精神世界と心理学・読書の旅

精神世界と心理学を中心とした読書ノート

すべては宇宙の采配

2009-09-22 15:21:27 | 精神世界全般
◆『すべては宇宙の采配

著者が、無農薬・無肥料でリンゴ栽培を成功させるまでの苦しみとその後の劇的な展開が興味尽きない。

自分のやり方でまったく成果がでず、収入もなく追い詰められて自殺を決意するところまでいく。ロープをもって岩木山に登っていき、ある木にロープをひっかけようとするがうまくとまらない。飛んでいったロープを取りにいくと、ちょうどロープが落ちたところに野生のリンゴが3本あった。その根元がふかふかで、ほのかな土の香りがした。自分のリンゴ畑の固い土との差に驚く。「そうだ、畑の土を自然な状態にすればよいのだ」と、家に戻った。それ以来、農薬のかわりのにんにくや牛乳もまかず、下草も生えるにまかせた。すると多種多様な雑草が生え、野うさぎ、野ねずみ、テン、イタチがやってくるようになり、害虫の蛾を食べるカエルも大発生した。大ミミズも増えて土を豊かにし、野生の王国の食物連鎖が始まったのだ。そして、自殺を思って入った山で偶然見つけた野生のリンゴの木(実際はリンゴではなかったようだ)の下のふかふかの土と同じになり、ついに無農薬・無肥料のリンゴ栽培に成功するのだ。

福岡正信の『自然農法 わら一本の革命』を読んだことが、彼のその後の人生を変える。著者の農法も自然農法の一種といってよいかも知れないが、福岡正信の農法と違い、一切を自然に任せてしまうわけではない。ともあれ、リンゴの果樹園に、自然のバランスを取り戻すことで無農薬・無肥料のリンゴ栽培ができるようになったという事実に強く引かれる。人為によって分断されない自然の連鎖の中に真の豊かさがある。

この本には他に、著者のUFO体験や臨死体験などがストレートに語られている。少し無防備に語りすぎるのではないかと心配になるほどだが、そのバカ正直さこそがこの人の魅力なのであろう。著者の体験が面白いのは、たとえばUFO体験で一緒だった人が、その後テレビ番組に出ているのを見て、自分の共通の体験を語るなど、なにかしらの裏づけになるような体験が続くことだ。それでも信じられない人は多いだろうが。

いずれにせよ、私の中の自然農法への昔からの関心をよみがえらせてくれた本だ。
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山の霊力

2009-09-20 13:19:35 | 精神世界全般
◆『山の霊力―日本人はそこに何を見たか (講談社選書メチエ)』(町田 宗鳳)

「山の霊力」というタイトルからはやや分かりにくいが、山をめぐる著者独自の観点から原始から古代までの日本の精神史を論じた本だ。多方面からよく調べられ
、山が日本人の精神形成にいかに大きな役割を果たしていたかが、具体的に考察されており、読んで興味尽きなかった。個人的には、三内丸山遺跡や花巻など東北をめぐる旅の途上で読んだ本だったのでなおさら印象深かった。

縄文人にとって山は生き物であり、神であったということが、印象深く語られる。さらに山に重ねあわされた動物のイメージは、大蛇(おろち)ではなかったかという。大蛇信仰は、やがて巨木信仰へと移行する。三内丸山遺跡のやぐら(六本柱)も巨木信仰のルーツか。大蛇の化身である山の巨木を切り、ふもとにつき立て、おろちの生命力を住む場所に注入しようとしたのか。諏訪の御柱祭は、そのような巨木信仰を残すものかもしれない。蛇体、巨木への信仰は、縄ひも(蛇の変形)への信仰につながる。神社のしめ縄は、二匹の蛇がからむ姿そのものだ。さらに縄文土器の縄目模様も、山、大蛇、巨木‥‥と連なる信仰に関係するのか。

日本の縄文時代やその後の古代史について、きわめて情報量も多く、視点も新鮮で、目が開けるような想いで読んだ。
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日本人はなぜ日本を愛せないのか

2009-08-16 22:50:19 | ★特選の本
◆『日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)

