよく似ていることだ。これは、夢の中でも気になっていていた。

少なくともはっきりしているメッセージが一つある。それは、足の湿疹の意味を、ミンデルの方法にしたがって、しっかりと感じ取って見よ、ということだ。

「病や夢は、私たちの関わり次第で、私たちを魂あるいはドリームボディの世界へと誘う媒体となってくれるでしょう。一つの症状であっても、それとの関係を育んでいくならば、それは魂からさまざまなものを運び、また魂にいろいろなものを送り届けてくれることでしょう。」(『痛みの身体の心理学』p38)
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シンクロ二シティー2(今日の日記)

2005年01月29日 | 心理
◆クスリの夢
明け方見た夢は、薬に関係するものだった。私は皮膚が弱く子どもの頃、6月下旬から7月、急に暑くなる頃に足などにいくつものできものが出た。今でも同じ頃、腕などに数個のできものがかわるがわる出ては消え、2週間弱でまったくでなくなる。最近はあまり出なくなっているが。子どもの頃は強烈な臭いのあるよく効く軟膏を使っていた。副作用が強いらしく、ある時期から使わなくなった。

夢のなかでは、大人である今の私が、その薬かどうかわからないよく効く軟膏を医者からもらってくる。だが、何故か私はもう必要がなかった。それを職場の保健室が必要としているというので、医者からもらう度にあげた。保健室は非常に喜び、それをストックして、必要な生徒に使用した。効果が高いため評判になり、生徒だけでなく保護者らしき人や、もしかしたら一般の人まで保健室を訪れた。二人の養護教諭も喜び、旗のようなものまで立てて宣伝し、その薬を有効に使っていた。

そんな奇妙な夢であった。目覚めたときは変な夢だと思っただけで、そこから連想することは何もなかった。しかし、『痛みと身体の心理学』を読んだとき、まさにこの夢と現在の身体症状が関連していることに気づいた。

私は現在、両足のすねにちょっとした湿疹がひろがっている。毎年、真冬の寒い時期にずっと続く。日中はほとんど気にならないのだが、時々痒くなったり、痛痒く感じることがある。市販の軟膏を塗ったりすることもあるが、今はクスリを使うほどには気にならない。しかし、最近一二度クスリを塗ろうかと思ったことはある。まさに、これが夢に関係していたのだ。

ただ、この夢自体は、シンクロにシティーというほどのものではない。『痛みと身体の心理学』を読もうと決めた時点でミンデルのことは意識するから、その明け方にミンデルの説を示唆するような夢をみても何も不思議はない。
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シンクロ二シティー1(今日の日記)

2005年01月28日 | 心理
◆そのときにふさわしい本
いつも、次にどの本を読むかを決めるときは、多少迷う。その後の数日間の通勤電車のなかでどんな世界に出会うかは、かなり重要なことだ。その時々の自分にとっていちばん読むのにふさわしい本というのは、やはりあるような気がする。今の自分にとっていちばんふさわしい本を選ぼうと意識して次の本を選んでいる。

次に読もうと思ったのは、藤見幸雄の『痛みと身体の心理学』だ。そう決めたのは一昨日の夜だ。プロセス指向心理学への入門書といってよいかもしれない。ミンデルの世界をどれほど的確に伝えているか分からなかったが、久しぶりにミンデルの世界に触れて見たかった。瞑想合宿での体験が、よけいにそう感じさせたのかもしれない。ミンデルの翻訳された著作は、初期の大作『ドリームボディ』以外は読んだ。『ドリームボディ』を読むのは、もう少し後になるだろう。

◆身体症状と夢
昨日、通勤電車のなかで『痛みと身体の心理学』を読み始めた。読み始めるなり、たちまちミンデルの世界に引き込まれた。

長年にわたる夢分析の経験を通してミンデルは、一見マイナスに見える事象のなかに、意味や目的を見出す姿勢を身につけていた。夢に意味があるように、身体に現れる病にも意味があると考えた。身体症状と夢が、お互いにお互いを映し出す鏡のような関係にある。ミンデルは、身体症状のプロセスが夢に反映されていないケースには、一つも出会っていないとまでいう。

こういう考え方には深く共感する。「やはりミンデルはいいな」と思った。そのとき、この日の明け方に見た奇妙な夢を思い出した。それがまさに身体症状を反映した夢だったので、少しびっくりした。夢から覚めたときは、ただ変な夢だと思っただけで身体症状との関連をとくに意識しなかったのだが、この本を読むことで、その明らかな関連に気づいた。

夢の内容については、項をあらためて書く。
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