瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

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瞑想合宿レポート20

2005年01月31日 | 瞑想合宿レポート
◆なぜあの女性徒だったのか(続き)
多くの場合、アニマは男性のこころの中の抑圧されたもの、その男性にとって弱い部分(劣等機能)と結びつきやすいという。たとえば、思考型の男性は、彼の中の弱い部分、すなわち感情機能がアニマと結合している。堅い人で通っていた学者が娼婦型の女性に心を奪われたり、ドン・ファンとして知られた男性が、ただ一人の清純な女性に一途な愛を捧げたりするのも、そうしたアニマの外界への投影であったりする。(アニマの説明は、河合隼雄『ユング心理学入門』を参考にした。以下同様)

私も、思考型といってよいだろうから、感情機能が豊かな女子生徒に何らかの投影が働いたのかもしれない。あるいは、教師としての社会的な役割や規則に縛られている私の抑圧している面がアニマと結びつき、縛られずに生きる女子生徒に投影されたのかもしれない。また地橋先生が指摘していたように、彼女の中にはただおきゃんなだけでなく意外と素直で真面目な部分も隠されいて、そんなところを私が感じ取っていたのかもしれない。いずれにせよ、自覚されないいくつかの要素がからみあって、私の中のアニマが彼女に投影された。彼女にとくに好き嫌いの感情をもっていなかっただけに、ちょっと不思議な感じは残る。

◆アニマの多様性
ところでユングによると、アニマは4段階を経て発展していく。第1は生物学的な段階、次はロマンチックな段階、そして霊的(スピリチュアル)な段階、最後は叡智の段階である。

生物学的な段階では、女の子を生む機能、性の面が強調され、イメージとしては娼婦が出現する場合が多いという。次のロマンチックなアニマは、西洋の文学が多く描いてきた、一個の人格として恋愛の対象となる女性である。第3段階の霊的な段階は、聖母マリアに代表される母性と処女性をあわせもった女性像である。最後の叡智のアニマは、中宮寺の弥勒菩薩像が典型的に示している。限りないやさしさと同時に深い知恵をたたえた像である。

私のイメージの中では、女子生徒が娼婦になったり、棟方志功の吉祥天になったり、天女になったり、女王になったりしてめまぐるしかった。それらが、ユングの4段階のどれに当たるかを詮索する気はないが、ただ棟方志功の女人図を見て、横溢する女性性とその賛歌、そして宗教性との結合にはあらためて強い印象を受けた。
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瞑想合宿レポート19

2005年01月30日 | 瞑想合宿レポート
◆無意識の自律性
女王と一体になる体験の前日に、似たような体験をしたことはすで触れた。例の女子生徒に自分が重なっていき、その直後に天女になって空に舞い上がった体験である。この二つは、どのように関連しているのだろうか。

おそらく天女も、自分のなかの女性性を肯定するイメージだっただろう。しかし一瞬の戸惑いのなかで、私は空を舞うイメージに身を任せなかった。それが体験を消化不良にさせたのだろう。だから、このイメージの体験後はあまり解放感がなかった。そして翌日、女王というもっと分かりやすいイメージによって再びアニマとの統合が図られたのではないだろうか。しかも女王は、王(男性性)と対となるから、統合のイメージによりふさわしい。

あるいは、9日目の明け方に、自分の根深いコンプレックスを受容する体験があった。そのコンプレックスとアニマの抑圧とは関連している。そういう深い受容があったからこそ、アニマとの充分が統合の準備が出来たのかもしれない。それが、女王のイメージとの一体化につながっていったとも思える。

ともあれ、自分の意図しないところでかってにイメージが展開し、抑圧されたものとの統合が果たされていくということに強い印象をもった。人の無意識の働きの不思議さに心を打たれた。ユングは、無意識が自律性をそなえ、かつ創造的で、ときには人格的なものとして現れてくることを指摘したというが、まさにそのようなことを自ら体験したのである。天女のイメージで未消化だった体験を、さらに女王のイメージによって再体験させるなどは、意識的な私からは独立した知恵のようなものを感じさせた。

◆なぜあの女性徒だったのか
ユングは夢の分析を進めるうちに、男性の夢に特徴的な女性像が多く出現することに強い印象をもった。そのような女性像の元型として、男性の集合的無意識のなかに潜む女性像・女性的性質をアニマと呼んだ。(これに対し、女性のなかに潜む男性性がアニムスである。)