もちろんタイトルにあるように「日本人はなぜ日本を愛せないのか」を、その歴史や地理的な背景にも言及しながら、ていねいに考察している。しかし、それだけではなく、日本が無意識に陥ってしまっている西欧崇拝や西欧中心主義の視点はなぜ生まれたのか、日本が失わなかった伝統的な文化の特色がなぜ今世界に必要とされているのか等々、日本人として自覚しておくべき大切なメッセージが、著者の熱い思いとともに込められた本だ。編集部の質問に答えるという対話体で書かれている。実際は、そういう形式をとって分かりやすく、しかし充分に考え抜かれた構成と内容で書かれた本だと思う。

著者は、日本が指導的大国として世界にアピールできる長所は何かと問いかける。多くの日本人は、それに即座に答えられないだろう。自分の国にそんな長所があるとは思えないのだ。しかし実際には、大いに自覚すべき長所がある。ひとつは、異質な文化や物を、自分の社会に抵抗なく取り入れて自分のもにしてしまう混合文化社会という日本社会の特長だ。世界の多くは、宗教的な制約などで日本ほど自由に文化の取り入れができない。日本は、強調的、混合文化社会という自らの文化の価値を世界に積極的にアピールすべきだ。

ふたつめは、日本文化の深層にあるアニミズム的な生命観だ。一神教的な世界観は、神を最高位に置く人間中心主義が濃厚だが、日本人の場合は、生命のみならず山や森にさえ魂を感じ、人も動物もひと続きの循環構造のなかを巡っているという古代的な生命観が、心の深層に流れている。

今、世界の主導権を握っているのは、強烈な自己主張と他者への執拗な排除攻撃を続ける「動物原理」を基本とするユーラシア文明だろう。その中心が一神教文明だ。しかし、世界は今、行き詰っている。アメリカは、これまでのようなずば抜けた超大国としては破綻する兆しが見えてきた。その代わり中国が台頭してきているかに見えるが、実際は無理に無理を重ねて背伸びをし、中華帝国再興を目指して走り続けている。しかし、中国も突如として内部の山積した矛盾が噴出して大混乱に陥る可能性が高い。

その時、世界は壊滅的な大津波に襲われるかもしれない。その危機に面したとき、これまでのあまりに人間中心的だった西欧的世界観の反省にたって、人類と地球環境の共存を最重視する戦線縮小の時代が始まるだろう。日本人には、元来、人間ももろもろの生物の中の一員として、他の生き物たちの「お陰で」生かされているという生命観があった。そうした生命観を自覚的に捉えなおして、そこに、21世紀の危機を乗り越えるのに大いに貢献すべき大切な何かがあることに目覚める必要がある。それが著者の主張だ。

かんたんに要約してしまったが、このような結論にいたるまでに、本書はじつにていねいに様々な具体例を挙げながら考察する。一神教的で牧畜型のユーラシア文明の欠点や、そのような一神教的世界観に立った西欧世界が、どのような横暴によってアジア、アフリカ、南米などを植民地支配してきたか、日本人がそうした西欧文明の悪の部分にいかに無自覚で、お人よしで、西欧コンプレックスから脱しきれていないか等々、興味がつきない考察が、随所に散りばめられている。
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あの世と日本人

2009-08-09 14:41:05 | 宗教
◆『あの世と日本人 (NHKライブラリー (43))

今でこそ、日本の文化の基層には、一万年以上続いた縄文文化が根づよく横たわっているという説は、ほぼ認められたといっていいが、このような説が受け入れられていく過程で著者・梅原猛の果たした役割は大きい。するどい直観と洞察力をもとにアイヌ語と沖縄古語の比較などにより、学問的な裏づけも行い、また考古学者など各分野の専門家との対話を通して、この説を説得力あるものにしていったのである。

著者は、日本人の「あの世」観は、縄文時代以来の「あの世」観が連綿と受け継がれているという。太陽や月、そして生きとし生けるものすべてが、この世からあの世、あの世からこの世へと、永遠の循環の旅を続けている。これが日本文化の根底をなす、縄文時代からの日本人の世界観であり、死生観であるという。

