瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

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画家・三橋節子と三井の晩鐘

2013年12月23日 | 覚醒・至高体験をめぐって
◆『湖の伝説―画家・三橋節子の愛と死 (新潮文庫)

本の整理をしていて、昔読んだ古い本に再会するのもよいものだ。そんな再会の一つにこの本があった。作者は梅原猛だが、彼の多くの本のなかでは異色だ。哲学者であり古代学者でもある梅原氏が、癌で35歳でなくなった画家・三橋節子(1939年~1975年)の生涯を描いているのだ。

彼女は、死ぬ2年前の1973年に利き手の右手を鎖骨の癌により手術で切断している。その前、彼女が夫から、病が癌であることを知らされたとき、彼女ははっきりと死を意識していただろうと梅原は書く。しかし、手術を無事に終わり、転移も見られなかったので、死は一時彼女から遠ざかったかに見えた。以下は、彼女の父と思われる人が書いた文章からである。

「それから九ヶ月ほど、肺への転移も認められず、左手で書いた絵『三井の晩鐘』と『田鶴来』が秋の新制作展に入選した時は、節子も喜び、右手は無くても、このまま一命をとり止めてくれればと祈っていたが。12月に左肺への転移が発見され、即刻、明日手術ということになった。その時も病院の帰りに銀閣寺の家へ寄り、私の顔を見るなりポロポロッと大粒の涙を流した。私は軽く左肩をたたいて、『今度の手術は簡単なんだから、もう一度頑張ろうよ』と励ました。しかし手術の結果は見透しの暗いものであった」

ここに出てくる『三井の晩鐘』という作品は、次のような『近江むかし話』に基づいている。

むかし、子供にいじめられていた蛇を助けた若い漁師のもとに、その夜、若く美しい女が訪ねてきた。実は恩返しにと、人間に姿を変えた湖に住む龍王の娘だった。やがて二人は夫婦になり、赤ん坊も生まれた。ところが、龍王の娘であることの秘密が知られてた女は、琵琶湖に呼び戻されてしまう。残された子どもは母親を恋しがり、毎日、激しく泣き叫ぶ。女は、ひもじさに泣く赤ん坊に自分の目玉をくりぬいて届けた。母親の目玉をなめると、不思議と赤ん坊は泣きやむ。しかし、やがて目玉はなめ尽くされ無くなってしまう。それで女は、更にもう一つの目玉をくりぬいて届ける。盲になった女は、漁師に、三井寺の鐘をついて、 二人が達者でいることを知らせてくれるように頼む。鐘が湖に響くのを聴いて、女は心安らわせたという。

三橋節子は、この民話をもとに作品を描いたのである。目玉をなめる子どもの背後に母親がいる。梅原は、その母親の顔は、神々しいという。それは、もはや人間の顔ではなく、ましてや龍の女の顔でもない。仏のなった者の顔だという。そして言う。

「節子は、この時やはり、仏になっていたと私は思う。もしこの時、節子が仏にならなかったとしたら、人間の世界で誰一人、仏になる人はいないとさえ私は思う。‥‥節子は、想像を絶する苦悩の中で、仏となったのである。一切の煩悩をすて、慈悲の心そのものに彼女はなった。ならざるをえなかったのである。苦悩と、そしてその苦悩の克服が、彼女をしてこのような神々しい顔を、かかしめることが出来たのである。こういう神々しい顔は、また、節子自身の顔である。」

彼女には「くさまお」と「なずな」という二人の幼い子がいた。だからこそ彼女は、龍女と自分とをほとんど同一化していたのかもしれない。子を残して逝く母の、想像を絶する悲しみがこの絵に託されているのだ。

三橋節子の話は、かつて覚醒・至高体験事例集の中に入れることも考えたが、彼女自身の言葉によって語られたものではないので断念した記憶がある。その変わり、彼女によって描かれた絵が残っている。大津市の「三橋節子美術館」でその絵をじかに見ることができる。私もいつか行ってみたいと思う。




