瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

ゴーピ・クリシュナの覚醒・至高体験

2019年09月26日 | 覚醒・至高体験をめぐって
 旧サイト『臨死体験・気功・瞑想』が閲覧終了になったのに応じ、その内容を新サイト『霊性への旅』へと移行させるいる。「覚醒・至高体験事例集」の事例をひとつひとつ新しいサイトにアップしていくが、その都度、ここにその一部を紹介していきたい。今回はゴーピ・クリシュナの覚醒体験である。

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 ごく一部の研究家やヨーガ行者のあいだでしか知られていなかったクンダリニーの教説が、世に広く知られるようになったのは、ヨーガ行者ゴーピ・クリシュナの『クンダリニー 』という著作が1967年に英語で出版されて以来である。この著作でゴーピ・クリシュナは、自分自身のクンダリニーが覚醒していく過程をつぶさに、かつ具体的に語り、その身体的・精神的な変容の有り様を克明に記録した。

 この著作は、東洋の行法に関心をもつヨーロッパやアメリカの若者たちに広く読まれ、クンダリニーの覚醒をめざしてヨーガ行法を行うものが続出したという。

 彼は、もちろん気功家ではないが、気功家を含む広い意味での行者の一人として、彼の体験をここに収録したい。

 ゴーピ・クリシュナは、1903年にインド・カシミールに生まれた。父が世捨て人同然の修行者となってヒマラヤに入ってから、母の期待と愛情を一身に受けて大学に進学。しかし読書に夢中になりすぎて、専門課程への進級試験に落第してしまう。その挫折を契機にして熱心なヨーガの行者となり、昼はカシミール州政府の中級官吏として黙々と堅実な生活を続けながら、毎朝早く休むことなく瞑想の行を続けるのである。
それから17年目、34歳の時、突如として予期せぬクンダリニーの上昇を体験する。 それは最初、筆舌につくし難い至上の幸福感をともなったが、しかし直後に死と隣り合わせの危険と辛苦に満ちた体験に変わる。クンダリニーがシュスムナ管以外のナディ(管)、特に脊髄の右側にあるピンガラから誤って上がると、心身にきわめて重大な混乱がおこり、制御できない体内熱のために時には死を招くことさえあるという。彼は、その最悪の場合を体験しのだ。「体内の器官や筋肉が花火で焼き切られるような、無数の灼熱の針が身体中を走りまわっているような」苦痛が数週間も続いた。精神錯乱の一歩手前までいったとき、ふと正気にもどった彼は最後の賭けをする。もしクンダリニーがシュスムナ管の右側のピンガラを上ったのであれば、その左側の気道イダを開くことでピンガラの焦熱を中和できるのではないか。彼は、最後の気力をふりしぼって一心にイダの気道が開くように念じる。すると、それを待っていたかのように奇跡が起こったのである。

 「パチンと気道に音がしたかと思うと、銀色の流れが白蛇の這うがごとく脊髄をジグザグ状に動いて昇り、最後に生命エネルギーの光り輝く滝となって脳髄に降りそそいだのである。それまで3時間あまりも私を苦しめていた火焔にかわり、至福の白光 で私の頭はみたされた。少し前まで私の神経組織をはせめぐっていた火の流れが、このように突然変わったことに驚き怪しみながらも、私は苦痛がやんだことに深い喜びを感じていた。」
 
 こうして危機を脱したのちも、クンダリニーの光は、彼の中で不断に発光し続けた。それはもはや、焼きつくすような熱気ではなく、すべてをいやす快い温かさをともなっていた。その光によって彼の脳や神経組織は再調整され、意識は、確実に覚醒に向かって拡大していった。彼は、自らの意識の変化をつぎのように語る。
 
 「私は、子供の時から慣れ親しんできた自我に統御された一つの意識単位から一挙に拡大し、光り輝く意識の輪となり、最大限のところまでずんずん大きくなっていった。『私という感じ』は以前と変わらないものの、それはもはや一つの小さく固まった存在ではなくなった。私は四方八方の広大な次元に通達する光り輝く意識の球体の中に包みこまれていた。
 適切な比喩もないが、しいていえば、小さな明かりから出発した私の意識はしだいに大きな光の海に成長し、気がついてみると、自分のまわりを近くからあるいは遠くからとりまく歓喜を放射する大きな意識の中にひたされていた。」

 それは、「認識主体がより広大な視野を獲得」し、「以前より大きくなった表層意識に世界が映しだされる」ような体験だった。その後、瞑想中の喜悦のなかで自己の限界を超えたエネルギーの噴出を許してしまい、再び灼熱のクンダリニーに苦しめられるようなこともあったが、そうした経験を経て彼の意識の座が限りなく広がっていくのも事実だった。彼はつぎのようにもいう。