一般に、日本人の「あの世」観に深い影響を与えたのは仏教の一派・浄土教だといわれる。確かに浄土教は、日本の主流仏教となったが、浄土教が主流となったのはほぼ日本だけであり、なぜ日本で浄土教が主流となったのかという謎がのこる。著者は、仏教伝来以前から日本に存在した縄文的な世界観にその理由があるのではないかという。魂の不死とその永遠の循環という縄文時代以来の信仰が、無意識のうちの浄土教へと流れ込んでいったからこそ、浄土教が日本の主流仏教となったのである。

一万年以上も続いた土着の文化は、外来思想が入ってきたからといって、かんたんにどこかへ消えてしまうものではなく、少しずつ形を変えながらも文化の底流となって生き続けていく。個々の具体例を通して、そんなことが実感され、縄文時代人が急に身近に感じられたりする本だ。
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一神教の闇―アニミズムの復権

2009-08-06 10:30:08 | 宗教
◆『一神教の闇―アニミズムの復権 (ちくま新書)

著者の、アニミズム復興論の原典ともいうべき本だいう。著者の一神教批判は手厳しい。一神教同士の対立(キリスト教とイスラム教など)を見れば分かるように、一神教がかかえる闇が、人類を終末の世界へと導こうとしているという。だからこそ、多神教、アニミズムの世界に生きる日本人にとって、アニミズムの研究は、人類の生き残りをかけた重要な課題だという。

この美しい森と水を守るアニミズムの自然観と世界観こそが、日本人の低力である。一神教を基盤とした「力と闘争の文明」に替わる「美と慈悲の文明」(多神教的文明)が、人類の文明史の潮流を変えていかなければならない。「森と水の美しい地球」を創造し、「生命の文明」の時代を構築していかなければならない。そのためにこそ、アニミズム・ルネッサンスが求められているというのが著者の主張だ。

主張の大枠の意味は分かるのだが、アニミズムという言葉で著者が具体的にどのような信仰(信心)のあり方を示しているのかが語られていないので、全体として説得力が乏しいと感じた。まさか、原始的なアニミズムの信仰そのものに戻ろうということではないだろう。アニミズムを復権するというが、原始のままのアニミズムを復権するということか、現代人にとって必要なアニミズムのエッセンスを復権しようとすることなのか、だとすればそのエッセンスとは何か。そうした大切ことがほとんど考察されていない。

確かにアニミズムの中には、現代人が忘れてしまった大切な心のあり方が隠されているに違いない。それは確かだろう。現代人が学び、復権すべきは、アニミズムの中のどのような面なのか。またそれを復権するためには、どのような方法とプロセスが求められるのか、そのあたりの具体的な提示がないから、読後に説得力のなさを感じずにおれないのだろう。

細部では、興味深い情報も多いが、全体として主張が上滑りしていると感じた。
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脳がよみがえる断食力

2009-07-30 12:05:32 | 食と心と健康
◆『脳がよみがえる断食力 (青春新書INTELLIGENCE)』山田豊文、青春出版社

断食の様々な効果について、その生理学的な根拠についても詳しく解説しており、充分に説得力がある。この本でとくに強調しているのは、断食が総合的な「脳力」を高めるということである。つまり、断食後に頭が冴え、記憶力や理解力が増すというのである。

著者自身が、若き日にある病気に悩まされていた。病院を転々としたが悪化するばかりだった。ある雑誌で断食で病気を克服した体験記を読んで自分も実践した。母に野菜ジュースをつくってもらい、数日間それだけで過ごした。その結果、病気はウソのように治り、身長も急に伸び、成績もよくなった。その不思議な体験が人生を変えたという。ちなみに断食や少食の良さを説くこの分野のリーダーたちも、自分の病気を断食で治した経験を持つ人が多い。『少食の力』の甲田光雄や、『「半断食」健康法 』の石原 結實などである。