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覚醒・至高体験をめぐって26:《目次》で振り返る

2010年08月27日 | 覚醒・至高体験をめぐって
「醒・至高体験をめぐって」は、前回で第4章が終わったことになる。全体の構成を振り返るために、これまでの流れを「目次」としてまとめたものをここに掲載しておきたい。《》で示したのは、そこで取り上げた事例である。

はじめに
《エックハルト・トール》

1 覚醒・至高体験とは?
《玉城康四郎》

2 至高体験の特徴
《林武》《辻邦生》《タゴール》《N・K氏》

3 B認識
《八木誠一》《渡邊満喜子》

4 自己超越
《青木宏之》《自己超越を暗示するいくつかの事例》《浄土宗僧・原青民》

~~~~~~~~~(前回ここまでアップ、以下は、次回より)

5 B認識と自己超越
《クリシュナムルティ》

6 限界状況
《ヤスパース(限界状況の解説として)》《高史明》《柳澤桂子》
《心理学専攻の女性》《ラリー・ローゼンバーク》《ある青年医師》

7 死への直面
キュブラー・ロスの死の五段階説
《アーロン》《北原少年》《詩集》《福岡正信》《湖の伝説》


以下、続く
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覚醒・至高体験をめぐって25:  (4)自己超越⑤

2010年08月26日 | 覚醒・至高体験をめぐって
《浄土宗僧・原青民》

つぎに挙げるのは、原青民という浄土宗の僧侶の体験である。彼は、肺病にかかり、かかりつけの医者にあと五年しか生きられないといわれ、非常に悩んだという。そのうち、大正の法然上人と称された弁栄聖者(べんねいせいじゃ、1859~1920)に出会い、その感化で毎日のように念仏を唱えるようになった。 その時の体験である。

『ある晩、一心に念仏を申しながら自分と自分を取り巻いている万物との関係を考えていました。ところが念仏を唱えているうちに突然なにもなくなってしまいました。 自分のたたいている木魚の音も聞こえません。周囲の壁もなければ、天井も、畳もありません。

すきとおった明るみもありません。色も見えなければ、重くも、軽くもありません。自分のからだすらありません。まったく無一物になってしまって、ただあるのはハッキリ、ハッキリだけになりました。はっきりした意識だけがあった、意識内容はまったくなくなってしまったわけです。

しかししばらくして平常の自分にもどり、その晩はそれで寝てしまいました。ところが翌朝目がさめて、庭から外を見ていると、変で変でしかたがありません。きのうまではいっさいのものが自分の外に見えていたものが、けさは自分の中に見えています。それはつぎの日もかわりませんでした。』(佐藤幸治『禅のすすめ (講談社現代新書 27)』)

この体験によって彼は、「いっさいが自分の心であり、いっさいの活動が自分の心の働きであることがわかってきて」、この大宇宙そっくりが真実の自己であると自覚されたという。そして、もう本当の自分は死なないのだという実感に至り、深い安心を得ることができたという。

「外に見えていたものが、自分の中に見える」という不思議な経験は、他の体験者にも見られる。たとえば気功家・島田明徳氏は、立禅による気功の修練中に、自分の意識が飛躍的に拡大する体験をし、次のように語る。(なお、島田明徳氏の事例は、後に気功家やヨーガ行者の身体的な変化に伴う事例を考察するときに詳しく取り上げる予定である。)

『この時の私は、自分の周囲に意識が拡がって、周囲の山々がみんな自分になってしまいました。単なるイメージではなく、自我意識が残っている状態ですから、自分を意識できる状況下において、その自分が、山であり、川であり、空であるといった状態をはっきりと認識できるのです。』(島田明徳『「気」の意味―仙道が伝える体の宇宙』地湧社、1991年)

以上のいくつかの事例からも推察できるように至高体験の核になる部分には「自己超越」と名づけてよいような体験が含まれるようだ。確かに表現はさまざまである。一方では「私の『自己』が、それよりも無限に大きなものに溶け込んで行く」と表現され、他方では「外に見えていたものが、自分の中に見える」、「自分の周囲に意識が拡がって、周囲の山々がみんな自分になってしまう」と表現される。「自己」が無限の中へと溶け込んでいくのと、「自己」が拡大して森羅万象を包みこむのとは、一見して方向が逆でように見える。しかし、いずれの場合にも共通しているのは、日常的な「自己」という堅固な体制が何らかの仕方で超えられているということである。