 「肉体と環境に束縛されていたはずの自分の存在が、名状しがたい形で、とてつもなく大きな人格として拡大し、自分のまわりにある宇宙が不思議にも内在する感じがして、意識そのものといえる大きな宇宙と自分が、自分の内部ですぐさま直接に接触できるのであった。」
 
 こうしてゴーピ・クリシュナの意識の場は拡大するが、同時に彼は、「自分の内と外に知覚するものがゆっくりと輝きをまし始めていたこと」に気がつくのである。たとえば彼は、その知覚の変化をつぎのように語る。  
 
「眼前にある景色は私がよく見慣れていたものであったし、またある意味で、その出来事以前から私がなじんでいたものであった。しかし、私が現に見ていたものは、私を驚きのあまり棒立ちにささるほど異常なものであたった。この世のものとも思われない、何かおとぎの国のような風景が私の前にあった。  
 古めかしい風雨にさらされた建物の正面には別にこれという飾りもなく、その上に青空が拡がっていた。さんさんとした陽の光の中で、建物も空も美しい、しかも荘厳味あふれた銀色の光沢に輝いていて、それがまた、筆舌につくしがたい驚くほど微妙な陰影効果をかもしだしていた。驚き怪しみながら別の方向に目を転ずると、そこでもまたあらゆるものが美しい銀色に輝いていた。あきらかに私のクンダリニー開発は新段階に到達していたのである。私がどちらを向いても何を見ても知覚したあの銀色の光沢は、物体から発していたのではなく、あきらかに自分自身の内部にある光が投射されたものにほかならなかった。」

 こうした意識と知覚の変化ののち、46歳になった彼に突如として詩人としの才能があらわれた。素晴らしい詩句が、インスピレーションのようにひらめくようになり、その詩集の発行などによって彼の名は全インドに知られていった。

気功家・北沢 勇人氏の覚醒・至高体験

2019年09月15日 | 覚醒・至高体験をめぐって
 2002年3月上旬に検索エンジンで天啓気療院のサイトを見つけ、姉妹サイト『日本の気功家たち』のためのアンケートの回答をお願いしたところ、さっそく詳細に記入された回答をいただいた。その内容は『日本の気功家たち』のアンケート・天啓気療院の項に掲載したが、残念ながら今はもうこのサイトは存在しない。
 ところでその回答の中には、天啓気療院・北沢 勇知氏のチャクラの覚醒、クンダリニーの上昇についての非常に具体的な記述が見られ、しかもそれは至高体験というべきものにつがなっていた。
 さっそく北沢氏に連絡をとり、その部分をこちらのサイトの事例集に掲載させてほしいとお願いしたところ、ご快諾くださった。
 なお、ここに掲載するのは、アンケートの回答に一部、天啓気療院のサイトに載せられた体験談を追加して編集したものである。以下のサイトでは、それぞれのチャクラごとの覚醒の具体的な記述が見られる。

◆発端
 私がなぜ、能力を発揮できる様になったかと申しますと、一級建築士や一級建築施工管理技師などの国家資格を取り建築工事や建築の設計や管理などの仕事をして いたのです。しかし、仕事の状態が思わしくなく悩んでいたのです。そこで約21年前から少しでも会社の経営状態を改善させようと、身体の力が抜け、そして、リラックス状態になったときに出る脳波、アルファー波を、いつ何時でも、出したいときに出せるように、呼吸法や瞑想などを実行し、能力開発をしようと続けていたのです。訓練と修行を続けた結果、平成五年春頃に不思議な体験が始まったことにあります。
 私の体の中からも外からも、不思議な音や声が聞こえ、更に、色々な光や映像が観るようになった。その 後、身体は勿論、精神までも癒せる素晴らしい能力《ハンドパワー治療》が発揮できる。チャクラが覚醒 しクンダリニーが上昇しているので、気功などにて用いるエネルギーとは比較にならない素晴らしいエネルギーで、自我[心や感情、意識や思い]などを変化させ、病気を改善し心も落ち着かせることができるようになった。

◆食事が取れなくなる。瞑想や呼吸法を禁止されて 
  平成9年5月初め頃に、約一週間にわたり、食事がまともに取れなくなり、風邪をひいたような倦怠感と言うか、疲労感をおぼえ、さらに、顔がはれあがり、頭が重く、毎晩のように、例のごとく、身体からは意識が外れ、まばゆいばかりの光や、観たことのない色々な建築物や山、川、過去、宇宙や自分自身などが光り輝いているのを観たり、金の粉が降ってきたりするのを観たり、あいも変わらず、身体がこのままでは壊れてしまうのではと思うほど激しく動いたり、喉の奥よりの変な声もますます激しく出てきていたのです。これは本当に、誰に話をしても「お前の頭はおかしくなった」としか言われないようなことが続いたのです。
 そこで、東京三鷹市の井の頭にある、瞑想や呼吸法を指導している方を尋ね、指導をお願いしたところ、瞑想や呼吸法を指導している方から、貴方の現在のエネルギー状態は、貴方の肉体が絶えることのできる限界を超えているので、如何なる修行も控えること。特に、呼吸法や瞑想などは絶対に控えるほうが懸命であると指導されていたのです。  