多くの体験者が断食後に「頭も体も生まれ変わった気がする」と言う。爽快感や自由感、充実感をもち、イライラしなくる。自分らしさを取り戻し、何にでも感動できるようになるという。断食で脳が活性化する理由として、断食は脳に必要な栄養、とくに糖分の栄養が絶たれことで、シャペロン(タンパク質の変性を阻止し、修復をする)が種チュするからではないかと、著者は考えている。また断食によって「ケトン体が体内に生ずると脳のα派が増えるという相関関係が確認され、そのメカニズムについても詳しく語られているが、ここでは詳しく紹介できないので本を読んでもらうほかない。

この本では、断食のデトックス(解毒)効果も強調され、その科学的な根拠も述べられている。印象深かったのは、1968年、九州・福岡を中心に起った「カネミ油症事件」だ。九州大学との共同研究の結果、政府はPCB中毒の治療法として、断食療法を正式に採用し、「断食療法、ほぼ9割の効果」と当時の新聞でも報道されたという。有害物質は脂肪に蓄積されやすい。断食でその脂肪が燃えてエネルギーを作ると、蓄積された有害物質は、血液中に遊離して肝臓から体外へ排出されるのだ。

とこあれこの本を読んで私自身、再度断食に朝鮮する気持になった。
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昏睡状態の人と対話する―プロセス指向心理学の新たな試み

2009-07-26 18:11:58 | ★特選の本
◆『昏睡状態の人と対話する―プロセス指向心理学の新たな試み (NHKブックス)』◆

この本は、おそらくミンデルの本の中でいちばん平易で読みやすいものの一つだ。 ミンデルが創始したプロセス指向心理学は、個人療法、家族療法、集団療法などに適用されると同時に、コーマワークとしても新たな展開を見せている。コーマとは昏睡状態、コーマワークとは昏睡状態の人とのワークを意味する。この本は、コー マワークという特異で独創的なワークの視点からのミンデル世界への入門と考えてもよい。

昏睡状態の人と対話などできないという常識にがんじがらめになっていた医師やセラピスト、その他多くの人々を驚愕させる成果の積み重ね。これまで誰もなしえなかった対話を可能にした驚くべき才能と独創性。その成果を基礎にした説得力。

しかも、その対話や実践的な成果から自ずと明らかになるのは、肉体を超えた魂の永遠性や、肉体の死に直面しつつそれを乗り越えて成長する精神の感動的なあり方なのだ。昏睡状態の人と対話をするという、きわめて具体的な実践を踏み外さず、その視点からのみ語りつつ、とてつもなく深い精神の世界を語っているのに驚く。 その実践に基礎付けられた事実の重みがこの本に、他に類を見ない価値を与えてい る。

昏睡状態にあった魂が、肉体に閉じ込められた視点から認知する「現実」を超えて、はかり知れない精神の世界へ飛び立とうとする。そのとき、愛、自由、癒しといった偉大な課題を成し遂げていく様が、ミンデルとの感動的なワークを通して明らかになってく。昏睡状態は「閉じられたアイデンティティから、より大いなる命に向けての自由を生み出すための歓喜に満ちた最後のダンスの試みであるかもしれない」とミンデルは捉えるのだ。

彼は、「旅の道のりは、しばしばトランス状態や昏睡状態といった影の部分をさまよい、通り過ぎる」とも言う。旅とは、もちろん大いなる命へ向けての旅だ。その旅の道のりにおいて昏睡状態は、しばしば積極的な意味を持つ。「命に関わる病気が死のきわで表す症状は、光明につながる道なのだ。身体から発信されるシグナ ルは、それがいつ現われるかに関わりなく、自覚を捜し求める夢なのである。」

身体のどのようなシグナルが、「自覚を探し求める夢」としてどのようにミンデ ルに受止められ、どのように応答されていくかは、ぜひ本をとって確かめていただきたい。ここではミンデルの次のような言葉を紹介するに留めよう。

「私が出会った昏睡状態になった人々は脳の構造上深刻なダメージを受けた人以外は、全員目を覚まし、パワフルな体験を言葉で語ってくれた。脳にひどい外傷的なダメージをこうむった人ですら、プロセスワークに対して非言語的な合図によって肯定的に反応した。一方、脳にひどい損傷を負っていない人々は目を覚まし、未解決の愛や学ぶべきテーマを完了させた」