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覚醒・至高体験をめぐって23:  (4)自己超越③

2010年08月23日 | 覚醒・至高体験をめぐって
《青木宏之氏》

最初に取り上げるのは新体道の創始者・青木宏之氏(あおきひろゆき、1936~)の事例である。彼は、新しい時代の体術を追求して、総合的な人間開発のための体術「新体道」を創始した。一九八五年 「日仏シンポジウム『科学・技術と精神世界』」(於:筑波大学)にて日本武道の代表として演武し、秘技「遠当て」を披露した。これが、その後の気ブームの先駆けとなったとも言われる。彼の体験は以下のようなものである。

『私がそれに気づいたのは、昭和四十二年の十月だったと思います。その時、私は家にいて何かかんがえごとをしていたのですが、ふっと自分の中から相対的な価値観、例えば善なるもの、道徳といわれる好ましいもの、またヒューマニズムとか、愛情とか、ありとあらゆる、そういういわゆる良いもの、善なるものが消えてしまったのです。

今までよりどころしていたものが全部、自分から離れてしまった。その離れていく様が、目で見るごとく、体感できたのです。そして無限の虚無の空間にとり残されてしまった。その時、私はすごい恐れを感じたのです。自分にとっての価値観がなくなるということは大変なことです。それは命よりも大事なものですから、これから一体どうなるのだろうと思ったわけです。

ところが自分自身、全くなんでもない。そういうものがなくなって、今にも自分は倒れて死んでしまうかと思ったけど、ちっとも倒れもせず、息も止まりもせず、一体これはどういうことなのかと思ったわけです。

そしてよくその感じを味わってみると、私のまわりからすべての、好ましい人々から言われて来た価値観、良いものと言われてきたもの、悪いものと思われていたものが全部消えてしまって、ただそこに、あるものがある。あるがままに黒いものは黒い、白いものは白いと。良い悪いはなく、ただそれだけのことだということなのです。ひたすら瞑想して、お祈りして、よいことを考えて、精進して修行するという、そういう素晴らしい瞬間も、またなんとなく酒を飲んでいる時も、トイレにしゃがんでいても、その辺をぶらぶらうろついていても、つまり何をしていても変わりないんだ。ただそれだけなんだと。そういうふうなことをはっきり悟らされるという経験があったんです。

その虚無の空間のことを今では宇宙的大我とか、宇宙的無意識などと言っていますが、自分が置き去りにされたそういう大きな虚無の世界、完全な無の世界、もしそれを0だと言えば、自分もその世界に同化しているのだから私も0です。また、すべてを加えても同化させても限りなく唯一の世界であるというのでそれを一と言えば、自分もそれに同化しているのだから一であるわけです。一と言っても、0といっても同じことですね。それを私は絶対無とか、あるいは完全な一の世界とか言うわけです。

つまり、相対的な世界が消え去ってしまった時、自分がそういう世界にいたということです。それが本物中の本物というか、本当のことだったということに気がついたわけです。 

その日からは、いろいろな物事を見ても、また人を見ても、今までとは全く違うふうに見えるようになりました。すべて、あるものがあるがままに見えるようになってきたのです。私の場合、理論的にそうなったのではなく、その時からだで感じた、体感したんです。目で見るごとくと言っていますが、実際に見えたんです。ビジョンというか、幻想みたいな感じで、視覚的にとらえられる形で自分からそういう相対的なものが去っていったのです。そんな経験をしたのです。』(青木宏之『からだは宇宙のメッセージ』地湧社、1985年)

青木氏のこの体験も、D認識からB認識へ変化を物語っている。「その日からは、いろいろな物事を見ても、また人を見ても、今までとは全く違うふうに見えるようになりました。すべて、あるものがあるがままに見えるようになってきたのです」とは、まさにこの劇的な変化を表現するものである。しかもその変化は、一時的な至高体験ではなく、永続的なもののようだ。