とまあ、これは教科書的な説明だが、ひとつずっと気になっていたのは、なぜあの女性徒が、私のアニマの現実における対応人物になっていたのかということである。前にも書いたように、私は彼女に特別な感情は何ももっていなかったのである。
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『痛みと身体の心理学』

2005年01月29日 | 読書日誌
藤見幸雄の『痛みと身体の心理学』(新潮選書)の読書ノートは、読書日誌・エポケーの方に書き始めたので、そちらも参照いただたい。
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シンクロ二シティー3(今日の日記)

2005年01月29日 | 心理
◆シンクロにシティー
ところがこの日の帰り、職場近くの駅で、夢に出てきた保健室の養護教諭の一人と一緒になり、二駅ほどの間、話をした。よく一緒になるのなら不思議はないが、帰りに同じ電車になって話したのは初めてであった。その時、私の気功が生徒とのコミュニケーションのきっかけになっていること、受験前に気を入れてと頼みにくる生徒が何人もいることを話した。また、落ち着いて受験できるよう自己催眠によるイメージトレーニング法を教えて、これがかなり人気がある話などもした。実際、この数日、受験前の数人が依頼して来た。それを聞いた養護教諭が、笑いながら「教室の前に旗でも立てて宣伝したらどうですか」と言ったのである。

◆夢の意味は分からないが‥‥
夢に関係した人物と偶然に一緒になり、しかもその言葉が夢のイメージと重なったとなると、かなりのシンクロニシティーかなと思った。夢の意味は、まだよく分からない。気になるのは、私が渡し続けた薬は、医者が副作用があると言って止めた薬と、とてもよく似ていることだ。これは、夢の中でも気になっていていた。

少なくともはっきりしているメッセージが一つある。それは、足の湿疹の意味を、ミンデルの方法にしたがって、しっかりと感じ取って見よ、ということだ。

「病や夢は、私たちの関わり次第で、私たちを魂あるいはドリームボディの世界へと誘う媒体となってくれるでしょう。一つの症状であっても、それとの関係を育んでいくならば、それは魂からさまざまなものを運び、また魂にいろいろなものを送り届けてくれることでしょう。」(『痛みの身体の心理学』p38)
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シンクロ二シティー2(今日の日記)

2005年01月29日 | 心理
◆クスリの夢
明け方見た夢は、薬に関係するものだった。私は皮膚が弱く子どもの頃、6月下旬から7月、急に暑くなる頃に足などにいくつものできものが出た。今でも同じ頃、腕などに数個のできものがかわるがわる出ては消え、2週間弱でまったくでなくなる。最近はあまり出なくなっているが。子どもの頃は強烈な臭いのあるよく効く軟膏を使っていた。副作用が強いらしく、ある時期から使わなくなった。

夢のなかでは、大人である今の私が、その薬かどうかわからないよく効く軟膏を医者からもらってくる。だが、何故か私はもう必要がなかった。それを職場の保健室が必要としているというので、医者からもらう度にあげた。保健室は非常に喜び、それをストックして、必要な生徒に使用した。効果が高いため評判になり、生徒だけでなく保護者らしき人や、もしかしたら一般の人まで保健室を訪れた。二人の養護教諭も喜び、旗のようなものまで立てて宣伝し、その薬を有効に使っていた。

そんな奇妙な夢であった。目覚めたときは変な夢だと思っただけで、そこから連想することは何もなかった。しかし、『痛みと身体の心理学』を読んだとき、まさにこの夢と現在の身体症状が関連していることに気づいた。

私は現在、両足のすねにちょっとした湿疹がひろがっている。毎年、真冬の寒い時期にずっと続く。日中はほとんど気にならないのだが、時々痒くなったり、痛痒く感じることがある。市販の軟膏を塗ったりすることもあるが、今はクスリを使うほどには気にならない。しかし、最近一二度クスリを塗ろうかと思ったことはある。まさに、これが夢に関係していたのだ。

ただ、この夢自体は、シンクロにシティーというほどのものではない。『痛みと身体の心理学』を読もうと決めた時点でミンデルのことは意識するから、その明け方にミンデルの説を示唆するような夢をみても何も不思議はない。
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