◆クンダリニーの上昇やチャクラの覚醒をしてみたくて
  以前より、呼吸法や瞑想などは、絶対に控えることと指導されていたのですが、しかし、平成9年9月初め頃に、神棚の前に座り、三十分ぐらい呼吸法と瞑想をした結果、何時間もしないうちに、身体全体が苦しくなり一週間ぐらい、ほとんど食事も取れず、目を閉じれば恐ろしいほど強い光、山、河、建築物、過去、海の中など光と共に観え、さらに、身体からは意識が外れ、遠くは地球のかなたというか、宇宙の果てまで観る始末で、夜になっても全く眠る事ができず、本当にこのまま、おかしくなるのではないかと大変不安でした。
  そして、苦しい状態が、最高潮に達したときの最後の頃になると、目の中全体が真っ赤になり、瞼が膨れて完全に塞がり、身体全体がむくみ、食事は勿論取れず、身体全体が、ますますつらくなり、ほとんど動くこともままならず、さらに、悪い事には頭全体、特に額の辺りが非常に痛くなり、額が割れるのではと思っていました。その夜、身体全体が焼ける様に熱くなり、大量の汗をかき苦しんでいたのです。そこで再度、瞑想を指導している方に相談したところ、『貴方はなぜ、指導した通りにしなかったのだ、エネルギーは目には見えないが、とても強力で恐ろしく、そして厳しいもので、誤まった修行方法をとると、死ぬ事だってある』と、きびしくしかられた事が思い出されます。  
 また同じ頃、身体から幽体離脱なのか良く解りませんが、意識が抜け出て、見たこともない山の中や、光り輝く海の中や光り輝く建築物等を自分自身が飛びながら観ているように感じたり、本当に強力な光を観たり感じたり、自分の身体の中で、電気でも生産されて流れているようにビリビリとしびれたり、常識では到底理解できないことが数限りなく頻繁に起こりました。その色々な体験があるたびに、何度も書きますが本当にこれからどうなるかと不安でたまらなかったことが思い出されます。   

◆真剣に神様を信じる。そしてクンダリニーが上昇 
  身体全体が焼ける様に熱くなり、大量の汗をかき、そして苦しくなったのですが、そのとき、瞑想を指導している方から、もう取り返しのつかない状態になってしまったのだから、どうすることもできないので、エネルギーを下げるか、神様を真剣に信じて頼む以外はないと指導され、私は、神様の力により守られているので大丈夫と、自分に言え聞かせ、本当に強く信じていたのです。すると、今度は、最初、腹部の中心あたりの内部が熱くなり始め、その後、真っ赤な炎が観え、さらに、本当に大きく燃え盛ってきて、その場所の外部までも真っ赤な炎の海のようになって観え、そして、感じたのです。その後、体全体が青い光を放ちながら燃えたように観え、そして、感じたのです。そのときと、ほぼ同時に、その、真っ赤な炎が観えたあたりの下腹部から、体の中心を通った炎の柱というか、光の柱というかが、最初上方に向い伸びていったのです。
  私としては、この現象は、クンダリニーの上昇に間違いがないと確信したので、いっそのこと、下方にも伸びていってくれないかなと願っていると、今度は下の方向にも伸びていき、さらに、その柱が、こんな事があるはずがないというように非常に太くなり、何万キロメートルもあるかのように途方もなく上下に長く伸びていったのです。そのとき私の意識は、地球のはるか遠く、そして、地球よりはるかに大きく、数十倍もあるように感じ、また、宇宙の空間に横になり浮いていた状態に観え、また、感じたのです。
  クンダリニーの上昇が起こった直後、また、身体全体が青い炎を上げて燃えた様になり、更に、数分もすると、今度は、身体の周辺、特に頭の上面背部周辺が大変に気持ちが良い暖かさを感じ、良く観察すると、仏像、キリストなどの背後などに描がかれているような円形状のものが観え、しかも金色に光り輝き、その直後、頭の天辺部分には、イソギンチャクの頭部が開いた状態に似た形状に、突然大きな口が開き、その中から手筒花火に、火を付けたように、大変きれいな、色々の色の炎が噴き出した状態になり、観え、そして、感じたのです。そして、その炎のような部分が更に下腹部まで下っていき、身体の中心部が燃えたように感じ、そして、観えたのです。そのような出来事があった以後は、体もすこぶる快調になり、また、一段と病気や心の悩みを癒す能力が増してきたのです。    

◆神様にあった感覚になって?
  この体験は、詳しい方に尋ねたところ、無意識の世界と言うそうですが、頻繁に起こるようになりました。


続きは以下でご覧ください ⇒ 気功家・北沢 勇人氏の覚醒・至高体験