また、「私のまわりからすべての、好ましい人々から言われて来た価値観、良いもと言われてきたもの、悪いものと思われていたものが全部消えてしまった」とは、自分の利害関心、育った文化や教育のなかで吸収してきた「価値観」、言語による「分別」、区別・対立による見方(これらも何らかの社会的な価値観を反映する)が超えられたということであろう。すなわち「相対的な世界」、自己の価値観に応じて分類、区別されるD認識の世界が超えられ、不二・平等の世界。「完全な一」、「完全な無」の世界に参入したのだ。

さらに青木氏は、「自分が置き去りにされたそういう大きな虚無の世界、完全な無の世界、もしそれを0だと言えば、自分もその世界に同化しているのだから私も0です」という。この大きな虚無の世界は、「宇宙的大我」とか、「宇宙的無意識」とも表現されるが、自分がそれに同化して0になってしまったというのである。

ここでマスローが示した至高体験の特徴をいくつか振り返ってみよう。マスローによれば、至高体験においては(1)「自己の利害を超越し、対象をあるがままの形で全体的に把握」し、(2)「認識の対象にすっかり没入」してしまい、(3)「認知が自己超越的、自己没却的で、観察者と観察されるものとが一体となり、無我の境地に立つ」という。つまり、至高体験においては、通常われわれが保持している「自己」が何らかの形で超えられることが暗示されているのである。青木氏の「私が0になった」という表現は、「自己超越」、「無我」という言葉に示されるような至高体験の特徴に対応している。
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覚醒・至高体験をめぐって22:  (4)自己超越②

2010年08月21日 | 覚醒・至高体験をめぐって
もし人が、言語による「分別」を超越して直接にこの世界に触れうるならば、そこにあるがままの真実の世界が現前する。ことばを離れたこの実在の世界こそが、空の世界である。ことばを離れ、区別・対立を超越した不二・平等の世界、そうした世界の本質が空性と呼ばれる。「ことばの仮構を超越した不壊なるブッダをことばで仮構する人々はみな、ことばの仮構によってそこなわれて如来を見ることがない。」 如来は、この真相(如)を知っているから如来といわれる。以上のような「空」の思想は大乗仏教の根幹をなすといってもよい。

ナーガールジュナのこうした認識は、マスローやフロムの認識とほとんど重なるだろう。そればかりでない。マスローもフロムも、この迷妄や仮構や虚偽をふりおとして、現実をあるがままに見ることは可能だと考えているようだ。フロムによれば、そのためにこそ無意識的なものを意識化すること、つまり意識を拡大することが必要だというのである。フロムにとって意識を拡大するということは、幻想から目覚め真実に触れるということを意味する。すなわちいかなる歪曲もなく、知的・言語的認識(分別知)を介することもなしに、あるがままの実在を直接に把握することを意味する。

フロイトは、その本能論的な見方や神経症の治療という現実的な課題に制約されて、そうした枠組を越える視野を設定することはなかった。しかし、もしフロイトの制約を越えて「無意識の意識化」を、その可能性の究極まで推し進めたらどうか。その時、単に抑圧された感情を自覚化して神経症を癒すといった次元を越えて「意識化」が進み、最終的には常識人が常識人なるがゆえに持つ「虚偽や迷妄の帳(とばり)」をふりはらって直接的にあるがままの実在に触れるという次元にまで拡がっていくだろう。そのとき「意識の拡大」という目標は、禅仏教、さらには大乗仏教が目指す「覚り」という目標に限りなく接近する、というのがフロムの主張である。そして、「あるがままの実在を直接に把握する」認識とは、マスローのいうB認識にも対応するだろう。

以上は、新たに仏教思想との比較という視点も加えてこれまでの考察を再確認した。以下では、こうした考察を踏まえて至高体験と「自己」、さらにはB認識と「自己」との関係を追究したい。もちろん、これまでと同様に事例に即して話を進める。
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