この本でもう一つ興味深いのは、ミンデルの他の本には見られない、霊的な世界についてのかなり踏み込んだ発言も見られる点だ。 たとえば、「死に瀕した人々の多くがベッドに横たわりながら、同時によその町中を歩き回るという体験を私にきかせてくれた。私はこのようなケースから、人間の意識は肉体の外に飛び出すこともあり得ると考えるようになった」等々の発言。 いずれにせよ、ミンデルのコーマワークが、以上のような生命観をもとに実践され、またコーマワークの実践が、このような生命観を育んでいったのだということを忘れてはならない。

ミンデルは最後の章を「脳死と死の倫理学」にあてている。最近のニュースでも長い昏睡状態から目覚めた事例があったが、昏睡状態での体験を味わい尽くした後で、自らの決心で息を吹き返す人もいるのだ。持続的な植物状態においてさえ、脳と精神が同一とはいえないと彼はいう。そのような状態でも患者と対話ができるのであれば、死の判定を、家族や医師にまかせてしまっていいのだろうか。「生と死」 は、瞬間毎に当人によってのみ定義され得る」というのがミンデルの主張である。
 
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人類は「宗教」に勝てるか

2009-07-26 15:38:47 | 宗教
◆『人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス) 

興味深く、強く共感できる本であった。著者・町田宗鳳の本を読むのは初めてだが、今後彼の他の本も読みたい。この本で強烈に批判されるのは、自分以外の神や真理を赦さない排他的な宗教としての一神教だ。

「宗教は愛と赦しを説くが、人を幸せにしない。人類社会を平和にもしない。なぜか。宗教とは人間の勝手な思惑で作り上げられたフィクションに過ぎないからである。それが私の長い宗教遍歴の結論である。」(P9)と著者はいう。

世界史を少しでも学べば、宗教の名において人類が犯してきた戦争、残虐の数々に誰もが唖然とする。とすれば、この本のタイトルも、著者の結論もまさに真実をついているだろう。「組織宗教」「教義宗教」は、自己の教えを唯一正しいものとするかぎり、他の信仰を排除し、憎むのである。いくら愛と赦しを説こうとも宗教戦争が繰り返され、無数の人々が死んでいった所以である。

本の前半では、宗教の名の下に、とくにユダヤ教、キリスト教、イスラム教という一神教の名のもとにどのような愚行が繰りさえてきたかを具体的に書き連ねている。この本の素晴らしいところは、抽象的になり勝ちなテーマを、あくまでも具体的な事例に即して論じているところだ。それによって「宗教は人を幸せにしない」というテーマが、説得力をもって裏づけられる。

たとえば、アマゾンのインディオたちにキリスト教を布教するために、ヘリコプターでインフルエンザのウィルスを沁み込ませた毛布を上空からまく。それを使ったインディオが次々と発熱する。そこへキリスト教の宣教師がやって来て、抗生物質を配る。たちどころに熱が下がり、自分たちの土着の神々よりも、キリストのほうが偉大な神である説き伏せられてしまう。インディオが改宗するとクリスチャンを名乗る権力者たちが土地を収奪していく(P51)。ヘリコプターとあるから、これはコロンブスの頃の話ではない。現代の話だ。このようなことがキリスト教の名の下に実際に行われているのだとしたら、赦しがたいことだ。

一神教的コスモロジーを批判したあと著者は、「多神教的コスモロジーの復活」、さらには「無神教的コスモロジーの時代へ」と論じていく。

いわゆる近代化とは、西欧文明の背景にある一神教コスモロジーを受け入れ、男性原理システムの構築することだともいえる。ところが日本文明は、近代化にいち早く成功しながら、完全には西欧化せず、その社会・文化システムの中に日本独特の古い層を濃厚に残しているかに見える。日本列島で一万年以上も続いた縄文文化は、その後の日本文化の深層としてしっかりと根をおろし、日本人のアニミズム的な宗教感情の基盤となっている。それは、キリスト教的な人間中心主義とは違い、身近な自然や生物との一体感(愛)を基盤としている。日本にキリスト教が広まらなかったのは、日本人のアニミズム的な心情が聖書の人間中心主義と馴染まなかったからではないのか。これは、日本にキリスト教がほとんど受容されなかった理由の考察として興味深い。

著者のいう多神教的コスモロジーの要点とは、「単一原理で世界が支配されるのではなく、世界は不確定な要素で動いていく」「男性原理と女性原理は敵対するのではなく、相互補完的関係にある」「他者を断罪する権威は何人ももたない」等々である。

アニミズム的な多神教的コスモロジーは、一神教よりもはるかに他者や自然との共存が容易なコスモロジーである。「日本は20世紀初頭、アジアの国々に対して、欧米列強の植民地主義を打ち負かすことができることを最初に示した国だが、今度は21世紀初頭において、多神教的コスモロジーを機軸とした新しい文明を作り得るということを、アジア・アフリカの国々に範を示すべきだ。日本国民が自分の国の文化に自信をもつことは、そういう文明史的な意味があるのである」と著者はいう。(P134)

ただし著者は、多神教的コスモロジーに留まることをよしとしているわけではない。人類社会から一神教と多神教の双方が消え去ることが理想だという。「人間の力を超えた偉大なるものに対して、全身が震えるほどの敬虔な気持さえあれば、神仏を語る必要はない、寺や教会に行かなければ、神仏に合えないというのは、酸素ボンベにしか酸素はないと思い込むようなものだ」と著者はいう。そこが、既成宗教が自己否定を経験したのちに復活する真の宗教、つまり「無神教」の地盤である。

この本のどのページにも必ずといっていいほどに深い洞察力を感じさせる文章が散りばめられている。著者の宗教についての考え方に強い共感をもつから、それだけ多く共感する文章に出会うということなのかも知れないが。とくに最後にふれた「無神教」の考え方は、私自身のサイトでも長年発信してきた考え方と同じである。
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死にゆく者からの言葉 (文春文庫)

2009-06-28 22:57:10 | ★特選の本
◆『死にゆく者からの言葉 (文春文庫)』(鈴木秀子)

冒頭で著者の印象的な臨死体験が語られる。その体験によって彼女は不思議な癒しの力を得る。それに感動したあるシスターは、彼女をつれて病院めぐりをはじめた。医者も匙を投げた患者や死を目の前にした患者たちを訪ね、彼女が黙って手を当てる。奇跡的に治る人もいれば、死んでゆく人もいた。どちらにせよ皆、手を当てられることをとても喜び、見知らぬ他人である彼女に不思議と心を許したという。

こうして死にゆく人々との出会いが始まった。多くの末期患者と接するようになった経験から彼女は、ある確信をもつようになる。それは、「死にゆく人たちが、死の迫っていることを知っている」という確信だった。また彼らは、残された日々に「自分の人生を振り返って自分の人生の意味を見つけ、あるいは未解決のものを解決し、不和を和解へ変え、より豊かな愛の結びつきにすることを望んでいるのだ」という確信だった。死にゆく人々とのそんな交流の数々から、この感動的な書物が生まれた。


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人生は廻る輪のように (角川文庫)

2009-06-28 22:43:00 | ★特選の本
◆『人生は廻る輪のように (角川文庫) 

彼女の本でこれほど心に響いたことはなかった。死は人間にとって最大の学びの機会であり、そうした死の意味に真正面から取り組んだのが彼女だ。彼女がこの問題に導かれて行く運命的なプロセスが、幼児期からつぶさに語られる。

死、そして癒しと愛という彼女の中心テーマに立ち向かっていく姿勢に、まぎれもない真実さを感じる。さらに幼少のころから若き日にかけての、次から次へと起こる印象深い出来事。苦しむ人々を助けようとする意志と、待ち受ける困難。それを持ち前の行動力と偶然とは思えぬ運命の力によって克服していく。

読み物としても瞬く間に心を奪われて、一気に読ませる。その純粋なエネルギーに心の底から洗われる。

ほとんどの医師たちが、死に臨む患者の意識に直面することを避け、むしろ死をタブー視する中で、患者とともに苦しみ悩み、寄り添っていく。多くの患者たちとともに死に直面する中で、患者たちの意識にどのような変化が起こるかが明らかにされ、人間にとっての死の意味が明らかになる。


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